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真相捻じ曲げ記者攻撃 政権の犬・産経新聞の「偏向報道」(下)

2017年11月14日 08:55

6f6f8ea599c7631c3a97725844aa81f370602c25-thumb-150x148-22642.png 安倍政権に批判的なメディアや言説を「偏向」と決めつけ、ネットを中心に卑劣な攻撃を仕掛ける「産経新聞」。組織相手では飽き足らず、極右の作家や活動家らと組んで、沖縄のタイムスの記者個人に集中砲火を浴びせていた。
 その手口は実に幼稚で、極右側にとって都合の悪い話には一切触れず、相手を追い込んだ場面だけを取り上げて一人の記者を袋叩きにするというもの。一連の記事は、自ら、公平・公正を旨とする報道機関であることを否定するお粗末な内容となっている。

■百田講演会めぐる卑劣な個人攻撃
 以下の画面は、先月27日に沖縄県名護市で開かれた「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」主催の講演会会場における、講師と新聞記者とのやり取りを報じた産経新聞デジタル版の画面。講師は作家の百田尚樹氏。百田氏と議論を交わしたのは、講演の取材に入った沖縄タイムスの記者だった。まず、講演会から2日後の配信記事。講演で百田氏が、「(活動家が)中国や韓国からも来ている。嫌やなー、怖いなー、どつかれたらどうするの」と発言したことをとらえ、記者が講演後に「(中国や韓国の人に対する)差別ではないか」と質した折の顛末。そこに産経独自の解釈が加えられている。(以下、画面上の赤いアンダーラインはHUNTER編集部)

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 記事では、琉球新報、沖縄タイムスの2紙に対する百田氏の批判を《縦横無尽》と褒めたたえ、沖縄タイムスの記者が投げかけた百田氏に対する質問を《言いがかり》と断定。この時点で、産経の記事は「偏向」しており、公正・公平の域を脱していたことが分かる。書き出しがこれなのだから、その後続いて配信された記事も同じ方向性を持つ。今月5日の記事(下の画面参照)では、2人のやり取りがネット上に流されたことを受け、《1人の識者を「差別者」にしていく過程が衆目にさらされた》と大げさに、百田氏を被害者に仕立てていた。

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 7日の記事はさらにエスカレート。《あれが「新聞記者」だというのか。》で書き出し、《「差別発言があった」。取材で訪れていた「沖縄タイムス」の記者が、百田氏にこう詰め寄った。どこが「差別発言」なのか、耳を疑った。それでも丁寧に説明する百田氏に対し、一歩も引かない記者。現場で見えたのは、事実を都合の良いようにねじ曲げて伝える「偏向報道」の“作られ方”だった。》と言いたい放題。ネット上で流された映像に、一方的な解釈を加える《事実を都合の良いようにねじ曲げて伝える「偏向報道」》そのものだった。

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■記者が明かした講演の実態
 感情むき出しの産経の記事に対し、一方の当事者である沖縄タイムスの記者はいたって冷静。同紙のコラム「大弦小弦」で、《作家の百田尚樹氏から「悪魔に魂を売った記者」という異名をいただいた・・・》と題する一文を書いていた。講演会後の百田氏と記者とのやりとりの前に、何があったのかよくわかる内容となっており、全文を紹介させていただく。

 作家の百田尚樹氏から「悪魔に魂を売った記者」という異名をいただいた。出世のために初心を捨て、偏った記事を書いているからだという。数百人の聴衆がどっと沸き、私も笑ってしまった
 先月末に名護市で開かれた講演会。事前に申し込んで取材に行くと、最前列中央の席に案内された。壇上でマイクを握った百田氏は、最初から最後まで私を名指しして嘲笑を向けてきた
 特異な状況だからこそ、普通に取材する。そう決めたが、一度メモを取る手が止まった。「中国が琉球を乗っ取ったら、阿部さんの娘さんは中国人の慰み者になります
 逆らう連中は痛い目に遭えばいい。ただし自分は高みの見物、手を汚すのは他者、という態度。あえて尊厳を傷つける言葉を探す人間性。そして沖縄を簡単に切り捨てる思考
 百田氏は2015年に問題になった自民党本部の講演でも「沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と話している。県民は実際に沖縄戦で本土を守る時間稼ぎの道具として使われ、4人に1人が犠牲になった。歴史に向き合えば本土の側から口にできる言葉ではない
 差別と卑怯(ひきょう)は続く。百田氏はなおも「反対派の中核は中国の工作員」などとデマを並べ、沖縄への米軍基地集中を正当化する。「沖縄大好き」というリップサービスがむなしい。(阿部岳)

 百田講演会について産経がネット上で配信した一連の記事では、講演の最中に百田氏が放った「悪魔に魂を売った記者」「中国が琉球を乗っ取ったら、阿部さん(沖タイの記者)の娘さんは中国人の慰み者になります」といった発言には、一切触れられていない。百田氏は、自分に共鳴する者ばかりが集まった会合の中で、沖縄タイムスの記者をいたぶっていたのである。つまり産経は、都合の悪いところを省いて、勝手な解釈で一人の記者を大々的に叩いたということ。ここまで来れば“卑劣”“卑怯”と言うしかない。類は友を呼ぶ。勇ましいことばかり言う百田氏も、じつは典型的な「卑怯者」であることが分かっている。名護市の講演会騒動の伏線となった、百田氏と沖縄の2紙をめぐる出来事を振り返ってみたい。

