見出しの派手さに惹かれ買ってはみたものの、あまりの内容のなさに呆れることが少なくない週刊誌の記事。山尾志桜里衆議院議員の動向をめぐる週刊文春11月23日号の記事は、まさにその典型だった。
当事者が否定しているにもかかわらず「不倫」と断定して追いかけ回す横暴さ。相手が屈しないとみるや、別々の旅行なのに「一泊二日一緒に大阪」と見出しを打って、“同宿”を印象付ける卑劣さである。
文春のこの手法、「報道」と言えるのか――。
■「見出し」で印象操作
山尾氏に関する記事の見出しは「山尾志桜里 一泊二日一緒に大阪出張」。不倫疑惑で民進党を離党、総選挙で再選を果たした直後に不倫相手とされた弁護士を政策顧問に据え、再び叩かれる中での行動だけに、「懲りずにお泊りか」と見るのが普通だろう。もちろん、それは「一泊二日」が“同宿”だったことが前提。しかし文春は、同宿の事実を掴んでいない。(下は、週刊文春11月23日号に掲載された山尾氏に関する記事)
記事を読む限り、山尾氏の行動に関し、裏付けが取れている事実は以下の3点しかない。
2人がイベントの翌日に新大阪駅から新幹線に乗ったことから考えて、「一泊二日」は虚偽ではなかろう。だが、同宿した事実は確認されていない。見出しに「一泊二日」と打ったのは、意図的に「お泊り」を演出しようとする文春側の思惑の表れだ。さらに「一緒に」をくっつけたのは、“同宿”を印象付けるための姑息な手法である。まさに印象操作。読者が「同じところに泊まったんだろう」と思い込むように、見出しで煽ったということだ。産経以外の新聞では考えられない、卑劣な手法である。これは「報道」ではない。
■問われる「報道の自由」
文春がムキになっているのは、神奈川新聞のインタビューに答えた山尾氏が、「むき出しの好奇心には屈しない」などと語ったことを受けてのことだろう。不倫疑惑に火をつけた同誌の記事を否定されたため、どうやっても不倫を認めさせ、あわよくば政治生命を絶とうという狙いが透けて見える。同誌の記者は衆院選の投開票日、再選を決めた山尾氏の選挙事務所で、支持者を前に山尾氏に不倫疑惑をぶつけた。これとて、まともな取材活動とは言えまい。
山尾氏にも弁護士にも子供がいるという。相手が公人であるとはいえ、不倫という報道内容を否定している相手の家族まで傷つけていいはずがない。文春が何かを報じる場合、どのようなルールに則っているのか分からない。だが、裏付けなしで取材対象の何もかもをぶち壊すような報道を続けることなど、どのメディアにも許されていない。文春は、“報道の自由”が、裏付けの取れた事実によって担保される権利であることを自覚すべきである。
■「文春砲」の驕り
問題の記事は「二人の関係を聞かれたくないなら、本誌の前で堂々と潔白を証明したらどうか」で結んでいる。逆に言えば、「証明しなければ何度でも取材に行く」という脅しである。何様のつもりか分からないが、文春に聞きたい。山尾氏と弁護士の主張通り2人の間に男女関係がなかった場合、それをどう証明するというのか?できないと分かっていて「証明しろ」と迫り、「取材に答えろ」というのは強要ではないのか?前稿《山尾問題と「推定無罪」》でも述べたが、「やっていないこと」の証明は困難。文春も、「悪魔の証明」という言葉くらい知っているだろう。
文春は、甘利明元経産相の収賄疑惑を報じたあと、有名人の下半身スキャンダルを連続してスクープし、「文春砲」などともてはやされてきた。驕りがあるのだろう。本来、「国民の前で」とすべきところを、「本誌の前で堂々と潔白を証明したらどうか」と書いている。文春の取材活動や記事が、国民を代表してのものとは思えないが……。