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安倍晋三 “不敬”の証明(下) -沖縄と今上陛下-

2017年1月17日 09:20

 戦没者の慰霊に心を砕かれてきた今上陛下は、これまで硫黄島、フィリピン、サイパン パラオ・ペリリュー島などを訪れてこられた。とりわけ、国内で唯一の地上戦が行われた沖縄に対する思いは特別だったとみられ、皇室では戦後初となる皇太子時代の訪問以来、計10回沖縄の土を踏まれている。節目ごとに発せられた“お言葉”も、陛下の沖縄に対する思いが伝わってくるものばかりだ。
 一方、安倍晋三首相は沖縄の民意を無視し、普天間飛行場の辺野古移設や高江のヘリパッド建設を強行。陛下のご努力や思いを踏みにじってきた。これほど分かりやすい不敬はあるまい。改めて、今上陛下の沖縄に関するご発言を振り返ってみたい。

今上陛下の沖縄への思い
 陛下が初めて沖縄を訪問されたのは、皇太子時代の昭和50年(1975年)。戦後初となる皇室の沖縄訪問だった。美智子皇后(当時は妃殿下)とともに沖縄海洋博の開会式に出席された陛下は、糸満市にあるひめゆりの塔を訪れ献花されている。この時、左翼の過激派に火炎瓶を投げつけられるという事件が起きたが、陛下の沖縄訪問はその後も続いた。平成5年には、全国植樹祭式典出席のため天皇として初の訪問。直近では平成26年、10回目となる沖縄で那覇市の対馬丸記念館を訪れ、疎開する学童783人を含む1,484人の命が奪われた対馬丸事件の生存者や遺族と懇談されている。昭和天皇が慰霊を果たせなかったせいか、今上陛下の沖縄への思いは特別なのだろう。即位などの周年記念日やお誕生日といった節目ごとに、繰り返し沖縄の苦しみを代弁されている。そのいくつかを紹介してみたい。

【天皇として初の沖縄訪問を果たした平成5年 還暦を迎えたお誕生日に際し】
 沖縄の返還も印象深いものでした。返還から3年後、沖縄を訪問、海洋博覧会名誉総裁として沖縄を訪問し、多くの人命が失われた戦跡を訪れ、また、沖縄の歴史や風土に触れたことは深く心に残っています。沖縄県が多くの困難を抱えながらも、県民の努力により、状況が改善されてきていることを、今年の春の沖縄訪問で見聞し、嬉しく思っています。
【日米が米軍普天間基地の返還に合意した平成8年 お誕生日に際し】
 沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております。沖縄は、先の大戦で地上戦が行われ、大きな被害を受けました。沖縄本島の島民の3分の1の人々が亡くなったと聞いています。さらに、日本と連合国との平和条約が発効し、日本の占領期間が終わった後も、20年間にわたって米国の施政権下にありました。このような沖縄の歴史を深く認識することが、復帰に努力した沖縄の人々に対する本土の人々の務めであると思っています。戦後50年を経、戦争を遠い過去のものとしてとらえている人々が多くなった今日、沖縄を訪れる少しでも多くの人々が、さんご礁に囲まれた島と美しい海で大勢の人々の血が流された沖縄の歴史に思いを致すことを願っています
【平成11年 天皇陛下ご即位十年に際し】
 私の幼い日の記憶は、3歳の時、昭和12年に始まります。この年に廬溝橋事件が起こり、戦争は昭和20年の8月まで続きました。したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました。この戦争により、それぞれの祖国のために戦った軍人、戦争の及んだ地域に住んでいた数知れない人々の命が失われました。哀悼の気持ち切なるものがあります。今日の日本が享受している平和と繁栄は、このような多くの犠牲の上に築かれたものであることを心しないといけないと思います。

 沖縄県では、沖縄島や伊江島で軍人以外の多数の県民を巻き込んだ誠に悲惨な戦闘が繰り広げられました。沖縄島の戦闘が厳しい状態になり、軍人と県民が共に島の南部に退き、そこで無数の命が失われました。島の南端摩文仁に建てられた平和の礎には、敵、味方、戦闘員、非戦闘員の別なく、この戦いで亡くなった人の名が記されています。そこには多くの子供を含む一家の名が書き連ねられており、痛ましい気持ちで一杯になります。さらに、沖縄はその後米国の施政下にあり、27年を経てようやく日本に返還されました。このような苦難の道を歩み、日本への復帰を願った沖縄県民の気持ちを日本人全体が決して忘れてはならないと思います。私が沖縄の歴史と文化に関心を寄せているのも、復帰に当たって沖縄の歴史と文化を理解し、県民と共有することが県民を迎える私どもの務めだと思ったからです。後に沖縄の音楽を聞くことが非常に楽しくなりました。

