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「文春砲」もジリ貧 不倫では伸びない週刊誌の部数

2018年1月25日 09:00

DSC05521.JPG 週刊文春の不倫報道をきっかけに、音楽プロデューサーの小室哲哉氏が音楽業界からの引退を表明した。一時代を築いた音楽家の唐突な退場劇。不倫を否定したうえでの決断だったことから、「引退までしなくても」「残念」といった小室氏を惜しむ声が上がった。
 同時に、議論の的となったのが昨年から相次ぐ不倫報道の是非。人の一生に多大な影響を与えるものだけに、ゴシップばかり追いかける週刊誌――特に文春の姿勢に批判の矛先が向けられはじめた。
 気になるのは、不倫報道が本当に週刊誌の部数増に結び付いているのかという点だ。調べてみると……。

■「文春砲」への疑問
 訴訟を恐れて石橋の上を叩いて渡るようになった新聞に代わり、週刊誌が政治家の金銭スキャンダルなどを報じるようになって久しい。近年、永田町を揺るがすような政治的なネタは、ほとんど週刊誌から発信されている。報道の隙間を、週刊誌が埋めてきたのは確かだ。とりわけ2016年1月に週刊文春が放った甘利明元経産相の収賄疑惑報道は時の政権を揺さぶるほどの威力で、「文春砲」としてもてはやされる発端となった。

 だが、同誌が報じたその後の“スクープ”は有名人の男女関係に絡むスキャンダルばかり。タレント、都知事候補となったジャーナリスト、政治家などが次々に文春砲の餌食になっている。「ゲス不倫」という言葉を流行らせたのも文春だ。

 問題は、当事者が否定しているにもかかわらず「不倫」と断定して追いかけ回す同誌の姿勢。相手が屈しないとみるや、派手な見出しを打って“有罪”を印象付けるようなマネを平気でやるようになった。文春のこの手法が、果たして「報道」と言えるのか――。

 「悪魔の証明」という言葉がある。「存在しないこと」「やっていないこと」「なかったこと」の証明を意味しており、事実上、証明が困難なことを指す。不倫―すなわち男女関係の有無は、当事者が証言するか、証拠写真でもない限り、証明することはできない。当事者が否定していることを、証拠もないのにしつこく追いかけ、自白を迫る週刊誌の記者たち――。“推定無罪”の原則などお構いなしの暴走と言うしかない。不倫を否定する小室哲哉氏を引退に追い込んだことで、ようやく文春の報道姿勢に疑問が投げかけられる状況になった。 

DSC05519.JPG■「文春」9年で約12万部減の現実
 スキャンダラスなネタで注目を引こうとしてきたのはワイドショーも同じ。週刊誌と同じ方向性である。下劣さを批判されるワイドショーや週刊誌の関係者から聞こえてくるのは、「そうしたネタに食いつく“テレビ画面の向こう側にいる視聴者”、“週刊誌を買う人”の存在があるからだ」という主張。「視聴者、読者が望むものを提供している」という論法だ。しかし、これはどう考えても言い訳。大衆を煽っているのは、間違いなくテレビであり週刊誌なのである。そこに“正義”はない。

 そもそも、不倫ネタで実際に週刊誌の部数が伸びているのか――。下は、国内の有力雑誌出版社で構成される一般社団法人「日本雑誌協会」が公表している、3か月間に発売された週刊誌1号あたりの平均印刷部数を年ごとにまとめた表だ。平成8年から17年までの「7~9月期」の数字を参考にした。

00-週刊誌2.png

 上掲の数字をグラフ化すると、こうなる。

00-週刊誌.png

 一目瞭然。いずれの週刊誌も年々部数を減らしており、長期低落傾向に歯止めがかからない状況だ。スクープ連発の文春砲ですら、平成8年の約76万部から昨年の約64万部へと、9年間で12万部近く減らしていた。甘利疑惑やゲス不倫報道をもってしても、一時的に部数が伸びただけで衰退現象を止めるまでには至っていない。それでも「不倫」捜しに躍起となる文春――。小室氏を巡る報道に批判が噴き出たことでも分かるように、方向性を変えないと、「文春砲」の砲弾が自分の雑誌に向けて飛んでくることになるだろう。

 旧知の雑誌編集者に聞いたところ、昨年の週刊紙報道で最も部数増に寄与したのは、週刊現代の「飲むべきではない薬」など健康に直結する話題についての特集だったという。身近なネタが不倫を上回ったということだ。しかし、その週刊現代にしても部数減に喘ぐ状況は他誌と同じ。新聞、月刊誌、週刊誌と紙媒体が軒並み苦戦する現状は、インターネット時代の必然なのかもしれない。

 多くの週刊誌記者に会ってきたが、優秀な人がいるのは確かだ。不倫など追わなくても、政治家や経済人の不正、不祥事を報じる力は、そこらの新聞社員を超えるものを持っている。「売れてなんぼ」なのかもしれないが、部数減に歯止めをかける努力を、別のところでやるべきだろう。ある古参の週刊誌記者は、次のように話している
「雑誌は編集長の考え方によって方向性が決まる。文春の報道姿勢は、編集長の判断によるもの、ということだ。文春の編集長は人脈もあるし、頭もいい人。不倫ばかり追いかけなくても、(記者たちに)いい記事を書かせることはできるはずだ。ハッキリ言って、やり過ぎ。“部数を伸ばせさえすれば、何でもあり”では、多くの読者を失うことになるだろうし、週刊誌が報道を名乗ることさえできなくなっていく。現状に危機感を抱いている週刊誌のライターは少なくないはず。ジリ貧を打開しようと思うなら、週刊誌が自らの質を高めるしかない」



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