「県民党(の車)は今日、どこ回ってんの?」――。2016年7月、鹿児島県知事選挙に立候補していた三反園訓氏が、選挙カーの中でウグイス嬢に尋ねた。選挙戦中盤を過ぎ、“三反園優勢”が伝えられる情勢となっており、「候補者はご機嫌だった」と同乗していたスタッフは振り返る。
県民党は、知事選の告示(6月23日)直前だった同年6月16日に設立された政治団体。選挙期間中、一定の政治活動が許される「確認団体」として街宣活動や政策ビラの頒布を行っていた。
先月の県議会質疑で三反園知事は、その県民党について聞かれ「まったく存じておりません」とうそぶいた。虚偽答弁である。
■「県民党」の活動実態
「確認団体」とは、選挙期間中、当該選挙区内で一定の政治活動が許される政党または政治団体のこと。立候補届出時に候補者が「支援候補者となることの同意書」を提出することで、活動が認められる仕組みになっている。下が、鹿児島県選挙管理委員会への情報公開請求で入手した三反園氏の同意書のコピーである。
当時選挙カーのハンドルを14日間握った男性スタッフの証言によれば、選挙期間中、県民党は連日「街宣カー」にウグイス嬢を乗車させ、県内各地で「三反園訓」を連呼して回ったという。街宣は、三反園氏本人が乗る「選挙カー」と連動しており、行程が重ならないようにするため、陣営の選対本部がすべてを管理していたと明言している。
陣営のウグイス嬢は7人で、ローテーションを組んで選挙カーに3人、県民党の街宣車に3人を分乗させていた。今日選挙カーに乗ったウグイスは、翌日県民党の街宣カーといった具合だ。
選挙カーも県民党の街宣カーも、夜間の駐車地は鹿児島市城南町にあった選挙事務所の敷地内。泊まり日程で市外に出た時以外は、いつも並んで停まっていたことが確認されている。
「県民党」の活動が区別されていたのは、あくまでも便宜上のこと。実際には、陣営全体が行う選挙活動の一環だった。候補者本人がその実態を承知していなければ、現場の選挙活動に支障が出る。「存じていない」という状況自体が、あり得ない話なのだ。だが……。
■繰り返される「虚偽答弁」
先月25日の鹿児島県議会、自民党の議員から知事選でその県民党について聞かれた三反園知事は、不愉快そうにこう答弁した。
「候補者というものは、必死で走り回っているものであります。どういう形で県民党ができて、県民党が具体的にどのような活動をしているか、まったく存じておりません」
じつは三反園氏、2017年6月の県議会で別の県会議員から県民党のチラシを見せられた上で、次のように聞かれていた。
県議:私、このチラシを見せました。「四選はダメ!」というこのチラシ。知事の(陣営の)幹部の方が選挙の際に、「これは最後にとどめとして使いましょうね」と言ったんですよ、この記事を。知事、県民党と知事との関係は以前聞かれましたけれどもね、全然関係ないような言い方をしましたけれども。どうなんですか、県民党との関係は。この質問に対する知事の答えは先月議会の時と同じ、「候補者というものは必死で走り回っているものであります。まったく存じておりませんし、関係もございません」というものだった。
議場で県議が掲げたチラシが下。裏と表である。
三反園氏は、二度にわたってこのチラシも県民党の活動内容も「まったく存じておりません」と断言したことになる。ならば下の写真についてはどう言い訳するのだろう。
これは、選挙戦の最終日となった2016年7月9日、鹿児島市の繁華街・天文館で当時の三反園支持者が撮影した写真である。選挙カーの壇上で手を振っているのが三反園氏、そばに立っているのが「みたぞのさとし後援会」の当時の会長だ。選挙カーと連なって停車しているのが県民党の街宣カー。赤い円で示した部分に見えているのが、その場で配られた上掲のチラシである。
当時の選挙スタッフの証言によれば、会場を盛り上げる目的で選挙カーと県民党の車を2台並べて街宣したことが、選挙期間中で少なくとも4回はあったという。食事を共にすることもあったようで、「伊佐市の公園駐車場にあるレストランで、三反園さんと選挙カーと県民党の車のウグイスが、そろって昼食を食べたことを覚えている」と話している。
県議会で県民党について聞かれ、「どういう形で県民党ができて、県民党が具体的にどのような活動をしているか、まったく存じておりません」と断言した三反園知事――。県民党と自分の関係を否定し続ける理由はまるで分らないが、県議会答弁は明らかな虚偽だ。三反園知事は、「嘘つきは泥棒の始まり」ということわざを知っているのだろうか。