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僭越ながら:論

自民への一票は戦争への道

2017年10月20日 09:30

 「自民党単独過半数」「事項で300議席超」――。今月10日の公示直後から流れる、大手メディアの選挙情勢調査結果だ。森友・加計疑惑から逃れるため、臨時国会の冒頭で解散した安倍首相の卑怯な振る舞いに怒りを覚える人は多かったはずだが、小池百合子希望の党代表の「排除」発言で様相は一変。敗色濃厚だった自民党は息を吹き返し、圧勝する勢いとなっている。
 “なぜ自民党なのか”という問いかけに対し、返ってくるのは「一票を託せる自民党以外の政党がない」「自民は嫌だが、希望はもっと嫌」といった答えばかり。たしかに、筋を通した立憲民主党の候補者が立候補しているのは、全国289選挙区の内わずかに63選挙区。希望に移った変節議員を信用できない状況では、消極的選択で自民に支持が集まるのは無理もない。
 だが、自民党勝利の先に見えているのは憲法改正と「日本軍」の復活。どんなに有権者が「戦争を望んだつもりはない」と言い張っても、安倍晋三首相は「選挙で白紙委任を得た」として、戦前回帰を果たそうとするだろう。本当にそれでいいのか?

◆筋の通らぬ自民・公明
 自民党前職の選挙カーが、名前を連呼しながら近くの路地まで入り込んできた。ひとしきり名前を連呼した後、ウグイス嬢がアナウンスしたのは「比例区は公明党」。おなじみになった光景だが、私は未だになじめない。「自民党を応援しているのに、なぜ公明党に比例の票を入れなければならないのか!」――自公の露骨な票の回し合いに、疑問を抱く有権者は少なくあるまい。

 自民党も公明党も、民進党の前職が集う希望の党や立憲民主党を批判している。希望は憲法や安保法制に対する主張を一変させた政治家の集まり、立憲は共産党と手を組んだとんでもないやつら、だからけしからんという論法だ。
 だが、小選挙区で当選するため「比例は公明」と叫ぶことも、有権者を馬鹿にしていることに変わりはない。自民党の公認候補なら「比例も自民」というのが筋。議席のために、成り立ちも綱領も違う政党を押し付けるなどもってのほかだろう。思えば国民は、党利党略が優先する政治に、ずいぶん長い間だまされている。

 排除だの変節だのが状況を一変させた今回の総選挙は、筋の通らぬことばかりだ。まず、各党の政策に並んだ「教育無償化」だが、最初にこの考え方を提示したのは旧民主党。政権奪取と同時に高校の授業料を無償化した。恩恵を受けた家庭は多かったはずである。

 当時、民主党政権による高校授業料無償化を、バラマキだとして激しく批判したのは、他ならぬ自公。「反対のための反対」などと野党を批判する自公だが、どの口が言っているのかと聞きたくもなる。
 自民党に至っては、憲法改正が必要な理由に教育無償化を挙げる始末。狙いは「9条」だけだとハッキリ示せばいいのに、姑息な手段で国民の気を引く汚さだ。
 安倍首相が衆議院解散の名分にしたのは「消費増税分の使い道を変更することの是非を問う」というもの。これにしても、民進党を破壊したどこぞの阿呆が主張していたことを、パクったに過ぎない。

 筋違いな話はまだある。例えば、北朝鮮危機への対応。安倍自民党はあたかも集団的自衛権がなければ対応できないかのような主張を続けているが、凶暴な独裁国家に対処するのは「個別的自衛権」。我が国と関係のないところで米国と北朝鮮に武力衝突が起これば、日本は集団的自衛権を行使して戦闘に参加することになり、結果として戦争に巻き込まれることになる。
 集団的自衛権の行使容認に踏み切った時、安倍首相は「海外邦人の保護」を第一の理由に挙げた。それが真っ赤な嘘だったことは、現状を見れば明らかだ。日本の集団的自衛権は、米軍を守るために存在する。

◆綱領に見る嘘つき与党の実態
 「愚直に政策」などと語り、ゴタゴタを続ける野党を厳しく批判する安倍自民党と公明党。だが両党とも、政党の本質を明文化した「綱領」とは、全く違うことをやっている。笑ってしまうのが自民党が平成22年に公表した新綱領で、そこには、こうある。

(1)正しい自由主義と民主制の下に、時代に適さぬものを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求める。
(2)勇気を持って自由闊達(かったつ)に真実を語り、協議し、決断する。
(3)多様な組織と対話・調整し、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる。

