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『新潮45』休刊騒動にみるこの国の“言論”
ジャーナリスト・斎藤貴男さんに聞く

2018年9月28日 08:00

20180928_h01-01.jpg ネトウヨ雑誌が断末魔をあげた末に息絶えた――新潮社が発行する月刊オピニオン誌『新潮45』(新潮社)は「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した特別企画を掲載。同企画は、8月号に掲載されて批判を浴びていた自民党衆院議員・杉田水脈(みお)氏の寄稿文「『LGBT』支援の度が過ぎる」を擁護する7本の論文で構成されており、その内容の悪質さから新潮社社内からも批判の声があがっていた。新潮社は21日に佐藤隆信社長のコメントを発表し、25日には休刊(=廃刊)を決めている。

■意味不明な、「痴漢の触る権利を保障すべき」論

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  杉田水脈・衆院議員(自民党)

 『新潮45』10月号特別企画で特に問題となったのは、アベ応援団の一員としても知られる自称・文芸評論家の小川榮太郎氏の「論文」。あえてカッコつきにしたのは、論文とは名ばかりのトンデモ言説のオンパレードで、読むに堪えないレベルの論文モドキだからだ。

 驚くのは、のっけからLGBTの問題を「性行為」に矮小化していること。「男と女が相対しての性交だろうが、男の後ろに男が重なっての性交だろうが、当人同士には何物にも代えられぬ快感であっても(中略)公道に曝け出すものではない」と卑わいな表現で読者を煽り、終始飛ばし気味に論を進める。聞かれてもいないのに「(自分の)夜の顔については、自信と誇りをもって、私が世を憚る格別な変態であっても」公言しない、と胸を張るあたりは、ひょっとしたら真正の露出癖なのか。

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小川榮太郎氏(本人のTwitterより)

 あるところでは唐突に「周知のように『共産党宣言』は…」と始まったかと思えば、「(階級闘争という概念に)何十億人が犠牲になったことだろう」と憂えてみせる。すでに読者は置いてきぼりで何が言いたいのか皆目わからない。ちなみに同特集の藤岡信勝氏論文では、なぜかマルクスがやり玉にあがっており、ほとほと「アカ」いものに目がない御仁たちだということがよくわかる。「自分たちに楯突くものは全員左翼で共産主義者だ」と本気でそう信じていそうだが、マルクスもここまで「過大」評価されると本望だろう。

 最も意味不明で、さらに内容の悪質さから識者から批判を浴びたのは、「痴漢の触る権利を保障すべき」という箇所。小川氏によると、「痴漢をやめられないのは脳由来の症状で、だから権利を保障すべきだ。なぜなら、LGBTが論壇の大通りを歩いているのは自分にとって死ぬほどショックだから、LGBTの権利を保障するなら痴漢の権利も保障すべき」だという。本気で書いているとは到底思えない正真正銘のトンデモ論法で、この段階になると小川氏がどうこうというよりも、この原稿を担当した編集者がなぜ活字になることを許したのか、そちらのほうが気になってくる。いやしくも天下の新潮社である。月刊HanadaやWiLLとは違うのだ。

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『新潮45』2018年10月号の目次

■「日本人って、ずっと空っぽだったのかも」斎藤貴男さん

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 ジャーナリスト・斎藤貴男さん

 10月号の発刊後、新潮社社員がTwitterで批判の声を上げ始め、それに呼応するように新潮社から出版物もある平野啓一郎さん(第120回芥川賞受賞)ら作家たちが厳しく新潮社を糾弾、他の作家や有識者も続々と後に続いていた。

 こうした動きを受けた新潮社は、同社HPで佐藤隆信社長の「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました」とするコメントを発表(9月21日付)、一週間も経たない25日には早くも『新潮45』の休刊を発表した。当然といえば当然の帰結だろう。

 休刊を発表した文章は400文字に満たない短いもの。休刊の理由として、「部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていた」「その結果、『あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現』を掲載(した)」ことなどを挙げている。

 しかし、休刊発表文では試行錯誤の結果としてなぜ誌面がネトウヨの巣窟と化したのか、さらに「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」とはどの部分を指すのかなどは明らかになっておらず、編集長などの責任や処分などにも触れていない。さらに言うならば、社長コメントも休刊発表も単なる事実の発表にとどまっており、悪質なヘイト論文を掲載したことの「謝罪」ではない。

