桜を見る会を巡る国会審議で「募ってはいたが、募集はしていない」の迷言を放ち国民の冷笑を買った安倍晋三首相が、今度は野党議員に「嘘つき」を連発し、幼稚な体質を露呈させた。
同じ質疑の中で首相は、「人としてどうか」とも発言。都合が悪くなると相手を罵倒して話をそらす、いつもの悪い癖だ。
第二次安倍政権の発足以来、数の力にモノを言わせ、嘘とでっち上げで国民を欺いてきた首相――。果たして他者に「嘘つき」、「人としてどうか」などと言えるのか?
■「嘘つき」は誰か
2014年5月、集団的自衛権の行使容認とそれに伴う解釈改憲を閣議決定した安倍首相は、会見で集団的自衛権を行使する必要性を説いた(*下の写真)。パネルには、邦人を乗せて紛争地域を離脱する米艦の絵――。米艦防護のための自衛隊出動は邦人を守るためだという筋立てだったが、その後の展開をみれば、その主張自体がでっち上げに近い話だったことは明らかだ。安倍が集団的自衛権の行使容認に踏み切ったのは、米国の要請に応えると同時に、日本を“戦争ができる国”にするための準備だった。
特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、安保法制、森友学園と加計学園の問題――国民の声を無視して一連の課題を強行突破してきた首相は、支持率が急落するたびに「真摯に受け止める」「丁寧に説明していく」と明言して、急場をしのいできた。しかし、「真摯」「丁寧」はその時だけの言葉。真摯な姿勢も、丁寧な説明も実行されたためしがない。「嘘つき」は、多くの国民が安倍首相に対して抱いている感想であり、「人としてどうか」は、首相をはじめとする自民党の議員たちに向けられるべきだろう。
■「人としてどうか」が問われる方々
先月、国会で選択的夫婦別姓導入を訴える野党の質問に「だったら結婚しなくていい」とヤジを飛ばした自民党の杉田水脈衆議院議員。2018年には、月刊誌「新潮45」(杉田問題が原因で休刊)に寄稿した一文の中で、『LGBTのカップルは生産性がない』と主張していた。
懲りないところは、確信犯的な差別主義者である証拠。議員辞職が求められて当然の愚行であるにもかかわらず、本人は取材から逃げ回り、国会議員の座にしがみついている。
首相の無責任さが自民党から政治家の矜持を奪ったらしく、杉田氏の他にも国民を呆れさせる議員が後を絶たない。
昨年10月には、公設秘書が地元の有権者に香典を渡したとして、公職選挙法違反(買収)の疑いが指摘された菅原一秀経済産業大臣が辞任。その6日後には、今夏の参院選広島選挙区で初当選した河合案里氏の陣営が、ウグイス嬢に法定額を超える人件費を支払っていたことが発覚し、案里氏の夫で衆議院議員の河井克行氏が法務大臣を辞めた。
菅原氏と河合夫婦の3人は、今年1月の通常国会開幕まで雲隠れ状態。議員としての責務を果たさず、歳費をもらい続けている。
「嘘つき」で忘れてはならないのが、カジノ利権に絡む収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕、起訴された秋元司衆院議員。議員辞職もせず歳費をもらい続けている秋元被告は、逮捕前にテレビカメラの前で、「そんなはした金、もらわねぇ」と吠えていた。
安倍に杉田、菅原、河合夫婦に秋元被告――。無責任政治の象徴ともいえる連中にこそ、「人としてどうか」が問われている。