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鹿児島知事選「政策合意」の真相(上) 原発専門委は三反園氏側が提示
―平良行雄県議インタビュー―

2019年12月24日 09:30

DSC06031.JPG 来年夏の鹿児島県知事選に向けて、現職・三反園訓氏が立候補を表明、他に鹿児島大学特任助教の有川博氏と九州経済産業局長を退任した塩田康一氏が出馬する意向だという。
 15~20万票を持つといわれる反原発派の動向に注目が集まる状況だが、2016年の知事選では、ほとんどの反原発票が三反園氏に集まった。反原発派の代表として出馬する予定だった平良行雄氏(現・県議会議員)が、三反園氏と原発に関する「政策合意」を結び、候補者一本化に応じたからだ。
 県政の流れを変えた「政策合意」は、どのように結ばれたのか――。鹿児島市内で平良氏に当時を振り返ってもらった。
 
■候補者一本化協議までの経緯
 2016年の鹿児島県知事選で三反園訓氏に勝利をもたらしたのは、反原発派と三反園陣営による“候補者一本化”。4選を目指していた伊藤祐一郎前知事による強権的な県政運営に嫌気が差した有権者の受け皿となった三反園氏は、自民党が公認並みの扱いで支援した現職に8万票以上の差をつけて初当選する。
 反原発派と三反園陣営をつなぐ接着剤の役割を果たしたのは、川内原発の廃炉を前提に交わされた「政策合意」だった。

記者:はじめに、政策合意の前段階について教えて下さい。平良さんが立候補表明をなさった頃、ということになりますが……。
IMG_3551 (002).JPG――当初、現職の伊藤氏と三反園氏の2人が立候補表明をしていましたが、原発問題については全く争点になっていませんでした。そうした中、県内で反原発運動を進めてきたグループから「原発立地県で原発問題が争点にならない知事選は有り得ない!」との声が上がり、候補者を擁立することになったんです。白羽の矢が立ったのが、私だったというわけです。

 地元紙の報道にうながされる形で立候補を表明した当初は、話題の候補というわけではなかったのですが(笑い)、その年4月の熊本地震によって状況が一変し、原発問題が争点として急浮上しました。皆さんご承知の通り、三反園氏が“脱原発”を口にするようになったのは、それからです。(*写真は、事務所で語る平良県議)

記者:政策合意を交わし、候補者一本化を実現させるまでの経緯についてですが、たしか、いったんは物別れに終わったと記憶しているのですが。
――私が正式に立候補表明の記者会見をしたのは、2016年5月19日です。会見前から候補者一本化を求める声が寄せられていたのですが、正式表明後はその声がさらに大きくなっていきました。三反園氏と私に票が割れれば、伊藤(祐一郎)前知事の4選を阻むことができなくなるからです。そこで、5月末を期限に一本化協議を行うよう三反園氏側に申し入れを行ったのですが、期限までに回答がなく、いったんは物別れに終わりました。

記者:初めは平良さんたちの方から、一本化協議を申し入れた?
――そうです。ですが、反応がなかった。

記者:物別れというより、協議にも入っていなかった?
――そうなんです。反応がないから、候補者一本化には興味がないんだなと思っていました。三反園さんに、選挙で勝つという自信があったということなのか、反原発派とは手を結びたくないと思ったのかは分かりませんが……。

記者:協議再開のきっかけは?
――6月になって、2012年の知事選で20万票を集めていた反原発・かごしまネット事務局長の向原祥隆さんのもとに、三反園氏の代理人だというある国会関係者から連絡があったんです。「一本化協議を行いたい」と。

記者:すぐにその話に乗ったんですか?
――いったんは流れた話でしたし、こちらからの呼びかけに返事もなかったわけですから、“はい、お待ちしてました”というわけにはいきません。私たちは、戦う覚悟でいましたし。ところが、その国会関係者から「平良さんを含む反原発メンバーを入れた専門委員会を設置する」という具体的な、しかも興味深い提案があったので、協議に応じることになったんです。

記者:専門委員会の設置を最初に言い出したのは、その国会関係者だったのですか?
――そうです。専門委員会の設置という提案がなければ、一本化協議は実現していなかったと思います。

記者:その国会関係者の存在が大きかったというになりますね。
――もちろん。それまでに、いったんは物別れになっていたわけですし、こちらは既に選挙に向けて走り出していたんですから。仲介者の動きがなければ、協議にはなっていなかったですね。

記者:その国会関係者とは?
――それは、当人との約束で公表しないことになっているので……。

記者:質問を変えましょう。原発の専門委員会を設置するという提案は、やはり重い意味があったということですか?
――そうですね。鹿児島県としては画期的なことです。それまでは、伊藤前知事の、ほとんど独断で原発行政が進められていましたから。私たちの意見が県の原発行政に反映されるということなら、一歩も二歩も前進ということになりますからね。

記者:なるほど。それから顔を合わせての協議ということになるのでしょうが、何回程やったのですか?
――向原さんは、調整のために仲介者と事前に会っていたのではなかったかと――。私も含めた実際の協議は1回です。

記者:協議は1回きりですか?
――1回きりです。

記者:場所と参加者を教えて下さい。
――協議を行ったのは市内のホテルでした。かなり遅い時間までやったと記憶しています。参加者は4人。当方は向原さんと私。先方は三反園氏と仲介役の国会関係者の2名でした。

記者:他に参加者は?
――いませんでした。4人です。

記者:協議は、どんな雰囲気で始まったのでしょうか?
――緊張感がありましたね。その協議の行方次第で、知事選の構図が変わるわけですから。向こう(三反園氏)も必死だったんでしょうが、私も向原さんも必死。三反園さんの言うことを、一言も聞き漏らすまいと構えてました。
                                                            (つづく)



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