 雑誌における休刊はすなわち廃刊を意味するが、だとしても「問題があったから休刊します」で終わる問題ではないはずだ。『新潮45』に掲載された文章が誰かを傷つけたという自覚があるのならば謝罪があってしかるべきだし、オピニオン誌を自認していたのならばなおさら、休刊よりも存続を選んだうえでこの問題を掘り下げ、国内外の言論界を覆う閉塞感の正体を突き止めるべきではなかったか。

 同誌に寄稿した経験も持つジャーナリストの斎藤貴男さんは、「まっとうな保守系雑誌が成立しなくなり、ネトウヨ頼みになってしまった」と指摘する。

 ――今回の騒動は、出版界全体が右傾化していることの象徴にも見えます。

 斎藤貴男さん(以下、斎藤) 保守系というか「ネトウヨ(ネット右翼)」の一定マーケットがあることは確かでしょうが、今回問題になった杉田論文批判への反論企画は「とりあえず今月号を売るためにはこれしかない」という程度の軽いノリだったのではないでしょうか。そもそも、まっとうな雑誌がもう成り立たないという判断が前提にあるんですよ。それは突然始まったことではなくて、長い目でみれば、『月刊宝石』が1999年に潰れて、『月刊現代』も2009年に休刊するなど、良質の雑誌が次々と売れ行き不振で姿を消しました。それは保守系雑誌でも同じことで、文藝春秋が出していた『諸君!』も2009年に休刊しています。

 『諸君!』は保守系ではあったけれど風通しの良い雑誌だったことも事実です。天皇制の悪口さえ言わなければなんでもありみたいなおおらかさがあって、『文藝春秋』本誌ではできない冒険的な企業批判記事も掲載したりして。でも小泉政権のあたりからは右でも左でもなく「上」を向くようになったため、要するに「おカミに逆らうやつはみんな敵だ」みたいな編集方針になっちゃったんですね。日本の本来的な保守からしたら小泉なんてアメリカべったりで従来の日本の良さをぶっこわしたような人物ですから、保守にとっては敵のはずなのにそうはならなかった。

 『諸君!』はだんだんエスカレートして、2000年代半ばにはほとんどネトウヨ雑誌になってしまって、実は当時の文春社内でも眉を顰めるひとが多かったんです。でも、ネトウヨ化することで雑誌は売れることは間違いなく、2万部程度だったのが約6万部にまで増えた事実は経営陣も無視できなかった。

 ――ネトウヨは一度経験したらやめられない「ドーピング」効果があるんですね。

 斎藤 まさにそう(笑)。でも、さすがに文春だなと思ったのは、ハト派的な人物を『諸君!』の編集長にしてまっとうな保守雑誌への軌道修正をはかったんですね。でも売れ行きは当然落ちるわけで、ここでまたネトウヨ雑誌に戻さずに休刊を選んだのは文春の立派な判断だったと思います。

 ただし、『諸君!』の休刊で証明されたのは、保守全体がどんどんネトウヨ化していて、メディアがそれに合わせないと本が売れないという絶望的な現実だったわけです。講談社はケント・ギルバートの差別本・ヘイト本を出して大ヒット、一方で『月刊現代』の後を継いだノンフィクション雑誌の『G2』は2015年に廃刊になり、ノンフィクション部門全体がなくなってしまいました。要するに、今回の新潮社も含めて講談社と文春など大手3社でまともな出版物が出せなくなっている。

 『新潮45』はもともとバブル期に『新潮45プラス』というタイトルでスタートしています。当初はノンフィクションや思想とかにこだわるというよりも、「45歳以上のおとなの雑誌」というコンセプトでした。新潮社そのものが保守系なので誌面も自ずとそっち系にはなるものの、きちんと取材したノンフィクションなどの面白い企画もありました。ところが、今の編集長になってから急速に『WiLL』化し始めた。『諸君!』が戻そうとしたまっとうな保守ではもう売れない、それならば自分たちのマーケットである保守層に買ってもらうためにネトウヨになるしかないと腹をくくったのかもしれません。

 ――情報を得る際にネットを使う層が増え、予測検索などで「自分好み」の情報しか目にしない状況です。対立する立場や自分と異なる意見を参考にするリテラシーも浸透していませんね。

 斎藤 ネットの影響はすさまじく大きいと感じています。もともと、反対の立場の意見を聞かないと批判はできない、っていうのは当然の作法だったはず。でもそれってひと手間もふた手間も余計にかかる面倒くさい作業でもあるわけで、プロ以外にそれを求めるのはなかなか難しい。
 
