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「英語教育の歪みは国の責任」――現役高校教師の声

2019年12月16日 08:40

DSCN0298.JPG 来年4月に予定されていた大学入学共通テストへの英語民間試験導入が、世論の猛反発を受けて延期された。国民の怒りを招いたのは萩生田光一文部科学大臣の「身の丈」発言だったが、受験生の一生に関わる問題であるにも関わらず、誰もドタバタ劇の責任をとっていない。
 文科省は、「読む・聞く・書く・話す」という英語の4技能を総合的に育成することが重要で、大学入試においては、高等学校段階までに育成した4技能を適切に評価することが必要だと説明してきた。しかし、中学、高校で6年間、さらに大学で数年間の英語教育をうけても日常会話さえ満足にできないという現状を容認してきたのは他ならぬ文科省ではなかったのか――。現役の高校教師に、英語教育の問題点について聞いた。

■「議論する機会」の重要性
 英語教育の問題点について話をしてくれたのは、九州のある中核都市で高校の教壇にたっている40代の男性英語教師。入試英語の民間試験導入が延期されたことに「ほっとした」としながら、国の姿勢を厳しく批判した。

記者:中学、高校、さらには大学でも英語を学ぶんですが、大半の日本人が英語を話せません。外国人から道を聞かれて、すんなりと教えることができる人は少ないのではないでしょうか。最低でも6年以上、英語の授業を受けているのに、話せないのはなぜでしょう?
教師:文法を重要視し過ぎた英語教育に間違いがあったということです。ただ、見落としてはならないのは、母国語である日本語の訓練ができていないこと。議論する機会が不足しているため、生徒たちに自分の意見を述べる習慣が身についていない。相手の言葉を咀嚼する力も落ちている。英語だけを強化するのではなく、国語の力を伸ばす方向にもっていかないとだめです。

記者:なるほど。ですが、昔から“会話の習得もできない日本の英語”だったと思うのですが?
教師:それは言えてます。話すことができない外国語なんて意味がないのに、日本の英語教育は、文法を教えることばかりに力をいれてきた。イギリスやアメリカの人全員が、日本の高校英語の試験を受けても100点はとれない。そんな難しい英語を勉強している日本の子供たちが、英会話ができないというのはおかしな話ですよね。そこにもってきて国語力の低下――。文科省があわてるのは当然でしょうが、もともとの学習指導要領が間違いだったとことに、何の反省もない。元凶は文部科学省ですよ。

記者:「議論する機会」について、もう少し詳しくお願いします。
教師:小学校のうちは結構自分の意見を言う機会や話し合う場面があると思いますが、中学校からは自分の意見を述べる場面が減っていくのが現状です。知識の伝授、インプット過多の教育がほとんどになっているから、議論を尊重しない。その時間がない、と言った方が正確でしょうが。

 英語では昨今、WritingやSpeakingの重要性が説かれ焦点が当てられようになりましたが、国語にせよ社会にせよ、議論・ディベートはほとんど行われておりません。英語検定で、環境やエネルギーをはじめ、社会の諸問題がWriting、Speakingで問われてはじめて、生徒はそれらの問題を考えた、ということも少なくありません。

 ちょっと方向を変えて考えてみましょう。「学校は社会の鏡」とよく言われますが、大人社会が「物言えば唇寒し」で、忖度に忖度を重ねるような閉塞感に支配された社会であれば、学校においてもおのずと自由闊達な議論が減り、人前での意見発表などができなくなるものです。日本人は、ただでさえ同調圧力の強い国民性だと言われます。そこに加えて、管理・統制教育を推進するいまの政権のようなことをやっていると、教職員も生徒も自由にモノが言えなくなります。実際、16歳の環境活動家、グレタ・トゥンベリさんのような行動は、日本の生徒たちには許されないでしょう。

■教育の歪みを招いた安倍政権
記者:国の、というより時の政権が果たす役割が大きいと――。
教師:国が、これまでの英語教育がうまくいかなかったことを、本当に丁寧に分析、総括をしているとも思えません。それができていないのに、文科省――つまり安倍政権は、土足で教育現場に踏み込んで、「読む・聞く・書く・話す」だなんだのといって民間試験を受験性に押し付けた。喜んだのは、一部の政治家とベネッセだけだったのではないですか。安倍さんの政権が長く続いたことで、入試改革がおかしなことになったのは事実でしょう。国語や数学の「記述式」も先送りされましたが、ここでもベネッセの影がチラつく。教育の歪みを招いたのは、安倍政権だと言っても過言ではない。

記者:厳しい指摘ですね。それでは、具体的に、教育をどう変えるべきか。
教師:難しいことを言うつもりはありません。英語が得意な北欧諸国をはじめ、西洋諸国では外国語教育はそもそも少人数で行われています。日本もこの点は学ぶべきです。また、外国語に限らず、教育の中心は議論や意見交換にあります。日本の、ただモデルを書き写す、真似るだけのカーボンコピーのような教育ではありません。そこも変えるべきだと、私は思います。難しい理屈はいらないのです。

 その上で、環境を整える。知識としての英語が備わっていても、それを使いたい、使わなくてはならないという状況がなければ、英語が話せるようになるはずがありません。これは、コップがあっても、中に入れる水がないのと同じです。日常の中で生徒自身が考え、発想する訓練、さらには自分の言行を支える価値観、核となる信念を形成できるように環境を整えていくことが大事だと思います。国がやるべきは環境整備であって、業者の利益にしかならないような入試改革ではない。入試に混乱をもたらした文科省はもちろん、政府与党は猛反省して欲しいですね。



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