大阪府・市が2025年に万博を誘致する計画を進めている。橋下徹府知事時代に持ち上がったこの計画。日本維新の会が、改憲への協力をエサに、安倍政権に急接近したことで、にわかに現実味を帯びてきた。「副首都・大阪」を悲願とする維新にしてみれば、「東京が五輪をやるなら、大阪は万博だ」と、対抗意識が刺激されるのは仕方ないのかもしれない。だが、府が昨年10月にまとめた万博構想案は、理解に苦しむ代物だ。
■文楽たたいた大阪府が……
構想案によると、テーマは「人類の長寿・健康への挑戦」なのだという。確かに日本の長寿と健康は世界に誇る価値の一つ。だが、厚生労働省の平均余命の統計では、大阪府は男性が41位、女性が40位。「なぜ大阪府が、長寿と健康を?」という疑問がすぐ浮かぶ。万博構想案が掲げる理由は納得とはほど遠い。
万博構想案は、大手製薬会社のオフィスや産官学の研究開発拠点があることや、健康に関連する食、スポーツ、家電、衣料などの産業が集積していることなどを挙げているが、どれもこじつけの域を出ない。挙げ句の果てに次のような記述すらある。
文化的な面では、江戸時代は庶民の文化である元禄文化が花開いた。例えば、この時に発展した人形浄瑠璃をベースとした文楽は、現在でも多くの人に親しまれている。この文楽の担い手となるには日々の鍛錬が不可欠であることから、高い技量を習得した高齢者が第一線で活躍しているなど、大阪は高齢者が現役として活躍できる街である。
(構想案4頁・「大阪・関西で国際博覧会を開催することの意義」より)
言うまでもなく、文楽は国の重要無形文化財であり、ユネスコ無形文化遺産でもある伝統芸能だ。その文楽を鑑賞して「つまらない。二度と見ない」とのたまい、文楽協会を「特権集団」と決めつけ、補助金を人質にたたいたのは橋下知事だった。それが一転、知事こそ松井氏に変わっているものの、今度は万博誘致のため、高齢者活躍の事例として文楽を利用する。罵ることも褒めそやすことも目的次第、気分次第。義太夫の人間国宝、竹本住大夫氏に「口だけ達者でんな」とぼやかれたご都合主義は、橋下氏「引退」後も引き継がれ、万博構想案に結実している。
そもそも、万博のあり方は1994年を境に大きく変わった。従来は、科学技術の進歩など人類の「到達点」を見せる「国威発揚型」だったが、この年にあった万博を監督する博覧会国際事務局(本部パリ)の総会決議で、地球規模の課題に対する「出発点」となることを目指す「理念提唱型」に転換している。この点については、府の資料で言及されており、知らないはずがないのだが、この軽い議論は一体どういうことだろう。
■バブルの夢が散った島
そんな無理筋のテーマを掲げてでも大阪が万博にこだわるのはなぜか。疑問を解くカギは、会場予定地にある。
会場をめぐっては当初、府が設置した有識者らによる会議が、1970年の大阪万博の会場だった万博記念公園や服部緑地、りんくう公園といった6つの候補地を挙げて議論していた。ところが、松井知事は昨年5月、上京して懇意の菅義偉官房長官と会談し、それまでの議論を事実上無視する形で、候補地に含まれてもいなかった人工島「夢洲(ゆめしま)」を会場とする方針を伝え、その流れのままに会場予定地は決まっていった。
夢洲は、日本各地で負の遺産となっている港湾開発の一つだ。バブル景気まっただ中の1988年に作られた「テクノポート大阪基本計画」に基づいて、隣の人工島「咲洲(さきしま)」とともに埋め立てが進められた。
咲洲はまだいい。大阪府・市の「くだらない見栄の張り合いの象徴」として有名になった地上55階建ての超高層ビル「大阪ワールドトレードセンタービルディング」(現・大阪府咲洲庁舎)の所在地として知られるが、夢洲に先行してまちづくりが進められ、マンションや商業施設、大学などが立地している。
問題は、いまだ埋め立てが続く夢洲だ。2032年度をめどに東京ドーム83個分、390ヘクタールにもなる敷地の大半は、利用計画がない。2008年開催の五輪招致を目指したが、北京に敗れて失敗。今は広大な空き地の脇で、コンテナターミナルやメガソーラーが稼働している程度だ。今回の万博誘致の動機は、この「夢の跡」にまたぞろ税金を投入することにある。万博をテコに埋め立てを加速し、地下鉄を通したい。だからテーマなど二の次なのだ。
府がまとめた構想案は、計2千億円規模の会場建設費や運営費のほか、地下鉄延伸など関連事業費に700億円以上を見込む。原資は「国、地元自治体、民間が確保する」のを原則とし、「民間投資を呼び込むアイデアを募る」とも記しているが、具体策は見えない。2020年東京五輪・パラリンピックの例を出すまでもなく、費用は膨らみ続け、関係者の間で負担の押し付け合いが始まると考えるべきだ。
■万博+賭博=???
