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候補一本化、会見拒んだ三反園氏 
鹿児島知事選「政策合意」の真相(中)―平良行雄県議インタビュー ―

2019年12月25日 08:20

72432_20190523151130-1-thumb-180xauto-28671.jpg  2016年の鹿児島県知事選で、4選を目指していた現職・伊藤祐一郎氏の厚い壁を崩すきっかけを作ったのは、熊本地震で県民が感じた“川内原発に対する脅威”だったと言えるだろう。伊藤前知事の強敵的な県政運営への反発と原発政策の転換を望む声が、「政策合意」を経て一つにまとまったことで、大きなうねりを生み出す結果となった。
 候補者一本化が奏功した典型的なケースだったが、その過程では三反園訓という希代のペテン師が、口から出まかせを繰り返していた。
 「政策合意」の当事者である平良行雄県議会議員(右の写真)へのインタビューは、三反園氏側と反原発派による協議当日の様子へと進む。

■何度も「信じて下さい」
 2016年6月15日。鹿児島市内のホテルの一室に集まったのは4人。反原発派からは、2012年の知事選で20万票を集めた反原発・かごしまネット事務局長の向原祥隆氏と平良氏、三反園陣営からは三反園氏本人と仲介役の国会関係者だった。ここで、候補者一本化に向けた協議が始まる。焦点となったのは、「政策合意」の内容だった。

記者:三反園氏の代理人から向原さんに、「反原発メンバーを入れた専門委員会の設置」という提案があったことを受けての協議ということでしたが、政策合意文書の内容は三反園氏側から示されていたんですか
――ペーパーをもらったのは当日でした。15日。読みながら、疑問点や問題点を整理しました。

記者:一番の問題点はどこにあったんでしょうか?
――「専門委員会」の設置目的がハッキリしなかったことです。何のための委員会か、ということ。原発にお墨付きを与えるための御用組織を作るのなら意味がないですし、それは逆に脱原発を遠のかせることになる。それこそが重要だと考えた私は、三反園さんに「専門委員会設置の目的は何か?」と尋ねたんです。

記者:三反園氏は何と?
――三反園氏は私の眼をじっと見て、「(川内原発を)廃炉にするためです」と明確に答えました。いささか芝居がかってはいましたが、真剣なまなざしでした。

記者:信じたわけですね。
――彼は、“反対派を入れた専門委員会”を設置するということについて、何度も「私を信じてください」と言いました。本当に何度も何度も「信じて下さい」。あの態度を見て、信じない人はいないと思いますよ。

記者:そこですぐに合意文書に署名ということになったんですか?
――いえ、文言について多少添削し、それをいったん持ち帰って、ということになりました。とても一発で呑めるものではなかったんです。ですから、16日に私どもの事務所に関係者が集まり、三反園氏側から出された合意文書の内容について検討し、文言などの細かい修正を再度行ったんです。それを、向原さんが三反園氏側と電話で協議し、内容を詰めていきました。

記者:なるほど、協議は1回と言われたのは、そういうことですね。で、17日に署名したと……。
――それも簡単にはいかなかったんです。私どもが出した条件は、政策合意と記者会見がセット。合意文書に署名するにあたっては、記者会見の実行が担保されていなければなりません。もちろん、それには理由があったんです。

記者:というと?
――三反園さんの言葉が、やはり、いまひとつ信用できなかった。ですから、政策合意のうち、専門委員会の設置と私たちのグループから委員を出すということを、きちんと会見で明言してもらう必要があったんです。それを三反園さんが嫌がった。もの凄い抵抗でしたよ。

記者:駄々をこねた?
――そんなかわいいもんじゃないですよ。共産党の中央に誰かを通じて泣きついたらしく、状況確認の連絡がきたほどでした。どうなっているんだ、と。こちらとしては、市民を困らせているわけではない。きちんと説明したところ、“分かった、任せる”と理解してくれました。すったもんだは、会見の直前まで続いていましたけど。

記者:三反園氏は、会見で証拠を残すことが嫌だったということでしょうね。
――頑として会見を承知しなかったので、協議打ち切りを通告したんです。共産党中央への働きかけも失敗。そこで渋々会見を承知したという感じでした。でも、抵抗はまだ続いたんです。

記者:どんな抵抗だったんですか?
――会見は開くが、平良10分、三反園10分で、別々にやると言い出したんです。

記者:芸能人の離婚会見みたいですね。
――そうですよね。これから婚約するのに、別々に記者会見をやるカップルはいないですよね(笑い)>

記者:結局、二人並んでの会見でした。
――三反園さんは、いやそうにしてましたね。終わって、握手もせずにさっさと会見場を出ていきましたから。大人げなかった。

向原氏.jpg ここまでの経緯については、候補者一本化協議に立ち会った向原祥隆氏(右の写真)が、こう証言している。
「候補者一本化までの経緯は、平良さんが県議会などで明かしてきたとおりです。間違いありません。政策合意にあたって三反園さんがおっしゃったこと――『廃炉』も、『私を信じて下さい』も、『反原発派も検討委員会に入れる』も、すべて本当。『私を信じて下さい』は3回も4回も聞きました。もうひとりの立会人も、しっかりと聞いていたことです。三反園さんは一連の発言について『記憶にない』などと言っていましたが、彼を除く3人が聞いているんです」

 政策合意文書の日付は6月17日。この日、平良氏と三反園知事は県庁で記者会見に臨んだが、その裏で両者の激しいやり取りがあったことを、ほとんどの県民は知らない。

 知事に就任した三反園氏は政策合意を反故にし、「原発の検討委員会に反原発派を入れると言った記憶はない」と言い出す。反原発派の懸念が的中することになったのだが、会見の中で三反園氏自身は、次のように発言していた。
「あの合意文書見ていただければ分かるんで、まず合意文書見ていただかないとですね。つまり、原子力の検討委員会ってのを設けるんですよね。これはその幅広く有識者に入ってもらいますから、いわゆる反原発の方々、そしてまぁ幅広いいろんな方に入っていただいて、公平公正中立な形の中でですね、県民は何を思っているんか、避難道路も含めてですね、いろんな面について、そこで検討していただく」
 
 本当に記憶にないのなら、三反園氏の病状は相当に重く、知事を続けることなど不可能だ。覚えていて“嘘”をついているとすれば、政治家以前に人として最低。もちろん、辞任に値する県民への裏切り行為だろう。このあとの平良氏の話で、三反園訓氏の醜い姿がより鮮明になる。
                                                            (つづく)



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