沖縄の民意を無視した暴挙は、どこまで続くのか。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、安倍政権は25日、キャンプ・シュワブ沿岸部の護岸工事着手に踏み切った。
既成事実を積み重ねることで、建設阻止に向けて動く翁長雄志知事の権限を封じ込めるのが狙い。安倍晋三得意の“有無を言わさず”で、沖縄の声を圧殺しようとしているのである。
あす29日に沖縄国際大学で開かれる緊急シンポジウム『辺野古新基地建設を止めるもう一つの取り組み~県外移設を再確認する~』を前に、基地問題を考える。
■基地問題の本質
沖縄の基地問題は、右・左、保守・革新というイデオロギーを軸とする問題ではない。沖縄人の土地を、日本人が侵略し、併合し、犠牲にし続けているという問題である。
この20年あまりの間、沖縄人は「県外移設」という言葉をめぐって葛藤してきた。過酷な沖縄戦の記憶を持つ沖縄人には、軍事基地や軍隊による痛みを「本土」の人びとに味わわせたくないという気持ちが強かった。加えて、沖縄人は琉球併合から続く同化政策や沖縄戦での経緯から、「本土」の人に憧れや恐れ、遠慮といった複雑な感情を抱いており、県外移設を言うことは「本土」の人たちに敵対するように受け止められるのではないかとして、「言ってはいけないこと」として考える人が多かった。
しかし今、多くの沖縄人がこう考えている。
沖縄が強いられている、琉球処分から現在に至る米軍基地集中という歴史的・構造的差別は、日本「本土」に暮らすすべての人びとに責任がある。沖縄の海兵隊が岐阜県や山梨県から移設されてきた経緯も明らかになってきた。基地は「本土」側の「県外移設」によって沖縄に集中したのである。要するに「日本に要らないから沖縄へ持ってきた」ということである。移設先が沖縄であるべき軍事的必然性はないことも明らかになってきている。
■求められる国民的議論
代替施設が必要か否か、日本国内に必要か否か、必要ならば沖縄以外の場所を等しく候補地として、国民的な議論を行うことが必要ではないだろうか。東アジアの軍事的緊張が高まる中、沖縄人は自らの生命、安全を守るためにもこれ以上日本の犠牲になるのはやめるべきだと考え始めている。日本人は自分の安全のために米軍基地が必要というのであれば自ら引き取るべきである、と。
いま、「県外移設」という言葉は、タブーでもなければ、日本人の「お墨付き」を得なければ言えないことでもない。琉球「処分」から130年余り、沖縄戦の終結から70年余りを経た沖縄から、日本の民主主義を問う言葉なのである。
4・29緊急シンポジウム『辺野古新基地建設を止めるもう一つの取り組み~県外移設を再確認する~』が29日午後2~5時、宜野湾の沖縄国際大学3号館202号教室で開かれる。