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衰弱したジャーナリズム(下)―大手メディアの危険性―

2013年1月29日 10:00

 「我こそが正義」。そうした驕りが、この国のジャーナリズムを衰弱させてはいないか―前稿では、そうした視点で「知る権利」の在りかについて述べたが、大手メディアの記者たちの多くは、その「知る権利」を盾に、首を傾げたくなるような取材活動を平然と行なっている。
 とくに警察・検察をはじめ行政がらみの報道には、胡散臭いものが増えているのが現状で、そのせいか“誤報”という名の虚偽報道が横行している。
 歪んだ報道が社会を混乱させるのは言うまでもないが、こうした大手メディアの傲慢な姿勢が、一方で社会的問題を矮小化させる可能性を秘めていることにも留意すべきだろう。 
 以下、大手メディアの危険性について。

失われた「スクープ」の意義
 スクープにこだわるあまり、国民の「知る権利」とは無縁の違法行為が行われているのが、日本のジャーナリズムの現状ではないだろうか。
 警察や検察が情報源であると見られる記事―夜討ち・朝駆けと呼ばれる捜査関係者への取材によってもたらされる記事―は、“守秘義務違反”の上に成り立っていることを忘れてはならない。漏らされた捜査情報がなければ、書けない記事が多過ぎるからである。事件報道における『捜査関係者によれば』との記述は、“情報源の秘匿”という隠れ家から生み出される言い訳なのだ。
 背景にあるのが警察上層部と記者クラブの癒着体質であることも、病巣の深さを物語っている。

 昨年7月、読売新聞の記者(当時)が、報道他社の記者に福岡県警幹部から得た県警不祥事に関する捜査情報(いわゆる「取材メモ」)を誤送信。“情報源の秘匿”という報道の原則を損なう失態を演じ免職となったほか、西部本社の社会部長や編集局長(更迭)などが処分された。
 ただし、この騒ぎにおける最大の問題点は、メールの誤送信で損なわれた“情報源の秘匿”ではなく、捜査情報が安易に報道関係者に垂れ流されるという現実にある。

 福岡県警の不祥事に関する記事をめぐっては、同じく読売新聞が、県警本部長名の職務質問に関する通達(職質マニュアル)が、指定暴力団・工藤会への捜索で見つかっていたとする記事を1面トップで紹介。その後、誤報であることを認め訂正記事を掲載していた。
 いずれの問題も、県警警察官の不祥事を追う中で、スクープに焦った末の結果である。

 やがて発表される内容を、他社より早く報じることに、何の意味があるのか分からない。ただ“早い”、ということがスクープではないはずなのだが、昨今の大手メディアの記事には、裏付けもないまま聞いた話に依拠するという、程度の低いものが目立つ。直近では、iPS心筋を移植したという読売の大誤報が記憶に新しい。
 「誤報」と言えば聞こえは良いが、前述の警察ネタといいiPSといい、むしろ“虚偽報道”の領域に近い。

 ロッキード事件における調査報道、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件報道などは、賛辞を贈るに相応しいものだった。しかし、警察・検察がらみの報道の多くは、いわゆるリークに頼るものばかりで、下手をすれば事件の構図を変えてしまう危険性さえはらんでいる。

 報道が権力の監視機能を持ち続けるためには、政治や行政を抉るような記事こそ必要なのであって、公表事項を抜け駆けして報じることには何の意味もない。いまの“スクープ報道”は、大手メディアによる自己満足の結晶なのだ。
 もはや、この国の大手メディアにとって、スクープは国民のためではなく、メディアとしての力を誇示するための材料に過ぎない。

幼稚な報道姿勢
 今月14日、読売新聞は『九州のM7級活断層、従来の8か所から倍増』という見出しで、政府の地震調査委員会による活断層再評価に関する記事を掲載した。
 同委員会が行ってきた活断層再評価の九州地域分で、マグニチュード7以上の大地震を起こす可能性がある活断層が従来の8か所から倍増するという内容だ。
 記事にはさらりと《原案が判明し》~《倍増することが分かった》と書かれていたが、この情報の出所は明かされていない。

