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真珠湾 違和感の正体

2017年1月10日 09:00

!cid_ii_15982f00ddc8fe80.jpg 年が明けても、違和感が拭えない。安倍首相は昨年12月27日、米ハワイの真珠湾で、次のように切り出した。

 ―耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江。私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。そこは、私に、沈黙をうながす場所でした

 続けて語られたのは、「非戦の誓い」、「希望の同盟」、「和解の力」。違和感の原因は、真珠湾がいま現在も世界随一の軍港であり続けている現実の重さに比べ、限りなく軽い言葉にある。この「静かな入江」には普段、「耳を澄ます」のも嫌になるような爆音を轟かせる戦闘機、「寄せては返す波」を切り裂いて行き交う軍艦がある。(写真はアリゾナ・メモリアル。米国立公園局HPより)

■基地の島
 真珠湾には太平洋艦隊司令部があり、原子力潜水艦をはじめ、巡洋艦、駆逐艦など多くの軍艦の母港となっている。真珠湾に隣接するヒッカム空軍基地には太平洋空軍司令部があり、真珠湾から山側に奥まったキャンプ・H・M・スミスには、太平洋陸軍、太平洋海兵隊を合わせ、それらを統括する太平洋軍司令部がある。いや、まどろっこしい説明はいらない。真珠湾のあるオアフ島は、面積の4分の1を基地が占める「基地の島」だ。そして、この太平洋軍司令部の指揮下に、沖縄をはじめ、三沢、横田、座間、厚木、横須賀、岩国、佐世保など、日本各地に配された在日米軍は、ある。

■非戦の誓い?
 安倍首相がオバマ大統領と肩を並べて祈りを捧げたアリゾナ・メモリアルは、真珠湾攻撃で海底に沈んだ戦艦アリゾナの上に作られた追悼施設だ。1,177人もの兵士が命を奪われ、その亡骸の多くが今も閉じ込められたままの「墓地」でもある。そのことは、多くのマスメディアが報じた通りだ。だが、「基地の島」の現実はセレモニーのクローズアップばかりでは、映るはずもない。

!cid_ii_15982f00d9fb77c8.jpg 大切なことは往々にして切り取られた写真や映像の外側にある。アリゾナ・メモリアルの横に目をやれば、全長270メートル、高さ64メートルの戦艦ミズーリが嫌でも視界に入る。1945年9月2日、その甲板で、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーを前に、重光葵外相、梅津美治郎参謀総長が降伏文書に調印した。その歴史的な戦艦は、アリゾナ・メモリアルのすぐそばで、一般に公開されている。
(左の写真。手前にアリゾナ・メモリアル、その奥に戦艦ミズーリ。米国立公園局HPより)

 戦争の始まりと終わりを並べて描かれるストーリーは、単純明快だ。≪日本の卑劣な奇襲に奮起して、民主主義を守る正義の戦いに勝った――≫同じく真珠湾で公開されている潜水艦ボーフィンが、このあっけらかんと澄み切った米国の歴史認識を裏付ける。真珠湾攻撃からちょうど1年後、「恥辱の日(Day of Infamy)」に進水式を行い、「パールハーバーの復讐者」と呼ばれたこの潜水艦の艦橋には、「日の丸」のマークがびっしりと並んでいる。撃沈した日本船の数を示す、いわば「勲章」だ。その一つは、対馬丸の撃沈に対して与えられた。

 1944年8月22日、戦火の迫る沖縄から1,788人の疎開者を乗せた対馬丸は長崎に向かう途中、鹿児島の悪石島付近で、ボーフィンの魚雷を受けて海に沈んだ。船倉にすし詰めになっていた多くの子どもたちが取り残され、学童783人を含む1,484人もの命が奪われた。撃沈70年の節目となった2014年、天皇皇后両陛下は那覇市にある慰霊碑に花を手向け、対馬丸記念館にも足を運び、遺族や生存者と懇談した。両陛下は、同世代の多くの子どもたちが亡くなったこの悲劇に、以前から深い関心を寄せ、10度目となる沖縄訪問で実現した慰霊だった。一方、多くの観光客が訪れるボーフィンで、対馬丸の悲劇が伝えられることなど決してない(※1)。