【沖縄本土復帰30周年の平成14年 お誕生日に際し】
 今年は、沖縄が日本に復帰して30周年に当たります。30年前の5月15日、深夜、米国旗が降ろされ、日の丸の旗が揚がっていく光景は、私の心に深く残っております。先の大戦で大きな犠牲を払い、長い時を経て、念願してきた復帰を実現した沖縄の歴史を、人々に記憶され続けていくことを願っています。そして沖縄の人々が幸せになっていくことを念じています
【8回目の沖縄訪問を1か月後に控えた平成15年12月 お誕生日に際し】
 今度の沖縄県の訪問は、国立劇場おきなわの開場記念公演を観ることと、それからまだ行ったことのない宮古島と石垣島を訪問するということが目的です。しかし、沖縄県と言いますと、私どものまず念頭にあるのは沖縄島そして伊江島で地上戦が行われ非常に多くの、特に県民が、犠牲になったということです。この度もそういうことでまず国立沖縄戦没者墓苑に参拝することにしています。この沖縄は、本当に飛行機で島に向かっていくと美しい珊瑚礁に巡らされ、いろいろな緑の美しい海がそれを囲んでいます。しかし、ここで58年前に非常に多くの血が流されたということを常に考えずにはいられません。沖縄が復帰したのは31年前になりますが、これも日本との平和条約が発効してから20年後のことです。その間、沖縄の人々は日本復帰ということを非常に願って様々な運動をしてきました。このような沖縄の人々を迎えるに当たって日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び、沖縄の人々への理解を深めていかなければならないと思っていたわけです。私自身もそのような気持ちで沖縄への理解を深めようと努めてきました。私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました。そのような気持ちから沖縄国際海洋博覧会の名誉総裁を務めていた機会に、その跡地に「おもろそうし」という沖縄の16世紀から17世紀にかけて編集された歌謡集がありますが、そこに表れる植物を万葉植物園のように見せる植物園ができればというつもりで提案したことがあります。海洋博の跡地は潮風も強く、植物の栽培が非常に難しいと言っていましたが、おもろ植物園ができ、一昨年には秋篠宮妃が子供たちと訪れています。また、同様の気持ちから文化財が戦争でほとんど無くなった沖縄県に組踊ができるような劇場ができればと思って、そのようなことを何人かの人に話したことがあります。この劇場が、この度開場記念公演を迎えるということで本当に感慨深いものを感じています。沖縄は離島であり、島民の生活にも、殊に現在の経済状況は厳しいものがあると聞いていますが、これから先、復帰を願ったことが、沖縄の人々にとって良かったと思えるような県になっていくよう、日本人全体が心を尽くすことを、切に願っています
【11月に沖縄を訪問した平成24年 お誕生日に際し】
 8年ぶりに沖縄県を訪問したわけですけれども、今度行きました所は、今までに行ったことのない所が含まれています。沖縄科学技術大学院大学ですね、恩納村には行きましたけれどもそこは行きませんでしたし、万座毛も初めてでした。それから久米島がやはり初めての所です。戦没者墓苑は、これは毎回お参りすることにしています。そのようなわけで、毎回お参りしている所と新しい所があって、沖縄に対する理解が更に深まったように思っています。万座毛という所は、歴史的にも琉歌で歌われたりしていまして、そこを訪問できたことは印象に残ることでした。殊に恩納岳もよく見えましたね。久米島の深層水研究所も久米島としては水産上、重要な所ではないかと思っています。多くの沖縄の人々に迎えられたことも心に残ることでした。沖縄は、いろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども、段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり、これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています

 陛下のお言葉を、解説する必要はないだろう。戦中における沖縄での惨劇、その後の苦しみを一人でも多くの国民に伝えようとされる陛下の思いが、ひしひしと伝わってくる発言ばかりだ。いずれも、本土と沖縄の“温度差”を理解されたうえでのご発言でもある。

  • 「沖縄を訪れる少しでも多くの人々が、さんご礁に囲まれた島と美しい海で大勢の人々の血が流された沖縄の歴史に思いを致すことを願っています」(平成8年)
  • 「沖縄県民の気持ちを日本人全体が決して忘れてはならない」(平成11年)
  • 「先の大戦で大きな犠牲を払い、長い時を経て、念願してきた復帰を実現した沖縄の歴史を、人々に記憶され続けていくことを願っています」(平成14年)
  • 「復帰を願ったことが、沖縄の人々にとって良かったと思えるような県になっていくよう、日本人全体が心を尽くすことを、切に願っています」(平成15年)
  • 「日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事」「戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全体で分かち合うということが大切」(平成24年)

 度々の沖縄訪問と節目ごとの“お言葉は”、国を代表した沖縄への贖罪であると同時に、陛下の国民に対する呼びかけだ。だが、こうした陛下のお気持ちを、安倍首相は一顧だにしない。県知事選をはじめ幾度もの選挙結果で示された沖縄県民の民意を無視し、辺野古移設や高江のヘリパッド建設を強行する政権の姿勢は、陛下の思いとは全く逆。ご努力を無に帰する行為と言っても過言ではあるまい。安倍の「不敬」は、歴然である。



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