 記事の内容は正確なのか?念のため、所管する文部科学省に関連文書の情報公開請求が可能かどうか確認をしたところ、「公表するまで開示はできない」と言う。
 それでは読売新聞が報じた活断層再評価の情報源はどこかと尋ねると、「内部の者から聞き出したんでしょうね」という返事だった。
 何のことはない。読売の記事は、守秘義務違反をそそのかしたか、あるいはまた政府関係者からのリークによるものだったのである。

 記事に添付された九州の活断層を示した地図には、左下に《無断転載・複製を禁じます》と記されており、クリックすると『著作権について』のページにジャンプした。そこにはこうある。  

《読売新聞やDAILY YOMIURI、ヨミウリ・オンラインに掲載している記事や写真などは、読売新聞社の著作物で、日本の著作権法や国際条約などで保護されています。原則として、著作権者である読売新聞社の承諾を得ずに、読売新聞やヨミウリ・オンラインの記事や写真、図表などをコピー、転載、インターネット送信などの方法で利用することはできません》。

 政府の情報を正式公表前に抜け駆け報道しておきながら、自分たちの記事は法律で守られているから勝手に使うな、ということだ。人のモノを横取りしておいて、返さないと駄々をこねる子どものごときもので、傲慢というより幼稚と言った方が妥当なのである。

体罰報道への疑問  
 歪んだスクープを容認するような大手メディアの傲慢な報道姿勢が、社会的な問題を矮小化させていることにも気付くべきだ。

 大阪市立桜宮高校の男子バスケットボール部主将が、男性顧問から暴行を受けたことが原因で自殺した。この報道以来、大手メディアは競って部活動における体罰事案を掘り返しており、今週は駅伝有名校での体罰などが報じられている。
 部活=体罰の巣窟といった構図だが、問題は部活動の現場だけで起きているのではない。

 HUNTERは昨年、福岡市教育委員会から、平成21年度と22年度の市立小・中学校における体罰事案の事故報告書などを情報公開請求によって入手した。事故報告は2年間で31件分。そのうち部活がらみは5件に過ぎない。今週報じる予定の県立高校における体罰事案も同様で、部活がらみは少ない。体罰の多くは教室を中心として起きているのだ。

 いったん走り出せば、独自の視点が影を潜めてしまうのがこの国のメディアの特徴。部活における体罰ばかりに注目が集まっているが、これは明らかに報道がリードした現象だ。これでは、暴力行為が教育現場全体で起こっているという現実を見失いかねない。 

 体罰とは、文字通り悪いことをした者に下される罰であって、部活のミスや児童・生徒のちょっとした間違いに暴行を伴う罰を加える必要はない。なにより、殴る、蹴るが教育的な指導の一部であるはずがない。
 「体罰」という言葉自体が、公務員のお上意識の表れであって、つまりは「暴行」のことだ。教員には、子どもを裁く権限や、ましてや身体を傷つけていいというような法的根拠も与えられていない。
 だが、大手メディアが単なる暴行を「体罰」として報道すればするほど、違法行為に教育的指導という逃げ道を与える結果を招いてはいないだろうか。
 部活動ばかりに注視する報道の在り方と並び、再考する必要がありそうだ。

メディアの責任
 昨年暮の総選挙で自民党が圧勝、安倍第二次内閣が発足した。筋書きを書いたのが読売、産経といった右寄りの報道機関であったことは論を俟たない。
 その後も、安倍政権の方針を支持する記事を連発、その甲斐あって安倍政権の支持率は70%近い驚異的な数字をたたき出している。霞が関と自民党、そして右寄り報道機関にとっては笑いが止まらぬ状況だ。 

 政界や財界に寄りそう読売や産経に客観報道を名乗る資格などもともとないのだが、それにしても行過ぎた結果に責任が持てるのかというと、決してそうではなかろう。
 端的に言えば、「アベノミクス」とやらが失速し、実体経済への効果が薄いと分かった瞬間、部数維持のために政権叩きを始めるに違いない。そうしなければ、この国のジャーナリズムの危険性や自らの責任を糊塗することができなくなってしまうからだ。

 この国のジャーナリズムが衰弱する一方なのは、国民の側に立つという本来の姿勢を見失っているからではないのだろうか。とくに大手メディアには、危険な兆候が多すぎる。



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