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「国益」に揺れる島 ~ 馬毛島買収交渉の真相(下)

2018年7月23日 09:50

20180516_h01-01-thumb-autox447-24420--2.jpg 2回にわたって報じてきた、馬毛島の土地買収をめぐる不可解な動き。防衛省が主導し、民間企業(益田建設)を実行部隊として土地を強奪しようとする構図は、タストン・エアポート社(前社名:馬毛島開発)の関係者にとってはまさに「陰謀」にほかならない。
 タストン社の立石勲会長はすでに傘寿(80歳)を迎えているが、馬毛島を買収した頃からの開発にかける情熱は一向に衰えていない。
 日米両国の思惑と、国益、安全保障という抗いようのない大きな力で振り回され続けてきた立石会長だが、じつは自身が馬毛島の土地取得にまい進した動機もまた、「国益」だった。

■鹿児島では、知る人ぞ知る「成功者」
 立石建設が本社を置くのは、都内世田谷区経堂。小田急線千歳船橋駅から徒歩1分の一等地に建つ6階建ての本社ビルを手に入れるまでに、学歴も、寄る辺もない地方出身者がどれだけのものを犠牲にしたのか。

 鹿児島県枕崎市に生を受けた立石氏は、1952年に鹿児島県枕崎水産高等学校漁業科(現、県立鹿児島水産高校)を卒業すると、「母親に楽をさせるため」(立石氏)、神奈川県三崎港の遠洋マグロ漁船に乗船する。当時は快適な労働環境など望むべくなく、立石少年は俗に言う「板子一枚下は地獄」と覚悟を決めて乗り込んだ。立石氏はこのころのことを「地獄のような日々だった」と振り返っている。

 そんな生活の中でも、持ち前の反骨精神を武器に甲種二等航海士資格を取得し、20歳すぎには別の船に船長として移った。ちょうど、アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行い、第五福竜丸が被ばくしたころだった。

 転機が訪れたのは、燃料と水を補給するために訪れたオーストラリアのバースに寄港したときのこと。鉄鉱石の長距離ベルトコンベアーを初めて目にした立石氏は、そのスケールの大きさに衝撃を受ける。仕事の合間を利用して土木関係の資格を複数取得、一大決心のもとに船を降りると立石建設を設立した。

 建築現場などで出るコンクリート廃材を道路の舗装材(クラッシャーラン)としてリサイクルする技術で特許を取得し、さらに羽田空港の埋め立て工事などで今日に至る礎を築いた。東北の防波堤工事やイランの砂利プラント設計など、徐々に業務を拡大させ、当時の年商は約150億円にまで膨らんだという。クラッシャーランが全国の土木工事で使用されていることについては、特許権を放棄して土木業界の発展に尽くした立石氏の功績が大きい。

 そんな立石氏が馬毛島の土地買収に乗り出したのは1995年ごろ。当時、鹿児島県出身者などが集う「三州倶楽部」の集まりで馬毛島の土地購入について持ち掛けられ、立石氏自身も「国益のため」「日本を守るため」という強い信念のもとでタストン社の前身となる馬毛島開発を引き受けたという。事業を引き継いだ頃、島の6割程度だったという保有地は、その後3年あまりで買い増しし、現在までに9割以上を買収している。

 90年代当時、馬毛島の土地をめぐっては、防衛族の大物議員Kや広域暴力団関係者などの魑魅魍魎が蠢いていた。さらに、防衛省側の交渉担当者だった上楽重治・移設整備室長(当時)との交渉が行き詰まった際、上楽室長が立石会長に対して「もう、中国に売ってはどうか」と吐き捨てた後日、中国系とみられる人物が土地の買い取り交渉に現れるなど、ミステリー小説さながらの謀略戦も経験している。

■「国益」に翻弄された馬毛島
 馬毛島はもともと、漁業関係者を中心に約600人が暮らす、自然豊かな島だった。トビウオの良い漁場を抱え、島には固有種のマゲシカ(県絶滅危惧2種)が生息し、野鳥の繁殖地としても知られていた。

 それが、1974年に平和相互銀行が馬毛島開発を設立してリゾート開発を始めたころから雲行きが怪しくなり、石油備蓄基地の候補になったことで土地を手放す島民が増え始める。右翼活動家が暗躍した不正経理事件の余波で平和相互銀行が住友銀行に合併された後は、立石建設が馬毛島開発を買収。タストン・エアポートが、馬毛島のほぼすべての土地を買い占めていた。

 いま上空から馬毛島を見ると、造成された滑走路用地がまるで十字架のように島をえぐりとっているのが確認できる。しかし、近年では島の将来に光も見え始めている。2017年3月に行われた西之表市長選では、政府が馬毛島での実施を検討している米空母艦載機離発着訓練(FCLP)が争点となった。馬毛島関連の著書もある、元朝日新聞記者の八板俊輔氏が受け入れ反対を表明して立候補すると、八板氏を含めて6人が立候補。再選挙までもつれ込んだが、八板氏が接戦を制した。

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 八板市長は当選してすぐに、特別チームを編成して馬毛島活用策について検討を始めている。馬毛島に残された小学校校舎を、子どもたちの体験施設として活用する方針を発表しており、大人たちの「欲望」に汚された島をいったんリセットするという意味でも、実現を期待する声は多い。立石氏は、ほとんど実入りの見込めない同プランに、意外にも興味を示しているというからおもしろい。クリアすべき課題は少なくないものの、島の未来を具体的に指し示すことができたのは大きな一歩と言えるだろう。

 その後の取材で、防衛省で馬毛島買収を担当する上楽調達官が、タストン社の破産申し立てを行った益田建設以外の債権者にも接触していたことが判明しており、馬毛島買収劇の汚さが浮き彫りになった格好だ。

 軍事拠点となるにせよ、平和の島になるにせよ、土地の持主である民間企業を、国の謀略で潰すことなど許されるものではない。「国益」に揺れる島の今後に、注目していきたい。



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