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僭越ながら:論

増幅される悪意
沖縄・佐賀 軍用ヘリ事故で被害者迫害の理不尽

2018年2月20日 09:20

 日本人の本質的な部分が劣化してしまったのか、それとも以前から日本人が持ち合わせていた醜悪な部分が露見しやすくなったのか――。昨年から続く、国内の軍用機事故をめぐる言説やネット上の発言を見るにつけ、憤りがつのるばかりだ。

■沖縄で続く被害側への誹謗・中傷
 昨年12月7日、米軍普天間基地所属の新型輸送機「オスプレイ」の部品とみられる円筒状物体が同基地近隣にある緑ケ丘保育園に落下した。落下したのは、いつも園児たちが遊ぶ園庭のすぐ脇にあるひさし屋根の上だ。米軍は事の重大さを理解する能力がないのか、もとより日本人の子どもたちの人命など考慮に値しないと考えているのか、事故から1週間もたたない同月13日に、今度は米軍機の窓枠が市立普天間第二小学校の校庭に落下した。(*下の写真、左が緑ケ丘保育園、右が普天間第二小学校)

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 事故自体の危険性や、沖縄だけに日米安保の歪みを押し付けてきた「日本人の罪」、そしてゆるみ切った米軍の危機管理能力については、HUNTERでも繰り返し批判し続けてきた。いまでは作家としてよりも、安倍政権擁護の急先鋒として居場所を得た百田尚樹氏は、保育園に円筒状物体が落下したあとの同月12日、ネットで配信される番組で、「(部品落下も報道も)全部ウソ」「捏造。ほぼ間違いない」と断言。「誰かが古いキャップ(部品)を持ってきて保育園の屋根の上に置いた可能性が高い」とまで言い切っている。自称知識人としての、見事な「政権の番犬」ぶりだ。

 百田発言の時期と前後するタイミングで、部品落下の被害を受けた保育園と小学校には、「(米軍機の窓落下は)やらせだ」「小学校のほうが後に作られたくせに文句をいうな」「沖縄の人間は基地がないと生きていけないだろう」「自作自演」「住むのが悪い」などといった内容の誹謗・中傷が相次いだ。宜野湾市教育委員会の集計によると、誹謗や中傷の電話は12月28日までに31件。無言電話やメールなども合わせればさらに数は膨らむ。そうした電話に対応した職員のなかには、ストレスで涙を流す者もいたという。

 発信番号や言葉のイントネーションなどで、誹謗・中傷の電話をかけてきたのはほとんどが県外の日本人であると推定されている。おそらくは百田氏発言に影響された、いわゆる「右派、右翼」的思想を持つ人間であることは容易に想像がつく。つまり、愛国心の大切さを訴え、日本の伝統、日本人のすばらしさを訴える一方で、匿名電話という卑劣な手段で一方的な攻撃を繰り返していたということだ。

 米軍が傍若無人に振る舞い続けている沖縄は、右派がいうところの「領土の一部」であるはず。なのに彼らはアメリカの側に立ち、自国民である沖縄の人々を攻撃する。こうした矛盾の根底にあるのは、「強者に逆らうな」「現実を見ろ」という卑屈な処世術と、なによりも居心地の良い現体制を維持させ続けたいという「変化への恐怖」だ。どうやら彼らは、こういった倒錯した理屈に基づいて攻撃対象を定めている。少しでも現状に異を唱える者であれば、同じ日本人を攻撃することに何の躊躇もない。

■陸自ヘリ墜落の被害者が攻撃される理不尽
00000DSC_0186.jpg 今月5日、佐賀県神埼市に陸上自衛隊目達原駐屯地所属の小型ヘリが墜落した。墜落した民家(*右の写真)には、11歳の女児が在宅中だったが、軽いけがを負いながら間一髪で助かっている。奇跡的に大惨事を免れただけだが、危うく娘を亡くすところだった父親がヘリ落下について「許せないですよね」と発言したことが報道されてから、ネット上では被害者である父親を攻撃する書き込みが相次いだ。「自衛隊はわざとやってる訳じゃないだろう!」「(自衛隊員に)敬意や追悼の気持ちはないのかな」「人として最低すぎる」「イースター島にでも越しとけ」――。

 信じたくない現実だが、これらは突然家を失い、子どもまで失う寸前だった父親に対して投げつけられた言葉なのだ。一つひとつの言葉に対していちいち反論し諭すことは簡単だが、大量に投げつけられる憎悪の数々に一人の人間が立ち向かうことは難しい。しかも彼らの目的は議論や対話ではなく言葉の物量作戦で叩き潰すことだから、そもそも対話は成り立たない。

■問われるジャーナリズムの覚悟
 うかつなことは言うな。自衛隊を貶めるな。国家のすることに文句を言うな――。いまの日本に充満する空気に、そんな息苦しさを感じる国民は少なくあるまい。打ちひしがれる父親、そして抑圧され続けている沖縄の人々に代わって、そうした理不尽に立ち向かうことができる者がいるとすれば、それはジャーナリストの集まりであるはずの報道機関をおいて他にない。被害者や弱者の声なき声を伝え、反論する力のない人に代わって検証し、反論する。そうしたまっとうで当たり前の営みを続けることこそ本来の「報道」だったはずだ。しかし現在の日本で胸を張って報道を名乗ることができる者がどれだけいるのか。報道の衰退こそがネット言論や自称知識人の暴走を助長したと言われても否定できまい。

 「それは違う」「ダメなことはダメ」と言い続けることは、ともすれば野暮で「空気を読まない」行為と批判されかねない。しかし思い出してほしい。公害、薬害などの被害者や被差別者に寄り添い、さらには戦争にブレーキをかけてきたのは、当事者とともに「ダメだ」と言い続けてきたジャーナリズムがあったからではないのか。悪意の増幅に歯止めをかけるのは、報道の使命だ。まさにいま、ジャーナリズムの覚悟が問われている。



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