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危険な政権

2019年12月20日 09:10

51aab0cdfd7ebf366305f4c0de115bc0fc4f6205-thumb-280xauto-21489.png 文部科学省が、来年度から始まる大学入学共通テストで実施予定だった国語と数学の記述式問題について、導入見送りの方針を決めた。英語の民間試験導入延期に続く失態で、入試改革の目玉となった新制度に瑕疵があったことを認めた形だ。
 見送り方針を公表した萩生田光一文科相は「受験生のため」だと格好をつけたが、混乱を招いたことの責任をとって辞任する覚悟はない。「責任はある」と明言しながら責任をとらない安倍晋三首相そっくりの姿勢に、うんざりしている国民は少なくないだろう。
 ただし最大の問題は、入試改革を推進してきた安倍政権の閣僚や副大臣たちが、そろって危険思想の持ち主であるということだ。

■無責任政府の下、頓挫した入試改革
 安倍政権による政治主導が、いかに危ういものであるか――それを一番理解しているのは、高校生かもしれない。

eb61060b71257ebffa46419f7f5568f47f9a4da7-thumb-240xauto-28293.png 政権が掲げた大学入試改革の二つの柱が、実施まで1年という時期になってぽっきり折れた。大学入学共通テストへの英語の民間試験導入も、国語・数学の記述式問題導入も事実上の無期延期。税金を使って議論を重ね、決められた方針が、萩生田氏の「身の丈」発言でひっくり返るというのだから呆れるしかない。(*右の写真は萩生田氏の公式HPより)

 教育現場の声を無視して、いいように入試をいじったのは業者とつるんだ一部政治家と文部官僚だが、責任をとってやめる関係者は一人もいない。

 混乱を招いた張本人である萩生田文科相は、方針転換を公表した会見で「責任」という言葉を口にしたが、本当に自覚があるとは思えない。「責任がある」と分かっているのなら、辞任するのが筋だからだ。「受験生のため」を強調しているが、実際のところが“責任回避”の方針転換であるため、受験生に対しての“心からのお詫び”は一切なかった。

■極右政治家たちが大活躍
img02.jpg 民間企業を活用する入試改革を熱心に進めたのは、首相と近い下村博文元文科相。周知の通り、萩生田氏も安倍側近だ。二人には、安倍シンパらしく“右寄り”という特徴もある。(*右の写真は下村氏の公式サイトより)

 下村氏は文科相在任時の2014年4月、国会で「教育勅語を学校で教材として使うことは差し支えない」と答弁、さらに会見で「教育勅語そのものの中身はしごくまっとうなことが書かれている」と発言して物議を醸した。

 萩生田氏も大臣就任後、教育勅語を「参考になる」と発言。議員会館の事務所に、教育勅語を掲げていたことも分かっている。

 “類は友を呼ぶ”というが、極右の首相の下には極右の政治家が寄り集まる。教育勅語に関する大臣や副大臣の問題発言をまとめると、ほとんど安倍政権になってからのものばかり(下の画像参照)。しかも、菅義偉官房長官を除く全員が、右寄りタカ派の旧福田派・清和会の流れを引き継ぐ細田派なのである。(*議員の画像は自民党HPより。肩書は発言当時)
 
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 教育勅語は、教育の根本理念を示すとして1890年(明治23年)に明治天皇が内閣に下賜される形で発布されたもの。明治憲法の精神を補強するため、「教育」という言葉を借りて「滅私奉公」を奨励したのが教育勅語の本質である。現行憲法や教育基本法とは相容れない内容であり、1948年(昭和23年)6月、衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」を、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議し、教育勅語と決別している。

 時代錯誤の教育勅語を信奉し「従軍慰安婦や南京大虐殺などなかった」と強弁する偏狭なナショナリズムの持ち主たちが、文部科学省という教育の大本山でトップである大臣や副大臣を務めてきたことの危険性に、国民は気付くべきだ。教育勅語で子供たちを国家に隷従するよう仕向けた戦前の日本が、どうなったか――。



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