昨年7月の初当選以来、主要メンバーが離反するなどゴタゴタ続きだった三反園訓鹿児島県知事(写真)の支援組織「みたぞのさとし後援会」をめぐり、不可解な動きがあったことが分かった。
今年4月に就任したばかりの県医師会会長が代表を降り、新代表には三反園氏本人が――。医師会長らは直後に別の政治団体「みたぞのさとし後援会連合会」を設立し、代表になっていた。
選挙後、初代後援会長を理不尽に切り捨て、伊藤祐一郎前知事の後援会長を自らの陣営に引き入れた三反園氏だったが、わずか4か月で組織分裂を招いた形。県政界関係者からは、「既存のみたぞの後援会とは一緒にやれないということ。利権の匂いがする知事の取り巻きと、距離を置かざるを得ないのだろう」などといった声が上がっている。
■後援会代表は知事本人に 医師会長は別団体設立
下は今月17日に発行された鹿児島県公報に掲載された選挙管理委員会告示の一部。異動届が出されたことに伴い、「みたそのさとし後援会」の代表者が8月4日付けで県医師会長の池田琢哉から三反園知事本人に変更されていた。<*赤い(新)(旧)の書き込みはHUNTER編集部>
「みたぞのさとし後援会」の設立は平成28年2月16日。代表者は三反園知事本人だったが、選挙前に県内の知名人を「後援会長」に迎え、選挙戦が終わるまで知事と後援会長の二人三脚で支持拡大を図っていた。ただし、届出上の代表者は「三反園訓」のままで、後援会長が便宜上の存在であったことが分かっている。“不義理”は三反園氏の代名詞。選挙直後、知事とその側近は理由も告げず後援会長に辞任を迫り、周辺に対しては後援会長に対する誹謗中傷を繰り返していた。
みたぞの後援会は対外的なトップを不在にしたまま年を越したが、今年4月、三反園知事に敗れた伊藤祐一郎前知事の後援会長を務めていた県医師会の池田琢哉会長が会見し、三反園知事の後援会長に就任したことを発表。知事選で伊藤氏を推薦した団体のトップが対立した候補者の後援会長になるという異例の人事に、驚きの声が上がっていた。
県関係者の間で池田氏の後援会長辞任が囁かれだしたのは秋になってから。「池田さんが後援会長を辞めたらしい」「知事周辺の行儀の悪さ、タチの悪さに辟易した池田氏が辞表を書いた」「これまでの後援会とは別に、医師会を中心とした三反園支援組織を立ち上げたらしい」などと噂が先行していた。
いずれも正確さを欠く話だったが、当たらずとも遠からず。前述したとおり「みたぞのさとし後援会」は代表が知事本人に代わっており、「別組織」も設立されていた。下は、17日付県公報の選管告示。池田医師会長を代表とする「みたぞのさとし後援会連合会」が設立届を提出していた。
連合会の設立は、既存組織「みたぞのさとし後援会」の代表交代から4日後の8月8日。主たる事務所は市内真砂町にある後援会とは別で、市内鴨池にある税理士事務所の住所地になっている。連合会の事務所を提供した形の税理士は、連合会の会計責任者に選任されている。<*下の写真、矢印で示した建物の2階が「みたぞのさとし後援会」の事務所。>
■新たな疑惑が噴き出す可能性も
一般的に、「〇〇後援会連合会」の名称を使うのは、地域後援会が数多く存在し、その中心組織を置く必要がある場合。選挙区が広い自民党大物議員の後援会に見られる形だが、三反園知事の後援会は市町村別に組織があるわけではなく、未整備の状態。『連合会』をくっつけたのは、単に既存組織との差別化を図るためだったと見られている。
初当選を支えた反原発派や後援会の中核メンバーを切り捨て、県政刷新に期待を抱いた県民を裏切った三反園氏。後援会のゴタゴタを横目に、知事の実像について重い口を開く人が出始めた。年末にかけて、知事を巡る新たな疑惑が噴き出す可能性がある。