■百田尚樹氏の沖縄蔑視
 一昨年6月、安倍首相に近い自民党の若手議員らが党本部で開いた勉強会「文化芸術懇話会」で、政府・与党への批判的な報道を封殺するよう求める声が相次ぎ、安全保障関連法案の国会審議にまで影響を与える事態となった。勉強会で講師を務めた作家の百田尚樹氏は、沖縄の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対し、「沖縄の2つの新聞(「沖縄タイムス」と「琉球新報」)はつぶさなあかん」と発言。さらに、「あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と持論を展開していた。

 世界一危険とされる米軍普天間飛行場の周辺状況については、「もともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住んで、40年経って街の真ん中に基地がある。そこを選んだのは誰やねん。地主は大金持ちで六本木ヒルズに住んでいる」などと“でっち上げ”発言。沖縄戦当時、米軍が飛行場用地を勝手に接収したことや、強制的に土地を割り振られ、基地周辺で暮らすことを余儀なくされた住民側の事情を知らぬまま、沖縄蔑視の姿勢を露わにしていた。

 問題発言はまだ続き、沖縄で米兵による性的被害が多発してきたことについては「沖縄の全米兵が起こすレイプより、沖縄人のレイプの方がはるかに率が高い」――。米兵の分だけ被害が増えることに気付いていないだけでなく、日本人の犯罪がきちんと裁かれる一方、米兵は基地に守られ、多くの沖縄県民が歯噛みしてきたという歴史もまったく理解できていない差別的発言だった。自民党勉強会での発言は、先月名護市の講演で語った内容と、ほぼ同じ。知識もないのに平気で作り話をし、沖縄の犠牲を前提とするたとえ話を持ってきて、二つの県紙を攻撃する手法である。まともな文化人がやることではあるまい。

 百田氏のもう一つの特徴は、応援団がいる時だけ強気に転じるところ。自民党勉強会での沖縄蔑視を批判され「冗談だった」と逃げた同氏は数日後、右派の論客を集めて開かれた集会で、運営委員が沖縄の地元紙について「日本新聞協会の新聞倫理綱領に違反している」と述べたことを受けて、「改めて沖縄の二つの新聞はクズやなぁと思いました」と発言。再び沖縄メディアを攻撃していた。ベストセラー作家は、卑怯者の見本のような人物なのである。ちなみに、この時の集会の主催者は、名護市の講演会と同じ「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」。産経と百田氏、そして極右の団体が組んで、政権に逆らう沖縄メディアをいたぶる構図である。

■問われる「報道」の資格
 沖縄タイムスと琉球新報の販売部数は、合わせて約31万部。それだけ両紙を支持する沖縄県民がいるということだ。産経や百田氏が沖縄の2紙を「偏向」と決めつけることは、大多数の沖縄県民の声を「偏向」と罵ったに等しい。ならば沖縄県民に向けて「あなた達の考えは、偏向している」といえば済むのに、産経や百田氏は、県民の声を代弁する県紙を攻撃する。日本の保守(もちろん彼らの自称に過ぎないが……)は、いつからこうもずる賢くなったのか――。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐっては、2014年1月の名護市長選、同年11月の沖縄知事選で、移設反対を訴えた候補者が勝利。その後に行われた3回の国政選挙でも、移設反対の「オール沖縄」が圧勝している。民意の方向性は明らかだが、安倍政権はこれを無視。移設工事を強行してきた。沖縄戦では県民の4人に1人が犠牲になった。戦後70年以上にわたって米軍基地を押し付けられ、国防に貢献してきたのも沖縄だ。だが、極右陣営は沖縄の歴史を理解せず、基地反対も移設反対も「偏向」「左翼」で片付けてきた。底流にあるのは、戦前の軍部と同じ“沖縄蔑視”なのである。

 同じ卑劣漢でも百田氏は民間人。何を言おうと自由だ。だが産経新聞は曲がりなりにも報道機関。他者を「偏向」と批判するなら、自らの偏向を自覚すべきだろう。それが理解できないのなら、産経に「報道」を名乗る資格はあるまい。ある在京のジャーナリストは、産経の報道姿勢について次のように述べている。
 ――記者会見で、記者が対峙するのは権力者である。疑惑を突きつけ、説明を求める。責任を追求し、場合によっては、謝罪を迫ることもあるだろう。記者会見の場は権力者とジャーナリズムの緊張関係が象徴的に現れる場面でなければならない。昨今の記者会見が上辺だけの乾いたやりとりに終始している現状があり、その点で、確かにメディアへの批判は理がある。ただ、だからこそ、産経新聞がやっていることはおかしい。記者たちは本来、権力者の表情を注視し、発言の片々に耳を傾けなければならない。文字通り、視線の先にあるべきは権力の姿だ。にもかかわらず、産経がやっているのは権力者側から記者たちを眺め、揚げ足取りの機会をうかがっているように思える。どちら側を向いて仕事をしているのか。

 英国の作家ジョージ・オーウェルは、スペイン内戦において反ファシズム戦線に一兵士として参加した経験を持つ。ファシズムが行き着くディストピアのありようは代表作「1984」で描いた通りだ。日本社会が近づきつつあるとして、再評価されている名作である。産経はそのオーウェルの言葉をかみしめる必要がある。「ジャーナリズムとは、報じられたくないことを報じることだ。それ以外のものは広報にすぎない」。広報紙でも構わないと思っているのかもしれないが……。



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