■和解の力? 希望の同盟?
 米国では、この戦争を「よい戦争(The Good War)」と呼ぶ(※2)。狂信的な全体主義国家を打ち倒したばかりでなく、人類史上初めて原爆の実戦使用に踏み切り、戦後の覇権争いに先鞭をつけることにも成功し、20世紀後半のパクス・アメリカーナに繋がっていったとする歴史認識だ。そして、大づかみにまとめれば、無差別爆撃への無反省はベトナム戦争へ、奇襲を引き金に沸騰する愛国心はアフガニスタン空爆へ、正義の戦いへの妄信はイラク戦争へと、それぞれ引き継がれている。

 その米国に日本は寄り添い続けてきた。1960年の日米安保条約で同盟関係を結ぶと、兵站補給基地として支え続けた。ナパーム弾を、枯れ葉剤を、雨あられと投下する戦闘機が飛び立った沖縄を、ベトナムの人々は「悪魔の島」と呼んだ。

 米国の中枢が奇襲に遭った9.11同時多発テロでは、米国がその報復としてアフガン空爆に踏み切ると、同盟国・日本は早くも翌月、「テロ対策特別措置法」を成立させ、遠く離れたインド洋に自衛隊を派遣させることを決める。2年間の時限立法だったはずが、一時的な期限切れをのぞき、ずるずると9年にわたって給油活動を続けた。

 同じ頃、米国が、国際世論の反対に耳を貸さず、イラク開戦に向けた最後通告を行うと、わずか3時間後に同盟国・日本の首相はテレビカメラの前に立ち、「支持する」と表明。司法から憲法違反と指摘されるような空輸活動まで行って献身的に尽くした。

 米国も日本も民主主義国家であり、それぞれに激しく粘り強く異議申し立てが行われたものの、日米同盟のもとに多くの命が奪われた事実は変えられない。自国の「平和」と「利益」を優先せざるを得ないことだって現実にはある。だが、胸を張り、高らかに、酔いしれて、このような同盟関係を「和解の力」、「希望の同盟」と呼ぶ感覚は、「どうかしている」と言わざるを得ない。

■美しく、限りなく軽い言葉
 「パールハーバー」と呼ばれるようになる前、真珠湾には「プウロア」という別の名があった。湾の入り口には「カアフパハウ」というサメの神が住んでいると信じられ、人々を敵から守り、豊かな海の幸をもたらしてくれる場所として、先住民の人々から大切にされていた(※3)。

 二つの後れてきた帝国が太平洋の両端から、利権を求めて膨張していく途上で、先にたどり着いた一方が、軍港に最適だと目をつけ、後れてやってきたもう一方が、標的として効果的だと目をつけた。それが美しい名を持つこの湾の歴史だ。真珠湾攻撃の後、当時40万人だったハワイに、100万人以上の兵士が送り込まれ、要塞化は加速した。ハワイが1959年になって「準州」扱いから50番目の州に格上げされたときには「不沈空母」としての役割を決定づけられていた。そして今も、真珠湾は攻撃の標的にも起点にもなり得る要塞であり続けている。日本に暮らす者なら、これと相似形を描く歴史と、さらに苛烈な現実に置かれた沖縄のことを思わずにはいられない。

 安倍首相の演説に戻る。締めくくりはこうだった。 

 私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。パールハーバー。真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。私たち日本人の子供たち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子供たちが、またその子供たち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。 そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。ありがとうございました。

 繰り返すが、この入り江では、軍艦や潜水艦が行き交い、上空を戦闘機が飛び交う。水質は激しく汚され、米環境省によって汚染地区に指定されている。現実離れした為政者の言葉は美しく、限りなく軽い。真珠湾演説の違和感の正体は、ここにある。

 理想を語ることはもちろん大切だ。ただ、現実を直視せずに掲げられた理想ほど危ういものはない。理想が高らかであるほど、目を背けたくなる現実が足元に転がっている。


【参考図書】
(※1)高橋真樹「観光コースでないハワイ 『楽園』のもうひとつの姿」高文研、2011年
(※2)矢口祐人「奇妙なアメリカ 神と正義のミュージアム」新潮選書、2014年
(※3)矢口祐人・森茂岳雄・中山京子「入門 ハワイ・真珠湾の記憶 もうひとつのハワイガイド」明石書店、2007年



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