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鹿児島知事選 三反園勝利の舞台裏

2017年4月10日 07:30

鹿県県庁.jpg 昨年7月、鹿児島県知事選挙で4選を目指した伊藤祐一郎氏が敗れ、川内原発停止や県政刷新を掲げた三反園訓氏が初当選した。
 番狂わせの要因は、三反園氏が反原発派との候補一本化に成功したこと。伊藤前知事の上から目線も、敗因の一つである。ただし、意外な選挙結果になった理由はそれだけではない。現職落選の流れを作ったもう一つの動きがあったことを、ほとんどの県民は知らされていない。
 関係者の証言を交えて、知事選の舞台裏を検証する。
(写真手前は県議会棟、奥が鹿児島県庁)

■野心家の素顔
 三反園氏が知事選への挑戦を決めたのは、一昨年の秋。表向きはそうなっているが、三反園氏の野望は、早くから分かっていたという。「知事か国政選挙に出たい」――十数年前から三反園氏と付き合いのある県内の男性経営者は、そうハッキリ聞かされていたと証言する。しかし、安倍一強時代にあって、自民党の金城湯池と言われる鹿児島県には、三反園氏がしゃしゃり出て当選可能な選挙区はない。自民党の公認候補は、盤石の地盤に支えられており、直近で三反園氏が公認の座を得られる保証もない。民進党では惨敗必至。知事選しか向かうところがなかったというのが、実情だった。三反園氏の素顔は、ただの権力亡者なのである。

■「原発停止」に飛びついた
 三反園氏の知事選出馬を歓迎する声が多かったのは事実だ。川内原発再稼働を巡る伊藤前知事の強権的な姿勢に女性蔑視発言、県職員による上海研修、総合体育館、薩摩川内処分場(エコパークかごしま)、無駄な県営住宅増設、時代錯誤の中・高一貫男子校……。失政続きに県民の不満が爆発し、リコール運動を起こされたほどだった。「うまくやれば勝てる」――三反園氏とその周辺の判断は、間違ってはいなかったと言えよう。そこに熊本地震。原発への不安が高まるなか、脱原発に消極的だった三反園氏が「原発停止」へと舵を切る。「熊本地震を受けて、川内原発を一時停止して点検すべき」――この政策案を提言したある関係者は、次のように話す。
「“熊本地震が起きた、川内原発を一時停止すべき”そういう考え方もあると話したら、次の日にはまんま話していた。つまりは、その程度ということ。原発について、三反園さんは何も勉強していなかった。あまりに受けが良かったので、彼は脱原発派との共闘へと進んだが、熊本地震が発生していなければ、共闘はなかったと断言してもいい。三反園訓の頭の中には、原発を止めるなんて発想はなかった。都合のいい話に、飛びついただけだ」
 
■「私は保守」の意味
 反原発派との調整の結果、候補者一本化。ギリギリの段階で一対一の勝負に持ち込んだ三反園氏だったが、選挙前から「私は保守です」という言葉を繰り返すようになる。確かに、鹿児島は保守の牙城。かつて民主党が政権を奪った時の総選挙でも、自民党は県内に五つある選挙区で、ただの一つも野党候補に負けなかったほどだ。しかし、「私は保守」の本当の意味は、別のところにあった。

 自民党は昨年の知事選で、「公認並みの扱いをする」として伊藤前知事を全面支援。国政選挙の選挙結果からすれば、三反園氏の当選は極めて難しい状況だった。選挙前、報道機関の情勢調査でも伊藤優位の結果がでていたのは事実だ。実際、知事選と同時に行われた参院選鹿児島選挙区では、自民党の公認候補が野党統一候補に圧勝している。参院選の候補と二人三脚で選挙戦を進めた伊藤氏が、敗れるはずがない戦い。しかし、結果は 万票の差をつけての三反園勝利。これは自民票が三反園氏に流れたことを意味している。なぜそうなったのか?

■森山元農相の暗躍
 自民党鹿児島県連の会長は、森山裕元農相。鹿児島市議会議員、参議院議員を経て2004年に衆院に移り、大臣にまで登り詰めた党人派だ。地元では変化球ばかり投げることで有名な御仁で、過去には不正を働いた業者から献金を受けていたことも。市議会議員時代には、暴力団の事件に関わったとして議長を辞任している。

 実はこの森山氏こそが、三反園勝利の立役者だと断言する県連関係者は少なくない。三反園陣営の関係者と自民党県連関係者の話を総合すると、選挙前から三反園氏と接触していた森山氏は、表向き伊藤支援を演じながら、裏ではしっかり三反園氏との関係を保っていたのだという。前回まで森山氏側の指示で伊藤氏への票の取りまとめをおこなっていたという業者は、こう話す。
「去年の知事選では、森山先生から『伊藤をやれ』という強い指示はなかった。『森山先生は三反園支持』という噂が流れていたほどで、戸惑った。自民党が、県連組織を挙げて伊藤さんを支援した形にはなっていなかったんじゃないか。」
 同様の話は、県内各地の関係者が認めるところ。森山氏の三反園支援は、公然の秘密となっていた。

 森山氏と関係を持つ、ある企業経営者も厳しい評価を口にする。
「あの人(森山氏)は、表裏がありすぎる。あっちにもこっちにも良いことを言って、腹の中は別の事を考える人。政治家だから、誰にでもいい顔をするのだろうが、後になって『だまされた』と気づくこともしばしば。反社の連中との付き合いも聞こえてくるし、信用できない人だ。伊藤さんは、はっきりものを言う人。予算だって、国会議員に頼まなくても引っ張ってこれた。森山にとっては、目の上のたんこぶ。コントロール可能な、まあ、バカな三反園の方が都合がよかったのは確かだろう」

 肝心の伊藤前知事は、森山氏の裏切りを知っていたのか――。県連関係者によれば、「森山は裏切っている」という話を信じなかった前知事も、選挙戦終盤には実情を把握する状況になっていたのだという。自民党による“公認並みの態勢”を信じた知事は、それまで支援を取り付けていた労組(連合)対策も行っておらず、公明との関係も希薄になったままで選挙に突入していた。「“公認並み”は、伊藤氏を油断させる罠だった」と断言する自民党関係者もいる。伊藤氏の無念は、察して余りある。

 一方、森山氏のお陰で知事の座を手に入れた三反園氏は、その後も森山氏の指南を受けることに。厚労省から副知事を迎える際には、別の自民党参院議員に力を借りたとされる。三反園氏が反原発派と関係を断ったのは、森山氏ら自民党側の指示によるものだったとの証言もあり、事実なら、彼は選挙前から反原発派はもちろん県民をも欺いていたということになる。その森山氏だが、実にしたたか。周辺には「三反園が短期で辞任したら、俺が知事選に出ようか」と冗談を飛ばしながら、伊藤前知事の後援会会長を務めていた県医師会の会長を、空白になっていた三反園後援会の会長に就任させるという離れ業を演じている。自民党が「公認並み」の扱いで支援した候補を破った相手に、贈り物をした格好。県連内部からは「とんでもない。森山はキングメーカーを気取っているのではないか。三反園のバックに森山がいることは、誰もが知るところ。前知事落選で責任を取るべき人物が、敵方の後見人になるなど、言語道断。県連だけでなく、県民をも馬鹿にした話だ」という声が上がっている。

 自民党県連と嘘つき知事を操る森山代議士。得意の絶頂にいることだろうが、スキャンダルに見舞われないことをお祈りしたい。



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