翁長雄志沖縄県知事の急逝に伴って行われる県知事選挙に、自由党の玉城デニー衆院議員(58)=沖縄3区=が、翁長氏を支えてきた「オール沖縄」の候補として出馬することが確実となった。
政府与党は、佐喜真淳前宜野湾市長(54)の擁立を決めており、知事選は玉城氏と佐喜真氏による事実上の一騎打ちとなる。
結果が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に大きな影響を与えると同時に、安倍政権の土台を揺るがしかねない重要な選挙だが、候補者2人は実に対照的。一方は沖縄の象徴的な人物であり、もう片方は安倍政治の強力な応援団である極右陣営の代表である。
■玉城氏=戦後の沖縄を象徴する候補
玉城デニー氏は、ある意味「沖縄の象徴」ともいえる存在だ。戦後の沖縄では、日本の女性と親しくなった米兵が数年で帰国してしまい、そのあとに女性が米兵の子供を産むケースが少なくなかった。当然、生まれた子供は父親の顔も知らない。関係者によれば、米兵を父に持つ玉城氏も同じ境遇だったという。
在日米軍基地の7割以上を押し付けられ、米軍と共存することを余儀なくされてきた沖縄ならではの話だが、成長した玉城氏は地元で人気のラジオパーソナリティーになり、沖縄市議会議員を経て2009年に民主党公認候補として衆議院議員に初当選する。以来4回当選し、現在は、小沢一郎氏率いる自由党の幹事長である。
その玉城氏が、翁長知事を支えてきた「オール沖縄」の推薦候補として知事選の主役に躍り出たのは、亡くなる直前に翁長知事が語ったとされる事実上の「遺言」によるもの。「辺野古移設反対」という沖縄県民の民意を無視してきた安倍政権と対峙し、公約だった埋め立て許可の“撤回”を表明する直前に病に斃れた翁長氏の、後継指名を受けた形だ。米軍基地の県外移設を希求する県民にとっては「弔い合戦」。出遅れの懸念を吹き飛ばすだけのパワーを持った候補者と言えるだろう。
■佐喜真氏=「日本会議」の会員
一方、自民・公明が擁立した佐喜真淳氏前宜野湾市長は、憲法改正を目指す右翼団体「日本会議」の会員だ。佐喜真氏自身が、そのことを認めた宜野湾市議会の議事録が残っている。以下は、2012年6月の市議会定例会における市議と佐喜真市長(当時)のやり取りだ。
市議:市長は2月、その選挙戦当時、御自身で日本会議あるいは名刺にも親学推進議員連盟会長ということで載っていましたけれども、この日本会議について私もよくわからないので、お伺いしたいと思いますけれども、市長が加盟されている、加入されている日本会議、どのような団体なのか、そして市長としてもこれから、なおまた、この日本会議の活動を続けていくのかお伺いします。企画部長:御答弁申し上げます。まず、日本会議のどういった団体かということについて、私のほうからお答えします。日本会議は平成9年5月30日に前身団体でありました日本を守る国民会議、それと日本会議とが統合をし、設立された団体でありまして、「美しい日本を守り伝えるため、誇りある国づくりを」を合言葉に政策提言等を行う国民団体であります。
佐喜眞市長:御答弁申し上げますが、日本会議の中身につきましては企画部長から答弁があったとおりでございますが、私も日本会議に加盟している一人ではございますけれども、これからの行動につきましては日本会議が持つさまざまな政策あるいは施策等々について吟味しながら、私が同意できるものに対してはやっていきたいと思っております。
日本会議は、安倍晋三首相の最大の応援団で「改憲」を目指す民族派団体。これまで、元号法制化や自衛隊PKO活動の実現を推し進めたほか、従軍慰安婦や南京大虐殺は「なかった」とする主張に基づき歴史教科書の“改ざん”などに力を入れてきた。平和国家の未来を危うくし、教育を歪めてきた元凶ともいえる組織だ。佐喜真氏はその日本会議の会員であることを議会で明言し、2016年には日本会議系の団体が主催した「沖縄県祖国復帰42周年大会」で、閉会の挨拶を行っていた。この集会では、冒頭のセレモニーに保育園児を登壇させ、「教育勅語」を暗誦させていたことが分かっている。佐喜眞氏は、森友学園の元理事長と同じ教育思想をもった人物ということだ。
表明的な右翼ほど、じつは信念も節操もないケースがほとんどで、佐喜眞氏にもあてはまる。前出「私も日本会議に加盟している一人」と認めた宜野湾市議会でのやり取りには続きがあり、そこで佐喜眞氏の基地問題に対するブレが指摘されていた。
市議:市長、御答弁ありがとうございます。企画部長からも日本会議についての説明ありましたけれども、1997年5月30日に改憲団体、憲法を変えるの改憲ですね、改憲団体、日本を守る国民会議と右翼団体の日本を守る会が、組織統一して発足したのが日本会議であるということで理解をしております。政治思想は御自由ですから、私も言いませんけれども、しかし宜野湾市長ですから、一つの思想に偏ることなく、しっかりと公平に市政運営をお願いしたいと思います。
次いきます。今度は基地行政についてお伺いします。市長も最近、普天間基地の県内移設反対ということで主張されていますけれども、たしか佐喜眞市長が宜野湾市議会議員当時、普天間基地の県内移設容認という立場ということで私は記憶にありますけれども、市長の考え方が変わったのはいつから、なぜ変えたのか、それを見解お願いしたいと思います。佐喜眞市長:御答弁申し上げますが、3月議会でも同じような趣旨の質問ございまして繰り返しの答弁になると思いますけれども、以前は確かに辺野古容認と、普天間の移設が辺野古の唯一の、ベストではなくても、ベターという形での移設先でございましたし、それは唯一の手段だという認識でもございました。
ただ、民主党政権下におきまして、最低でも県外という公約を掲げ民主党政権が樹立し、それに向けて沖縄県民の思いというものを酌み取って県外へと移設するということでもございましたし、また名護市においても県外を主張する市長が誕生し、現状から見ると厳しい環境であるということから、県外へとかじを切ったということでございます。
つまり佐喜眞氏は、当初の「県内移設容認」から「県外移設」に変わり、現在はまた「県内移設容認」=「辺野古移設推進」に変節したというわけだ。変節の責任を政権や県民になすりつけていたが、要は自分にとって都合の良い方にすり寄って生きてきたということ。最終的に、辺野古移設に反対する沖縄県民を見限り、日本会議つながりの安倍政権に魂を売っただけの話だ。政治家としては最低だろう。
■最大の争点は辺野古移設の是非
あまりに違う知事候補2人の、主張や政治経歴について簡単にまとめた。
辺野古移設「反対」か「推進」か――。沖縄県民の民意を問う知事選挙は、9月13日に告示され30日に投開票が行われる。