“一強”という歪んだ政治状況を現出させたのは、「首相官邸記者クラブ」に巣くう政治部の記者たちだったのかもしれない。
学校法人「加計学園」の獣医学部新設を巡る問題で、大きな転換点になったのが6月8日に行われた菅義偉官房長官の定例会見。この日、東京新聞の女性記者から加計学園問題についての厳しい追及をうけた菅氏は、答弁に窮して立ち往生し、政府が、文科省文書の再調査に追い込まれるきっかけとなった。
菅氏に食い下がった東京新聞の女性記者は、ふだん官邸の記者会見に出ることがない「社会部」の所属。彼女がいなければ、加計疑惑は幕引きとなっていた可能性が高い。官邸詰めの“政治ジャーナリスト”たちは、一体何をやっていたのか――。
■政権を追い込んだのは「社会部」の記者
6月8日の官房長官記者会見は、まさに女性社会部記者の独壇場。並み居る政治部記者たちには目もくれず、厳しい質問を連発した。菅氏は、その度に答弁をはぐらかし、最後は「文部科学省において検討した結果、出所や入手経路が明らかにされていない文書については、その存否や内容などの確認の調査を行う必要がないと判断した」を繰り返すばかり。まともな回答ができずに、疑惑を深めさせる形となった。会見後、菅官房長官は首相執務室に駆け込み、そこで文科省文書の再調査が決まったと言われている。
東京新聞の女性記者は、社会部の所属。ふだんなら、官邸の記者会見に出てくることはない。官邸で行われる首相や官房長官の会見で取材するのは、「首相官邸記者クラブ」に加盟している政治部の記者たちだからだ。6月8日の官房長官会見で菅氏を追及したのは、件の社会部記者と英字紙・ジャパンタイムスの記者。政治部の記者たちは、ほとんど加計問題に触れていない。官邸の記者クラブは、権力の監視という最も重要な使命を果たしていなかったということだ。
■官邸記者クラブの実態
悪名高き記者クラブ制度の象徴ともいえるのが「首相官邸記者クラブ」。“知っているけど書かない”、“質問はほどほどに”、“突っ込んだ質問は別の場所で行う”、“政府を追い詰めない”、“予定調和を乱す者は排除”――それが首相官邸記者クラブの実態である。官邸のホームページに残る首相や官房長官の会見動画を見ると、静かで平和な官邸の様子がよく分かる。
安倍一強といわれる政治状況が数年間続いてきたが、これには官邸記者クラブの不作為にも原因がある。もちろん数で圧倒されている野党のふがいなさもある。しかし、こうした状況で野党以上に力を持っているのはマスコミ。とくに官邸記者クラブ所属の政治部の記者たちが政府の誤りを徹底して叩いていれば、いまのような歪んだ政治にはなっていなかったはずだ。現に過去の官房長官会見を見れば、「なんで突っ込んで聞かないんだ!」という場面ばかり。菅氏を「政権の守護神」に仕立てたのは、権力に対する甘い対応を続けてきた官邸記者クラブなのである。
■生かされぬ苦い経験
官邸の記者クラブといえば、思い出す「事件」がある。いわゆる「神の国発言」を巡る顛末だ。平成12年、当時首相だった森喜朗氏が、ある会合における挨拶で「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく」と発言。政教分離や主権在民をないがしろにするとして問題になったが、一方でこの国の政治報道の歪みをさらけ出す。
政権側は、発言についての釈明会見を開き問題の幕引きを図ったが、後日、この会見を切り抜ける方法を列挙した文書が、官邸の記者クラブ内で西日本新聞の記者によって発見されたのである。文書は、内閣記者会に所属していたNHKの記者が、森元首相に逃げ道を指南するために作成していたもの。権力の監視を使命とする報道機関の記者が、権力側と組んで茶番を演じていたことを証明する出来事だったが、日本のメディアは、この問題をうやむやにしたまま、事を終わらせる。真相究明を求められた当の内閣記者会自体が、犯人を割り出す責任を放棄したうえ、NHK記者の責任を不問に付してしまったのである。報道の自殺行為と言っても過言ではない出来事だったが、この時の対応が、官邸記者クラブの悪しき体質を温存させる結果となったのは間違いあるまい。
事例をひも解くまでもなく、日本の政治が著しく劣化したのは明らかだ。一番悪いのはバカな政治家本人だが、「選んだ側にも責任がある」という主張を否定するつもりもない。しかし、権力と対峙し、時に体を張って悪政を追及するのは報道の使命。首相官邸の記者クラブは、その使命を果たしてきたとは言い難いのが現状だろう。東京新聞社会部記者の活躍は、その証明なのである。