新聞に課せられた最大の使命は“権力の監視”。政治や行政の歪みを糺す姿勢がない新聞には、「公器」を自称する資格などあるまい。
政権の走狗が発行する新聞などただのゴミに過ぎないが、加計学園問題で真っ二つに分かれた新聞各紙の論調を見ると、読売・産経の政権擁護は異常。政府が犯した不正についての告発を否定的に扱い、政権による告発者へ人格攻撃に同調する始末だ。これではまるで、不正に手を資したも同然。改めて、主要各紙による一連の報道を検証した。
(右は朝日新聞17日朝刊の紙面)
■読売・産経VS朝日・毎日の構図
森友学園問題が世間を騒がせ始めた頃から、永田町や報道関係者の間で囁かれていたのが加計学園疑惑。加計のトップは安倍首相の“腹心の友”。そこに国家戦略特区を利用して、獣医学部の認可と37億円の土地、100億円近い補助金が転がり込んだというのだから注目されて当然だった。
くすぶり続けていた疑惑に火をつけたのが朝日新聞5月17日朝刊のスクープ(本稿冒頭の写真)。特区を担当する内閣府が文部科学省に「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」などと圧力を加えていたことを示す文書が、文科省内部に存在することを伝える記事だった。
政権を揺るがす問題の文書を怪文書扱いし、疑惑を否定する政権側。永田町や霞が関で、文書の出所として川喜平前文部科学事務次官の存在がクローズアップされ出した頃から、新聞各紙の姿勢がハッキリしてくる。
まず驚いたのが、政権側の意向を汲んだとしか思えない22日の読売新聞朝刊の報道。すでに退官し、民間人となった同氏のガールズバー通いを報じたのである。告発者と思われる人間を、先行して叩いた形。その後の展開を睨んだ、政権と読売の共同作業だった可能性が高い。
文書の存在だけでなく、人格まで否定された前川氏。反撃に出たのが25日の記者会見で、「総理のご意向」などと記した一連の文書が文科省内部で作成・共有された文書だったことを証言し、永田町に衝撃が走る事態となった。ここから、権力の監視を強める新聞と、政権の走狗との違いが歴然となってくる。
下は、前川会見を伝える26日の新聞各紙朝刊の紙面。朝日、毎日が1面トップで会見内容を報じたのに対し、読売・産経はそろって1面の肩。扱いも小さい。
同日以降の記事は説明する必要のないほど、姿勢の違いが歴然。前川氏の証言や人格を否定する記事を垂れ流す読売・産経に対し、朝日・毎日は、その後も続く前川氏の新証言を余すところなく報道し、しらを切りとおす政権側を厳しく批判するといった状況。新聞の使命を果たしているのはどちらか、論ずるまでもない。
■読売・産経は新聞に非ず
特定秘密保護法、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認、安保法制、共謀罪法案――。平和国家の根幹を大きく変える政策課題で、常に政権擁護の報道を続けてきたのが読売と産経だ。これに対し、不十分ではあるが、明確に「反対」の論陣を張ってきたのが朝日、毎日、地方紙である。政策課題ごとに国論が割れた形になるのは、国内最大の部数を誇る読売が、もっともらしく政権の主張を補強してきたからに他ならない。
国内で発行されている「新聞」の販売部数は、およそ3,600~3,800万部。そのうち地方紙が約1,600万部程度で、約2,000万部を朝日・毎日・読売・産経で占めるという。
昨年1年間の各紙の部数を比較してみると、政権に批判的な朝日・毎日が約930万部、安倍の犬と断じてもおかしくない読売・産経の合計が約1,050万部となっている。ゴミといえども、「新聞に書いてあるから」と、紙媒体の情報を信じる国民が多いのは確かで、これだけの部数があれば世論操作も可能となる。
重ねて述べるが、権力の監視こそが新聞の使命。政権にとって都合の悪い真実を告発した人間を貶める報道など言語道断だ。政権が犯した不正の隠蔽に手を貸す形となっている読売・産経は、ただちに「新聞社」の看板を下すべきである。