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3分でわかる猪瀬東京都知事辞任の顛末

2013年12月20日 08:20

勝ち抜く力
 「説明責任を果たしたつもりでしたが、疑念を払拭することができませんでした。私の不徳の致すところです」―19日の緊急記者会見で、ついに猪瀬直樹東京都知事が辞職を表明した。後任を決める都知事選は、来年1月告示、2月投・開票となる見通しだ。  昨年12月18日の知事就任から1年。徳洲会から受け取った5,000万円をめぐり、追い込まれた末の幕引きである。会見前日、2020年東京オリンピック・パラリンピック招致成功までの経緯をまとめた新刊『勝ち抜く力』(右の写真。PHPビジネス新書)を上梓したばかりだが、さすがに今回ばかりは勝ち抜くことができなかった。

作家から政治家へ 華々しく転身
 猪瀬氏は1946年、長野県飯山市で生まれた。信州大学在学中は学生運動の指導者として同大全共闘議長まで務めた武闘派。上京後、明治大学大学院で日本政治思想史を研究し、ノンフィクション作家に転じた。一躍有名となったのは、86年11月に上梓した『ミカドの肖像』(小学館)による。西武グループとその総帥・堤義明氏(今年11月に亡くなった堤清二氏は兄)について、皇族との関係を絡めながらプリンスホテルの成り立ちを描くなどして、87年に第18回大宅壮一ノンフィクション賞、ジャポニスム学会特別賞を受賞した。

 『日本国の研究』で官僚主義、特殊法人の批判を展開し、96年度文藝春秋読者賞受賞。以降は特殊法人などの廃止と民営化に取り組んだ。本格的に政治の世界に飛び込んだのは、2001年に小泉純一郎内閣の行革断行評議会に委員として名を連ねてから。翌年、道路関係四公団民営化推進委員会委員に就任し、「民営化」の旗手として名をあげた。07年から石原慎太郎元東京都知事の下で副知事を務め、昨年12月に都知事選に立候補。日本の選挙史上、個人では最多得票記録となる433万8,936票を獲得し、知事としての華々しいスタートを切った。

迷走の末
東京都庁 絶対権力の庇護の下、「突破」「言葉」「決断」「解決」の力(これらをテーマにした著書がある)でトップをよく支えてきたが、自身がトップに立つ器では無かったことを露呈したのが、辞任の引き金となった徳洲会問題での対応だ。

 11月、都知事選前に徳田虎雄氏率いる徳洲会から5,000万円を受領していたことが発覚。猪瀬氏は、「借用」したものだと強弁する。事実なら無利子、無担保、無節操の「三無」の借金だが、経緯についての説明は二転三転。業を煮やした都議会が「百条委員会」の設置を決定し、追い込まれた猪瀬氏は、後見役である石原氏との会談を経て辞任に至る。迷走の末の哀れな退場劇である。

 都政は次の都知事が決まるまでしばらく停滞する。最大の課題は、オリンピック関連。猪瀬氏が大きく絡んでいただけに、仕切り直しとなるだろうが、1,800億円と言われる新国立競技場整備における国との予算配分をどうするかなど、問題山積のままだ。立つ鳥跡を濁しただけに、次の知事となる人の責任は極めて重いものとなる。

 得意の絶頂にあった都知事の首を飛ばした徳洲会マネー。今後、政界、自治体への波紋をさらに広げていくことになるだろう。

<嵯峨 照雄>

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