 インターネットって、それまで言論のプロに独占されてきたメディアを開放して、普通の市民目線で意見表明できる万人に開かれた素晴らしいものになるはずでした。極端に言えば、それまで沈黙を強いられてきた普通のおじさんやおばさんでも難しい議論に参加して意見を言える場の提供であり、それが議論自体を豊かにするはずだった。でも実際に起こっている現象は、「本来なら人前でものをしゃべっちゃいけない人」に発言権を与えてしまったために、そういった連中が大声でわめきたてるだけの場になっている。自由にモノが言えるがために、常識人はどんどん退場してしまうという「多様性の排除」が起きているのは皮肉です。

 連中は他人が書いたもの、語ったことをコピーとリツイートで拡散して発言の量だけは増えていくので、言論の質は著しく悪化しました。もう外から見ている人間もプロの言説なのかど素人のタワゴトなのかの区別もつかなくなっていて、こんな悪循環にプロが巻き込まれたのが今回の騒動の本質でしょう。

 ――社長コメントに続く、突然の休刊宣言。これで終わりにすべきでしょうか。

 斎藤 実は、もう少し推移をみようと思っていたんです。社長コメントは出たが謝罪ではないし、何が言いたいのかもよくわからない。さらに、『新潮45』自体をどうするのか、関わった編集者の処分はどうなるのかなどを見てから発言しようと考えていました。基本的には休刊してはいけないと考えていましたし、むしろこれを契機にして、謝罪したうえで何が悪かったのかを検証し「新潮社が出す右派雑誌はこうあるべきだ」と天下に示してほしかったんですね。『新潮45プラス』の精神に立ち返り、いまだからこそおとなの雑誌を出す意義は大いにあったはずです。

 休刊は最低で最悪な選択ですよ。なんの落とし前もつけずに騒がれたからやめちゃった。私は業界の人間だから優しく言ってるつもりだけど、一般の人からみたら「本をつくる資格がない」「出版なんかみんなやめちまえ」って思って当然じゃないですか。

 ――出版不況のなかで、出版社は生き残りをかけて必死です。ネトウヨ化は止められないのでは。

 斎藤 駅のキオスクとかに雑誌と新聞を卸している鉄道弘済会が10月に撤退するんです。とりあえず雑誌についてはトーハン、新聞については別業者が跡を引き継ぎますが、公益財団法人の鉄道弘済会が「儲からない」ってやめたものを株式会社がやっていけるのか。私は無理だと思うし、そうだとしたら駅構内から新聞と雑誌が消えてしまう可能性が高い。これは事実上の焚書だと思います。

 もし駅で雑誌と新聞が買えなくなったら、現実的にはコンビニと本屋しか残されていませんよね。しかしコンビニの場合は公共施設ではないから中身への介入が大きいんですよ。いまでさえ雑誌でコンビニ批判はできないのに、その傾向は加速するでしょう。なにより雑誌などの売上の半分は駅売りであり、それがなくなったら雑誌で成り立つ出版社はなくなる。そこにもってきて中身がこれでは無理してやる意味があるのかという話になるでしょう。

 ――ネット媒体は紙媒体に取って代わるでしょうか。

 斎藤 同じ中身、あるいはもっと良質な言論であれば、メディアの役割が薄らぐわけではありません。だけどネットってコマーシャルとの親和性が高く、しかも参入するのが報道を志す人ではないぶん「中身なんてどうだっていい」となりやすいでしょうね。原稿料も安くなるため、まともに取材して書ける人がいなくなり、現状に輪をかけて言説のレベルが低下します。

 ――偏見や間違った情報を見極めるリテラシーがますます重要になりますね。

 斎藤 作家の林真理子さんの夫は、大手企業で長年勤めた後に定年退職されたらしいんです。林さんの家では『朝日新聞』と『しんぶん赤旗』をとっていて、これは山梨の実家でずっとそうしていた影響で、林さんの信念になってるらしくて(笑)。でも夫が定年で辞めて家にいるようになると、「朝日なんか読むのはやめろ」と言い出してネット右翼になっちゃったと。なんでも、図書館に行くのが面倒なので、無料で読めるデジタル産経ばかり読んでいるうちにすっかり染まっちゃったらしいんですね。理屈はわかるんだけれど、あまりにも頭が悪いというか、ずっと大手企業で働いてきたいい歳こいた大の男が何をやっているんだという思いはあります。

 こうしたことって実は昨日や今日に始まったことではなくて、ネットが普及する以前からあったことなんです。1980年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」って言い出したときも、もともとこの言葉はアメリカが日本人をおだてるためにつくった言葉なのに無邪気に信じていた。もしかしたら日本はずっと空っぽのまんま、今まで来てしまったのかもしれません。

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