北海道千歳市に住む現職自衛官の母親が、自衛隊の南スーダンPKO派遣に異を唱えて国を訴えた裁判。派遣の差し止めを求めて始まった訴訟は、支援隊の「撤収」が伝わってからも取り下げられることなく継続、PKO派遣が憲法違反であったか否かを問う闘いが続いている。
この間、裁判官は2度交替。被告である国側の訟務担当者や指定代理人も一部変わった。変わっていないのは、南スーダンで戦闘があった事実について一切の説明を拒被告側の姿勢。原告側が指摘する重要な争点に、国はほとんど認否を避け続けている。それどころか、この春にはPKOとは無縁の、つまりこれまでは自衛隊を決して派遣できなかった任務に、新たに自衛官が派遣されたことが伝えられた。
初弁論から2年以上が過ぎ、地元・北海道でほとんど報道されることがなくなった裁判は、今も静かな緊張とともに続いている。
■派遣の実態、国が隠蔽
PKO第10次隊(北部方面隊第7師団など)派遣時の2016年7月に南スーダンの首都ジュバで「戦闘」があった疑いは、のちの「日報」隠蔽問題を通じて広く知られることになった。しかし国は今なお、その「日報」の全開示を拒んでいる。1人の女性が起こした裁判で証拠提出を求められた時も、「必要性がない」と言うのみだった。
「本当に安全だったのであれば、隠すことなど何ひとつないはずです」
声の主は、平和子(たいら・かずこ)の名で国を訴えた女性。PKO派遣の差し止めを求めて16年11月に地元・札幌地方裁判所で訴訟を起こし、翌17年2月からたった1人の原告として口頭弁論に足を運び続けている。本年4月、第8回を数えた弁論では3度目になる意見陳述に臨んだ。
「防衛省はこれまで、派遣される隊員の家族に対し『武力紛争に巻き込まれることはない、安全だ』との説明を繰り返してきましたが、その根拠を一切示してくれません」
PKO参加「五原則」は守られていたのか、報道された「撤収」はいつ完了したのか、派遣隊員の健康状態や帰国後の去就はどうなっているのか、イラク戦争後に発足した「中央即応集団」の概要は――。これまでの2年半にわたって「日報」の全開示を拒否し続けた国は、のみならず原告側が求める認否をことごとく避け、ひたすら「訴訟は取り下げられるべき」と繰り返すばかりだった。弁護団の佐藤博文弁護士(札幌弁護士会)は、法廷でこれを厳しく批判している。
「重要な争点について被告がほとんど認否していない状態が、いまだに続いている。求釈明(説明の要求)への回答もほとんどなされていない。これは国民との議論を回避する不当な応訴態度です」――その佐藤弁護士は15年ほど前、タカ派の論客の代理人として同じ札幌の法廷に立っていた。
(*下の写真は、今年4月に行われた第8回弁論後の報告会。中央が平さん、右隣に佐藤弁護士)
■元防衛族が派遣差し止め訴訟
2004年1月、当時の自衛隊イラク派遣の差し止めを求める裁判が札幌地裁に提起された。訴えを起こしたのは、自民党きっての防衛族として知られた故・箕輪登元郵政相。そのころ札幌弁護士会の副会長を務めていた佐藤弁護士は、一市民として法律相談センターを訪ねてきた箕輪氏との邂逅を振り返り、のちに訴訟の経緯をまとめた書籍『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』(07年、かもがわ出版)にこう綴っている。
《れっきとした自民党員で元閣僚、しかもタカ派と言われた箕輪さんが立つのだから、右から左まで「大異」を乗り越えて、今回のイラク派兵は憲法・自衛隊法違反だとする「大同」に基づいて、訴訟に参加し応援してもらうことができると考えました。箕輪さんも、重装備の陸上自衛隊の海外派兵という決定的事態を前に、党派を問わず全ての心ある国民の結集を訴えました》
(*右の写真は、箕輪登氏の信念が綴られた会葬礼状(『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』所収)
その箕輪氏自身の陳述が、同書に詳しく採録されている。06年2月、10回めの弁論に臨んだ当時81歳の原告は、「専守防衛」の精神を言葉に載せて法廷に響かせた。
《なぜ戦争不可能な憲法を戦争可能な憲法に直すのか。やっぱり日本人としての良心にかんがみて、平和がいいなら平和がいいと言ったらいいんです。それが男らしいでしょう》
《(政権を預かる者は)反対意見にやっぱり耳を傾けるべきですよ。反対意見に耳を傾けたら、二度と戦争は起きませんよ》
この弁論の3カ月後、「いつまでも平和で」の言葉を遺して箕輪氏は世を去った。それから10年余、PKO派遣は途切れることなく続き、現在の与党から「反対意見」はほとんど聴こえなくなっている。
■沈黙する国、続く裁判
南スーダンPKO派遣は、「人道支援」の建前で続けられた。しかし実際には、「治安業務」があったのではないか。そう疑う佐藤弁護士は、平和子さんの訴訟で「日報」などの開示を求め続ける意義を、地元月刊誌『北方ジャーナル』の取材に対し、次のように語っている。
《公文書開示請求では、国の判断であちこち墨塗りにできてしまう。しかし民事裁判で『文書提出命令』の申立てが認められれば、不開示部分がぐんと減ります。関係者の氏名などが墨塗りされる程度で、事実関係はそのまま開示されることになる可能性が高い》(月刊『北方ジャーナル』2017年5月号)
被告の国が未だにその開示を拒んでいることは、何度も述べた通り。噛み合うやり取りに到らないまま続く裁判の傍ら、国は今年に入ってさらなる危険な任務を自衛隊に課すことになる。
エジプトとイスラエルの停戦を監視する「多国籍軍監視団(MFO)」に、自衛官を派遣する――。外務省などがそう発表したのは、本年4月上旬のこと。派遣先のシナイ半島では頻繁にテロ事件が起きており、同省は国民に対して渡航禁止を勧告している。その危険な場所に、日本の自衛官を送るというのだ(*右の文書参照)。しかも現地で活動するMFOは、PKOなどとは異なり、国連と無縁の多国籍軍。平さんは、声を震わせて訴える。
「国連が統括できない所で、自衛隊がいわば米軍とその仲間と一緒に軍事行動をすることになります」
4月下旬、40歳代の自衛官2人が現地へ向けて出国したことが伝えられた。平さんは、陳述で何度も述べた思いを、改めて強い口調で繰り返す。
「一人として安保関連法で命を奪われてはなりません。それは、どこの国の母親でも同じ思いです」
裁判は、まだ続く。南スーダンへの第10次隊派遣時に「戦闘」があった疑いは、国連独立調査団によって報告されており、国は第11次隊の派遣を決める前にその事実を知っていた可能性が高い。これに説明を求める原告側に、当初「(説明は)検討しない」としていた国は、弁護団の猛烈な抗議を受けて「持ち帰って検討」と言葉を改めた。とはいえ今回も、決して真っ当な説明に期待できるとは言い難い。
議論を避け続ける国に正面から闘いを挑む自衛官の母は、7月10日午後に9度めの弁論を迎える。
(小笠原 淳)
【小笠原 淳 (おがさわら・じゅん)】
ライター。1968年11月生まれ。99年「札幌タイムス」記者。2005年から月刊誌「北方ジャーナル」を中心に執筆。著書に、地元・北海道警察の未発表不祥事を掘り起こした『見えない不祥事――北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない』(リーダーズノート出版)がある。札幌市在住。
「北方ジャーナル( http://hoppo-j.com/) 」