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額賀派クーデターの背景
失った旧・田中派時代の戦闘力

2018年2月15日 08:35

5181bf7baf81652e8785c6a67638dfb599eacd49-thumb-250 xauto-19212.jpg 「一致結束箱弁当」は、鉄の結束を誇った政治家集団の合言葉だった。故・田中角栄元首相が率いたかつての最大派閥「旧田中派」。永田町の闘争で絶対的な力を誇示し、「軍団」とも呼ばれた派閥の系譜に連なる額賀派(平成研究会)が、内部抗争に揺れている。
 自民党額賀派が、額賀福志郎会長を名誉会長に就任させ、後任に竹下亘総務会長を充てる人事を固めた。同派の参議院議員21名が額賀氏の会長退任を求め“クーデター”を起こしたことが発端。額賀氏は、今年3月に予定される同派の政治資金パーティーを花道に、領袖の座を降りるとみられている。一体何が起きているのか……。

■クーデターの背景
 背景にあるのは、安倍晋三首相への忠誠に励む額賀氏や同派所属の茂木敏充経済再生相に対する派内の不満。第2次安倍政権の発足以来、額賀氏も茂木氏も一貫して安倍支持。総理・総裁候補を出せない派閥の影響力は弱まる一方で、額賀氏の求心力が急速にしぼむ状況となっていた。同派の次のリーダーとみられてきた茂木氏も安倍首相べったり。ひとり経産相、党政務調査会長などの重職を歴任する同氏への風当たりも強まっていた。

 総裁選絡みの動きも見逃せない。今年秋に予定される自民党の総裁選では、石破茂元幹事長の出馬が見込まれる。派内に隠然たる影響力を持つ青木幹夫元参議院議員会長は石破氏寄り。参議院組のクーデターは、青木氏らが安倍首相の対抗馬に石破氏を担ぐための布石とも見られている。総理・総裁候補を持たない派閥の、賭けと見ることも可能だ。

 安倍首相の出身派閥は、故・福田赳夫元首相が創業した福田派(清和会)の流れをくむ細田派(現・清和政策研究会)。かつては「角福戦争」とよばれた激しい政争を繰り広げた田中派と福田派だけに、福田の直系派閥が永田町と霞が関を支配する現状に、額賀派の議員たちが我慢できなくなったという側面もある。

■前身は田中派・木曜クラブ
 額賀派の前身は田中角栄元首相が実質的なオーナーだった田中派・木曜クラブ。最盛期には野党第一党だった社会党を超える140人以上の議員を抱えて政官界を掌握し、「田中派にあらずんば人にあらず」とまで言われるほどの権勢を誇った。田中元首相はロッキード事件の刑事被告人として裁判闘争を続ける一方で、キングメーカーとして政界に君臨。大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘の3人の宰相は、角栄氏の意向で決まったというのが定説だ。

 「闇将軍」が睨みを利かす時代が続いたが、1985年に竹下登や金丸信が中心となって派内勉強会「創生会」を結成。角栄氏に対する事実上の反乱だったが、87年には同会のメンバー120名が木曜クラブを飛び出して、竹下派・経世会を立ち上げた。経世会は、1993年に小沢一郎氏(現・自由党代表)らが離党したことで規模が縮小し、1996年に「平成研究会」と改称。竹下のあとは、小渕恵三(元首相)→橋本龍太郎(同)→津島雄二→額賀福志郎の順で派を継承している。

田中派の系譜図.jpg

■低迷期経て「竹下派」復活
 平成研の凋落が始まったのは、橋本龍太郎元首相が派閥を継承したころから。2004年に橋本が、日本歯科医師連盟(日歯連)から1億円の小切手を受け取りながら闇献金として処理していた疑惑が浮上。派閥ぐるみの違法行為と見られたことから橋本が責任を取る形で会長を辞任し、派閥離脱を余儀なくされた。橋本は次の総選挙に出馬せず、政界を引退する。

 派内の混乱が続く中、2005年に津島雄二元厚生相が会長に就任したが、旧宮澤派に所属しながら首班指名をめぐる党内対立で離党し、すぐに復党するという“出戻り組”だったため求心力はなかった。

 2009年には津島が総選挙を前に突然引退。選挙後に生え抜きの額賀氏が派閥のトップに就任し、現在の「額賀派」となっている。額賀派時代の8年間、「軍団」と呼ばれた旧田中派時代のような活発な動きはなく、第三派閥として鳴りを潜める状況となっていた。竹下登元首相の異母弟である亘氏への会長交代で、「竹下派」の名称が復活する見通し。かつての勢いを取り戻し、安倍一強を打破する原動力になれるか注目したいところだが、竹下亘総務会長はどう見ても小物。名門派閥の先行きに、光は見えていない。



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