「二の太刀要らず」と云われ、先手必勝・一撃必殺の鋭い斬撃を特長とした古流剣術「薬丸自顕流」。幕末・明治期に薩摩藩の下級藩士を中心に用いられ、現在放送中のNHK大河ドラマ「西郷どん」の主人公・西郷隆盛の弟である西郷従道も使い手だったとされる剣術だが、この剣術の体験を教育に取り入れている学校がある。鹿児島県肝付町にある、公立中高一貫校「鹿児島県立楠隼(なんしゅん)中学校・高等学校」である。
薩摩藩の維新志士のように力強く勇ましい鹿児島の男性を指す言葉「薩摩隼人」と同じ“隼”の文字を冠する同校だが、その現状を見ていくと、「二の太刀要らず」ならぬ「二の句が継げぬ」状況になっていることがわかった。
■出願者数の減少に歯止めがかからない
楠隼中学・高校は、2015年4月に開校した併設型の公立中高一貫校だ。今どき珍しい全寮制の男子校として誕生した同校では、「学校と寮での教育活動や生活を通じて、生徒同士が切磋琢磨しながら豊かな人間性やリーダーシップを育む全人教育」を謳い、開校当初から進学校としての地位を強く期待されていた。
だが現状として、その期待は儚く散ってしまっているような状況にある。下の表は、楠隼高校および楠隼中学への出願数の推移だ。高校の15年度のみ、前期選抜の数字。なお15年4月に開校したため、15年度が初年度になる。
数字を見る限り、初年度こそ中学・高校ともに高い出願倍率となっているが、楠隼高校のほうは翌16年度から早くも定員割れを起こし、以降はずっと定員割れが続いている。直近の18年度は、楠隼中学からの進学者50人がいるため定員は40人となったが、出願者数は11人と17年度より半減。出願倍率も0.28倍と、母数となる定員が減ったにもかかわらず前年度より低下するという惨憺たる状況となっている。
一方、楠隼中学のほうは、出願者数を見る限り、なかなか健闘している状況。だが、それでも出願者数は年々減少傾向にあり、先行きの不安は拭えない。次に、中学・高校それぞれの実際に入学した生徒の数を見てみよう。
中学のほうは、毎年定員と同じ数の入学者を迎えているが、問題は高校のほう。初年度の入学者数は37人といきなり定員を下回る状況で、翌16年度の入学者数はさらに減少し、17年度の入学者数はついに11人にまで落ち込んだ。
同校が進学校を目指している以上、いくら定員割れをしていようが、一定の学力に達しない者を入学させるわけにはいかないことは理解できる。だが、それにしても17年度入学者が11人という状況はいかがなものか。中高一貫校である以上、どうしても中学のほうの入学希望者が多くなる傾向があるという。しかし、それを割り引いても、これはあまりにひどい状況だ。
中学にしても、順風満帆とは言えない。15年度の中学への入学者数が60人で、今年度の高校への進学者数が50人ということは、少なくとも10人――実に6分の1の生徒が中学3年間のうちに同校を去っていったことになる。希望に満ち溢れて同校の門戸を叩いたはずの10人の中学生に、3年を待たず同校を去るという選択をさせたのはいったい何か――。高校への入学希望者の数が加速度的に減り続けていることと、無関係ではあるまい。
■公立版「ラ・サール」
そもそも楠隼中学・高校は、大隅地域の公立高校再編の一環として、前身となる「鹿児島県立高山(こうやま)高等学校」(16年3月に閉校)の敷地や建物を受け継いで誕生した学校だ。
開校にあたっては、鹿児島県教育委員会が「全国初の公立全寮制男子校」として大々的に喧伝。校舎建物等は高山高校のものを改修して利用されているにもかかわらず、約50億円もの公費が投入された。
その巨額の公費は、空調完備の全室個室や、地元食材を活用したバランスのとれた食事を提供する広々とした食堂、書籍閲覧やパソコン検索が可能なメディアスペース等々、公立の学校とは思えない設備を備えた、豪華な寮を新設するための費用に充てられている。同校のある肝付町は大隅半島東部に位置し、交通アクセスはお世辞にも良いとは言えない場所。こうした立地に全寮制の男子校――しかも“進学校”を新設するにあたり、全国から優秀な生徒を少しでも多く集めるために、無理な投資をしてでも豪華な寮の存在が必要不可欠だったのだろうと思わざるを得ない。
多額の公費を投じて開校に至った同校の教育内容は、実に多岐にわたっている。たとえば、同じ町内にある「内之浦宇宙空間観測所」にあやかり、県教委がJAXA(宇宙航空研究開発機構)と協定を結んだうえで行われる宇宙航空教育「シリーズ宇宙学」をはじめ、「イングリッシュキャンプ」や「チャイニーズキャンプ」なども取り入れた外国語教育、食育も兼ねた農業漁業民泊体験、第一線で活躍している人を招いて行われる「トップリーダー教室」等々。冒頭で紹介した「薬丸自顕流」の体験も、鹿児島古来の武道の精神を学ぶことで、高尚な品行をもって行動できる生徒を育てる――という目的のもとで行われているものだ。
さらには、7限授業による学習指導や朝課外、土曜講座の実施に加え、寮生活でも学習指導員による発展的な学習指導が行われるなど、学習時間もかなりの時間が充てられている。入学した生徒は、いわゆる“勉強漬け”の生活を送ることになり、かなりの進学校を意識したカリキュラムが組まれるかたちとなっている。いわば同校は、同じ鹿児島県内にある、名門進学校として有名な「ラ・サール中学・高校」の公立版とでも言うべき立ち位置の学校なのである。
