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僭越ながら:論

「令和元年」を喜べない理由

2019年5月 7日 07:05

 「昭和」から「平成」に代わった1989年を知る記者には、「令和」のスタートに大騒ぎするマスコミと国民の姿がどうにもなじめない。同じ改元でも“崩御”に伴うものと“譲位”によるものとで、世の中はこうも違うのか――新時代を素直に喜べない自分を、持て余した連休だった。
 しっくり来ないもう一つの理由は、御代替わりに沸く国民が“元号”や“憲法”という国の根本について、じつは深く考えていないという現状があること。背景にあるのは、大半の国民が上皇や新天皇が理想とされる国の姿と安倍晋三首相が目指す「美しい国」の違いに気付いていながら、無関心を装っていることに対する不信感だ。

■平成元年と令和元年の違い
 昭和天皇が崩御されたのは1989年1月7日。この日から「平成」が始まった。記憶に残っているのは額装された「平成」の二文字を掲げた小渕恵三官房長官(当時)の会見と、崩御の翌月に行われた「大喪の礼」の重々しい場面である。

 昭和天皇は前年から体調を崩され、発熱や吐血といった病状が日々報じられたこともあり、世の中は極端な自粛ムード。テレビ番組からお笑いや歌が姿を消し、派手なイベントも軒並み中止となっていた。崩御後数日は、民法テレビのCMも流されていなかったはずだ。昭和の最後から平成の初めにかけては、東日本大震災が発生した直後と同じような状況だった。

 重く沈んだ当時に比べ、今回の改元はお祭り騒ぎ。西暦使用の世代が増える一方だというのに、令和という“元号”がもてはやされる格好となっている。憲法や天皇制についての議論を避ける国民ばかりだというのに、一体、何がお目出たいのというのだろうか……。

■上皇陛下のお心を無視する安倍政権
 新元号の発表から天皇陛下の御代替わりまでを、安倍政権が政治利用したことも不愉快を増幅させた。新元号の「令和」は、安倍首相が選んだもの。官房長官の元号発表後には自らも記者会見を開き、政権の看板政策である「一億総活躍」にひっかけて、得意げに令和の説明を行った。『悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、「令和」に決定いたしました』――。
 美辞麗句で「戦争がやりたい」という本音を隠すのは、首相の常套手段。政権が目指している「美しい国」が平和や民主主義と相容れない日本であることは、上皇や新天皇のお言葉と安倍首相のこれまでの姿勢を比べれば明らかだ。

 5月1日に行われた「即位後朝見の儀」における天皇陛下のお言葉を確認しておきたい。

 日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。

 この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

 顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

 ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。

 「皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し」とある。上皇陛下の歩みで思い起こされるのは、事あるごとに憲法順守を明言し、先の大戦の犠牲者や災害被災者に寄り添われたお姿だろう。心から平和を希求されてきた上皇陛下は昨年、お誕生日に際しての記者会見で次のように述べられている。
 

 終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。

 先の大戦と真摯に向き合われてきた上皇陛下は、硫黄島やサイパン、ペリリュ-といった激戦地を訪ねる慰霊の旅を重ねられてきた。特に国内で唯一の地上戦を経験した沖縄には、特別な思いを寄せておられた。

 1975年に初めて沖縄を訪れた上皇(当時は皇太子)ご夫妻は、糸満市にある「ひめゆりの塔」で献花する際に過激派から火炎瓶を投げつけられるという事件に遭遇された。それでも沖縄に寄り添う姿勢を変えられず、事件当日には「払われた多くの尊い犠牲は一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、一人一人、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」と談話を発表されていた。皇太子時代に5回、天皇として6回。計11回に及ぶ沖縄訪問をなさった上皇陛下のお心に、同県の民意を無視して普天間飛行場の辺野古移設を強行する安倍政権が応えていると言えるのだろうか。
 
 安倍政権が特定秘密保護法を強行採決した2013年のお誕生日に際しては、平和と憲法について上皇はこうも述べられている。

 80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した 時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校 の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。

 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。

 平和への思い、憲法順守の強い意志――。「平成」は、上皇陛下のこうした思いに救われた30年間だったのではないか。一方で、憲法解釈を歪めて集団的自衛権の行使容認へと舵を切り、特定秘密保護法や安保法といった戦前回帰の法律を次々と強行採決してきたのが安倍政権だ。いずれも国民の過半数が反対してきた政治課題だったが、安倍は民意を無視。沖縄では「新基地反対」という知事選や国政選挙、さらには県民投票の結果をも黙殺して、辺野古の埋め立て工事を強行してきた。
 民主主義を否定し、昭和から平成へと70年以上かけて先人たちが築き上げた「平和」を崩す政権を、4割以上の有権者が支持しているというから不思議でならない。野党のふがいなさを割り引いても、「一強」という政治状況を招いたのは国民。そこに、意味も分からず「令和」にはしゃぐ若者の姿がダブる。

そもそも、安倍晋三という政治家の口から、「憲法順守」という言葉を聞いたことはただの一度もない。憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明記してあるにもかかわらず、安倍は現行憲法をアメリカの押し付けだと罵倒し、「憲法改正」を最大の政治課題に位置付けてきた。「9条に自衛隊を明記すべき」と主張しているが、その理由が国民のためではなく「自衛隊員のため」というのだから開いた口が塞がらない。軍隊のために憲法を改正しようという総理大臣を、記者は容認できない。

 戦前の軍人たちは、皇室の権威を利用して「戦争のできる国」を目指した。いまの安倍政権がやっているのは、当時の軍部とまったく同じことではないのか。国民が令和絡みのイベントなどで盛り上がる中、安倍首相は3日の憲法記念日に改めて自衛隊の明記を軸とする「改憲」への意欲を強調した。公約した憲法改正の期限は2020年。夏の参院選の結果が、国の未来を左右することになる。

 令和元年を明るい新時代の幕開けにするのか、暗い未来への第一歩とするのかは国民次第。ただし、上皇陛下や新天皇が、憲法と平和を大切にしておられることを忘れてはなるまい。



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