 安倍首相は、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を可能とする安保法制、共謀罪法といった平和国家の根幹を揺るがす法整備を強行してきた。いずれも国民の半数以上に上る反対の声を押し切って進めたもの。自民党が目指す「正しい自由主義と民主制」とは、民意を無視することで成り立つことなのだろう。
 森友・加計問題で安倍さんが「勇気を持って自由闊達(かったつ)に真実を語」ったかどうかは、国民がよく知るところだ。
 「国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能」させたかどうかについては、度重なる強行採決と、憲法に基づく臨時国会の開催に応じず、ようやく開いた国会の冒頭で議論を省いて解散を決めたことで結論が出ている。首相も自民党も、やっているのは自分たちが定めた綱領とは真逆のこと。綱領で守るのは、「新憲法制定」のくだりだけという政党が信用できるはずがない。

 公明党も五十歩百歩だ。同党の綱領の中に、「草の根民主主義の開花と地方主権の確立」という一節がある。

 われわれの前身である旧公明党は、地方議会から出発し、草の根民主主義の確立と住民福祉の向上を追求してきましたが、この伝統を受け継ぐわれわれは、中央集権体制の変革、すなわち自立と参加による「地方主権の確立」をめざしていくものです。
 地方自治は、民主主義の学校であり原点です。住民の暮らしにかかわる事柄は住民自らが決定する――これが地方自治の本旨であり、この自治の精神がなおざりにされるならば、民主主義の発展はあり得ません。しかし、わが国においては、明治以来の中央集権体制のもとで、地方は画一化を要求され、自治体の自主性は阻害されてきました。戦後、日本国憲法と地方自治法の制定によって地方分権が制度としては保障されたにもかかわらず、それを具体化するための中央政府からの権限移譲や事務の再配分、地方財政の抜本的強化が一向に進まず、今なお中央集権構造が続いているのが現実です。
 地方主権の確立とは、地方分権を徹底することにより、地域の多様性、自主性を尊重し、地域と住民の暮らしにかかわる問題を地域自らが決定できる仕組みにすることです。そのためには権限や財源を、国から都道府県へ、さらに市区町村へと、より身近な自治体に移していくことが不可欠です。地方主権のもとで、多様な住民ニーズと地域の特性を踏まえた個性的な自治体行政の展開が必要です。
 住民にとって最も身近な政府である自治体に十分な権限と財源が存在し、政治と住民との間の距離が小さくなれば、民主主義の理念は生きいきとし、地域文化は活性化し、住民は豊かな暮らしを実感できるようになります。この姿こそ、われわれの目指す地方主権の政治・社会像です。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡って、安倍政権は、沖縄の民意を無視し続けてきた。名護市長選と沖縄知事選、さらには衆議選と参院選――。いずれの選挙でも辺野古移設反対を掲げたオール沖縄が完勝したのに、沖縄の声は黙殺され、移設工事が強行されている。だが、地方主権を綱領に掲げ、「地方自治は、民主主義の学校」などときれいごとを謳う公明党が、辺野古移設に反対したという話は聞いたことがない。綱領が本土向けのものだとすれば、この政党はとんだ食わせ物ということになろう。

◆白紙委任でいいわけがない
 好きか嫌いかは別にして、現状、筋の通った動きを見せているのは立憲民主党と共産党、社民党だけだ。3党とも主張はブレていない。この3党の内、いずれかの政党の候補者が小選挙区で立候補していれば、私は迷わずその野党候補に一票を投じる。子供たちの世代のために、それが“最善の一票”になると信じるからだ。
 では、自民党候補とぶつかる野党候補が希望の党の候補者しかいない場合はどうするか?安倍独裁に終止符を打つには、目をつぶって希望の党に投票するしかない。変節と傲慢の希望の党だが、スタートで大きく失敗を犯した反省はできるはず。痛い思いをした分、民意を重んじる姿勢に転じると思うしかない。「白紙委任」で戦争国家になるよりましだろう。

 安倍首相は、第2次安倍政権発足後に行われた2度の参院選と前回の総選挙で勝利したが、公約になかった特定秘密保護法や安保法、共謀罪法を強行採決し、この国を「戦争のできる国」に近づけた。選挙で勝てば「白紙委任」を受けたとする卑劣な考え方に基ずくものだ。今回の衆院選においては、街頭で「改憲」と訴えることを控え、公約の最後に憲法改正を掲げている。明文化した分、狙いが改憲にあることは確かで、それこそが安倍政治の最終目標だ。安倍の言う「美しい国」とは「戦争のできる国」。戦車が走り戦闘機が飛び交うさまを、私は美しいとは思わない。

(HUNTER・中願寺純隆)



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