■男子限定のリーダー養成校
進学校を目指す同校の学校案内に目を通すと、やたらと目に飛び込んでくるのが「リーダー」という言葉だ。「世界を見通すリーダー」「真のリーダー」「トップリーダー」「次世代のリーダー」「未来のリーダー」というように、リーダーという文字列がゲシュタルト崩壊を起こしそうな勢いで多用されている。ここで掲げられているリーダーとやらが具体的に何を意味するものかは判然としないが、案内を見る限り同校は「リーダー養成校」という性質をもった学校だ。
ただし、ここで問題が生じる。それは楠隼中学・高校が全寮制の男子校であり、つまり正確に言えば同校は「リーダー養成校」ではなく、「“男性の”リーダー養成校」なのだ。女子学生は、リーダーとして養成される機会を与えられることなく門前払い。現在、政府では「女性が輝く社会」の実現に向けて、役員や管理職への女性の登用などを推奨しているが、同校の教育方針はこれに真っ向から反旗を翻すものだ。
もちろん、これが私立の学校であるならば、需要と供給に基づく各校それぞれの経営戦略や方針に依るものだろうから、外部がとやかく口出しする類のものではない。だが、公立の学校である以上、社会の半分を構成する女性の存在を無視するのはいただけない。このご時世に、前時代的な男尊女卑も甚だしいと言わざるを得ない。こうした女子学生を排除した偏った方針の教育環境で、一体どのようなリーダーが養成されるというのだろうか。
■歪んだ県政が生んだ産物
同校の開校にあたっては、伊藤祐一郎・前鹿児島県知事の思いつきが色濃く反映されているとされる。名門ラ・サール高校出身の伊藤前知事が、自身の政策実績として楠隼中学・高校を母校のような有名進学校にしたいという思いを抱き、それを汲み取った県教委が同校の教育方針やカリキュラムに“知事の思い”を落とし込んだであろうことは想像に難くない。昨年流行った言葉で言えば、県教委が前知事の思いつきを“忖度”して生まれたのが楠隼中学・高校だ。
そうして生まれた“リーダー養成校”の楠隼中学・高校だが、鹿児島県のリーダーであったはずの伊藤前知事が、自ら行ってきた県政における数々の失政により、県民からリコール(解職請求)運動を起こされるようなリーダーだったことを忘れてはなるまい。また、その後に伊藤前知事から県政トップの座を奪い、「県政刷新」を掲げていたはずの三反園訓・現知事も、県議会で楠隼の問題点を指摘されながら、この状況に対して何も手を打っていない。三反園氏は当選後に態度を一変させ、多くの支持者を切って捨てるという、伊藤前知事にひけをとらない大したリーダーぶりを発揮していることも付け加えておこう。
楠隼が抱えているのは、前述の出願者数や入学者数の低下といった問題だけではない。開校前より、同校が“県立”の学校であるにもかかわらず県外からも生徒を募集し、他県の生徒の教育のために県予算の支出を余儀なくされること自体にも批判の声が上がっていた。開校にあたって、鹿児島県民の民意が反映されたとは、到底思えない。
現在、同校の内情に関しては、ネット掲示板等であまり良くない評判も散見される。学年あたりの生徒数が少ない現状においては、生徒同士の切磋琢磨どころか、進学校としての気高い校風や、高い偏差値の維持も容易ではないはずだ。
さらに同校は、生徒だけでなく教職員からも忌避されているといい、進学校でありながら新卒の教員が赴任させられる事態になっているという。
このまま同校を放置していては、歪んだ鹿児島県政が生んだ“負の遺産”となりかねない。「進学校だと思って入学したら、実態は全然違った」では、目も当てられまい。“被害者”とも言える同校の在校生やその保護者たちは、気が気ではないだろう。この現状に、県はどのように責任をとるのか――。
「レベルの高い進学校で勉強したい」「より良い教育環境で学びたい」――といった純粋な気持ちをもって同校の門戸を叩いた生徒たちおよび保護者の思いに応えるためにも、県は現状に対して、早急に手を打つべきだ。鹿児島を含めた日本の未来を担う子どもたちに歪んだ県政のツケを払わせるようなことは、あってはなるまい。
鹿児島県のある教育関係者は、次のように語っている。
「楠隼中学・高校は、はじめから県民に求められず、それどころか、前知事のリコール運動の根拠の一つに挙げられていた学校なんです。男女同権の時代に、時代錯誤の男子校――。楠隼は、一部の受益者のためだけに誕生した教育施設と言っても過言ではありません。
ラ・サールをまねて、中高一貫男子校を作ることだけが決められていて、後で伊藤前知事の好みに合わせて、パッチワークのようにカリキュラムが作られたというのは本当です。上海研修を思わせるチャイニーズキャンプにしても、JAXAの施設が同町内にある、ただそれだけの宇宙学にしても、さらには薬丸自顕流にしても、首をかしげざるを得ませんでした。
開校以来、毎年減り続ける志願者に入学者。教育関係者の間では、『いつまで楠隼がもつのか』と言われていたのも確かです。50億円とされる多額の公金投入が、本当に子供たちのためになっているのか、また、鹿児島県の人材育成に役立つ施設になるのか。定員割れは、重い現実と言うしかありません」