鹿児島県南大隅町の森田俊彦町長に、県立高校の寮整備にかこつけて知人の不動産物件を公費で買い取らせた疑いが浮上した。
同町への情報公開請求を通じて明らかになったのは、公的事業の正当性を証明する「決裁文書」も作成せぬまま、バタバタと進められた寮整備の実態。町長の知人が所有していた不動産を、寮の整備地に決めた経緯が秘匿される一方、事前の裏交渉をうかがわせる議会答弁の記録だけは残されていた。
違法性が問われる公費支出を主導したのは、デリヘル接待や金銭スキャンダルといった数々の疑惑にまみれてきた森田町長である。(写真が森田町長)
■事業費約8,000万円 ― 入寮者ゼロの現実
公文書の隠蔽に走る役場のせいで不確かな数字ではあるが、南大隅町南大隅高校自転車部の寮整備にかかった公費の額は、確認できただけで約7,300万円(下の表参照)。合併特例債を利用した事業だが人口およそ7,700人、一般会計予算約70億円の同町にとっては、かなり大きな負担だ。
“費用対効果”の点から考えれば、生徒寮整備が良策だったと言い切れる状況にはない。定員16名の男子寮には現在10名の寮生がいるが、今年4月に開所した女子寮は、4カ月経ったいまも入所者ゼロの状態が続いている。新築した女子寮は、需要を無視した箱モノ行政の典型。つまりは、無駄な公費支出だったということになる。不適切支出は、当然「住民監査請求」の対象である。
■決裁文書不存在の意味
不適切支出の証拠はまだある。南大隅町への情報公開請求で明らかになったのは、事業経過を示す公文書の不存在。寮整備を進めるにあたっての理由や経緯を記した、いわゆる「方針決裁」の文書は作成されておらず、責任の所在が明確になっていない。そのため、事業を所管する町教委の課長でさえ「当時のことは分からない」というのが実情だ。
さらに、寮の整備地選定が適切に行われたことを証明する決裁文書も不存在で、これが疑惑を決定付ける原因になっている。
■あり得ない事業経過
隠されていた議会向け経過報告書と議会議事録の記述から明らかとなったのは、一連の経緯が森田町長主導によるものだったということ。平成27年6月11日の町議会で、『内々で……民間の方々の所をお借りしてやれないか』と町長が寮整備の“裏話”が進んでいることを披露したあと、わずか8日で旅館「根占荘」の所有者と1回目の協議を行い、即日寮整備について基本合意していた。町長が議会で漏らした“民間の方々”が、根占荘の所有者だったことは言うまでもあるまい。ここで、もう一度議会向け経過報告書を確認してみたい。(*赤の書き込みはHUNTER編集部)
乱暴な経過報告だが、事業の不透明さを証明する文書であることは確かである。前述した通り①の段階で寮整備を行うという方針決定があったはずだが、それが何時、どのような場で行われたものか全く分からない。
②で唐突に「根占荘」が登場するが、用地選定過程も理由も不透明。町有地との比較を行った形跡もない。議会答弁で町長自らが明かしたように、初めから“民間の方々の所=「根占荘」”を整備地に決め込んでいた。
最大の疑問は、③の記述『根占荘賃貸借から購入案浮上』である。この記述からすると、はじめ土地と建物の両方を賃貸借する予定であったものが、11月25日以降に突然“建物だけ購入”へと方針転換していたことが分かる。だが、この方針転換は、誰がどのように「決裁」したのか分からないまま確定していた。同文書後半の「今後の予定」では、12月22日の町議会で提案する補正予算の中に『家屋購入費』が計上されており、報告書の作成段階で「購入」が決まっていたことを示している。すべてが「裏」で決められた、出来レースだった可能性がある。
森田町長と根占荘の所有者が親しい仲であることは、多くの町民が知る事実だ。反町長派だけでなく町長派にも話を聞いたが、狭い町だけに、両者の関係を否定する住民は一人もいなかった。「根占荘を町が買い取ったのは、森田町長の便宜供与」――そう断言する町民もいる。
■職員OBからも厳しい批判
疑惑まみれとなった寮整備を巡る一連の経緯は、不適切な公費支出の証。違法性が問われる事態なのである。HUNTERの取材に応えたある同町の職員OBは、決裁文書の不存在についてこう話している。
「私たち役人は、ものごとを進めるたびに、アリバイを残すのが仕事です。アリバイとは方針決定時の決裁文書のことです。自治体ごとに決裁規程があり、もちろん南大隅町にもあります。南大隅町として意思決定をするにあたっては、係長クラスの職員が起案者として事案の経緯と方針案を記した文書を作成し、司ごとに決裁印を捺すのが決まりです。こうした形で決裁文書を残しておかなければ、後々に事業の説明を求められた時に『分かりません』ということになってしまうからです。
なぜ生徒寮を整備するのか、なぜ根占荘なのかという、一番重要な部分の決裁文書がないなどということは、ちょっと考えられない。推測ではあるが、森田町長の指示で物事が急速に進んだため、決裁文書の作成をすっ飛ばしたというのが真相でしょう」