「万博のテーマなど二の次だ」という本音は、大阪府・市が、万博会場の隣に「IR」を誘致する計画を進めていることからも明らかだ。
「IR(Integrated Resort、統合型リゾート)」は、カジノとホテルや商業施設などを「統合」した「リゾート」のこと。カジノで大勝ちして浮かれたり、逆に大負けして思い詰めたりする狂騒の時間が、「リゾート」という言葉で思い浮かべる、リラックスした上質な時間とは異質なものであるのは明らかだが、「IR」という言葉自体、イメージ操作のために使われて広まったものだ。国民に強い拒否感のあったカジノを2006年に解禁するにあたり、シンガポール政府が「単なるカジノではない最先端・最高級のリゾート」と印象づけるために使ったのは「IR」。だから、この言葉が抱えている矛盾は、当たり前と言える。
問題は、世界に向けて万博のテーマに掲げる「長寿・健康」と、「カジノ・ギャンブル・賭博」を並べて恥じない感覚にこそある。構想案はIRについて、「IRの誘致を含む国際観光拠点形成に向けた取組みとの相乗効果により、大阪・関西、ひいては全国のインバウンドを牽引する」と触れる程度だ。「長寿・健康」の祭典と、「カジノ・ギャンブル・賭博」の殿堂に、一体どんな関連があるというのか。まさか、カジノ目当てに集まるギャンブラーや反社会的勢力が万博会場に立ち寄って、長寿や健康の価値に目覚め、改心することを狙っているわけではないだろう。かくも支離滅裂な万博構想なのである。
■誰の、誰による、誰のための万博?
そもそもIR構想を持ち込んだのは、2009年にできた「大阪エンターテイメント都市構想研究会」なる任意団体だ。会員企業には、府・市の見栄の張り合いの象徴・咲洲の「大阪ワールドトレードセンタービルディング」を受注した大林組、鹿島建設、鴻池組などのゼネコンのほか、カジノ関連産業であるパチンコメーカーのマルハン、電通、博報堂など15社が名を連ねる。
だが、万博でもうかる一部の大企業と違い、地元企業が歓迎しているとは言い難い。府は2015年6~7月に実施したアンケートで、府内に本社を置く企業500社にアンケートを送付。回答したのが111社に過ぎないことからも冷めた空気が伝わるが、そのうち、万博に「参加したい」「どちらかと言えば参加したい」と回答した割合は18%に過ぎない。「参加しない」は25%に及び、「わからない」が46%を占める。
構想案は経済波及効果を「1.1兆円」、全国への経済波及効果を「2.3兆円」、間接的な誘発効果を含めると「4.1兆円」とはじく。アベノミクスが行き詰まり、地方創生のアイデアもないからといって、理念もなく、十分な議論もなく、万博誘致とカジノ解禁の合わせ技で一発逆転を狙うのは危険な賭けである。危険な賭けであることが分からず、あるいは分かっているけどやめられないのだとすれば、射幸心をあおられて冷静な判断ができなくなっているという意味において、ギャンブル依存症と同じ状況に陥っている。そんなときこそ、金目の話から距離を置き、頭を冷やして見つめ直す必要がある。今の大阪府・市がすがる1970年の大阪万博の「成功」の裏には、激しくも豊かな理念を巡る議論があった。「人類の進歩と調和」をうたったあの万博のレガシーは、そんな理念と議論にこそある。
(つづく)