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貝になったミタゾノ

2016年12月16日 08:15

1-鹿児島知事-2.png 三反園訓鹿児島県知事(写真)の声が聞こえない。7月28日の就任から間もなく5ヶ月。記者会見は、就任時を含め、たった2回にとどまる。内容はさておき、回数だけで言えば、三反園氏と同じくテレビ出身の首長たちに見劣りする。福岡市長の高島宗一郎氏が11回、神奈川県知事の黒岩祐治氏が9回、キャスターから国会議員を経て都知事となった小池百合子氏に至っては21回に上る(いずれも7月28日~12月15日、各自治体のホームページによる)。
 長く報道の現場にいた三反園氏が、記者会見の重要性を知らないはずがない。むしろ、その怖さを知っているからこそ、記者会見を開けないのだ。最大の原因は自身の公約違反にある。会見を開けば、必ず公約違反を責められる。答えられない。ボロが出る。だから開けない。だが、いつまでそれを続けるつもりなのか。

“泣き言”は許されない
 三反園氏は、自ら声を上げないばかりでなく、原発に危険と不安を感じている県民の声を聞こうともしなくなってしまった。県議会で3分の2以上の議席を占める自民党の目を気にしてのことだろう。実際、10月6日にあった自民党県議団執行部との非公開の会合で、エネルギー政策について「自民党と方向性は同じ」と語ったとされる。表ではだんまりを決め込み、裏では饒舌とは、有権者への裏切りにほかならない。原発をベースロード電源に位置付けて延命させていくことが本音ならば、正々堂々とそう主張するべきだ。

 だが、就任3カ月目の10月28日にようやく開いた記者会見で、三反園氏が語ったのは、“泣き言”だった。「私自身に原発を稼動させるか稼動させないかの権限があるわけではない」「私が仮にどういう対応をとろうが九州電力は稼動させていく」。公約を自ら投げ出すような発言だ。

 法的な権限がないことなど最初から分かっていたこと。原発に危険と不安を感じながら彼に投じた県民は、そんなことは承知の上で、それでも、公約に掲げた以上、それだけの「戦略」と「覚悟」があるのではないかと期待した。たとえ、本人に戦略がなくとも、知事と対話する機会さえあれば一緒に戦略を練っていくこともできると考えた。だが、本人にはその覚悟もなく、反原発派=公約と、自民党=権力の板挟みで、右往左往している。泣き言を言いたいのは県民の方だ。三反園氏は法的な権限がないことを言い訳にすべきではない。実際、権限などなくても、原発を止め続けた知事はいる。いま問われているのは、知事本人の「覚悟」だ。

法的な権限はなくとも
 2011年3月11日、東日本大震災が起きたとき、東京電力福島第一原発で、事故対応の拠点となったのは免震重要棟だった。今では広く知られたことだが、この要の施設ができたのは大震災の8カ月前。きっかけを作ったのは、当時新潟県知事だった泉田裕彦氏だ。

 2007年7月の新潟県中越沖地震。東電柏崎刈羽原発は激しい揺れで、1.5メートルの段差が生じる事態となった。3号機の変圧器で火災が発生したが、約2時間後に鎮火され、6号機で天井クレーンが破損したり、核燃料プールから水が漏れたりしたほか、7号機の排気筒から放射性物質が放出されるなど、トラブルが続出した。泉田氏がとりわけ問題視したのは連絡体制の不備だった。

 柏崎刈羽原発には、消防や県庁と結ぶホットラインがあったが、肝心の緊急時に使えなかった。ホットラインを設置している緊急対策室が地震の揺れでゆがみ、ドアが開かなくなってしまったのだ。当直長はホットラインを諦め、119番通報を試みるが、回線が混み合ってなかなかつながらない。地震発生14分後にようやくつながったものの、「地震による出動要請が多い。到着まで自衛消防隊で対応してほしい」との回答。作業員らは消火栓から放水したが、配管が破断していて放水量が少なく、思うように消し止められない。変圧器の油が燃え始めると、作業員らは安全な場所に退避し、消防の到着を待つしかなかった。消防の到着はそこから1時間後、鎮火はさらに40分後だった。

 次の地震、事故が起きたとき、必ず連絡が取れる体制にしなければならない。泉田氏は「調査結果によっては廃炉もあり得る」と県議会で明言するなど強い態度で対策を迫り、東電は免震重要棟の設置を決めた。この措置は、東電が運営する福島第一、第二の両原発にも反映された。福島第一に、免震重要棟がなかったら、と想像すると恐ろしい。

 さらに、今年2月、「東電が炉心溶融(メルトダウン)を判定する社内基準の存在を明らかにした」という驚きのニュースが全国を駆け巡った。福島第一の事故から5年も経とうという頃になって、実は社内マニュアルがあり、その基準に従えば2011年3月14日には1、3号機についてメルトダウンと判定できていたという信じがたい内容だった。これも広く知られたことだが、この東電の告白と謝罪を引き出したのは、有識者からなる新潟県の原発安全管理に関する技術委員会だった。背景には、「福島第一の検証なくして再稼働なし」と訴え続けた泉田氏の強い意向がある。

 震災1週間後の3月18日、福島県に隣接する新潟県民の避難が必要かどうか判断するため、泉田氏は福島第一の現状について、東電に説明を求めた。県庁を訪れた柏崎刈羽原発の幹部は「メルトダウンしていない」と説明した。しかし、この説明は全くのデタラメだった。東電本店と福島第一をつなぐ社内テレビ会議は、柏崎刈羽とも結ばれており、当時のやりとりなどから、東電の幹部らが当初からメルトダウンの可能性を認識していたことが後に判明している。マニュアルの有無にかかわらず、虚偽の説明をしていることは明らかだった。

 それでも、東電がマニュアルの存在を告白し、謝罪に踏み切ったのは、泉田氏のぶれない姿勢に白旗を揚げざるを得なかったからだ。泉田氏はのちに「地元紙の報道姿勢」という不可解な理由で突如、立候補を取りやめることになるが、東電の告白と謝罪の2日後、県議会で4選出馬を表明した。このまま泉田県政が続くとなれば、マニュアルの存在を明らかにし、新潟県民の避難に関わる場面で虚偽の説明をしたことを詫びるよりほかない。そうしなければ、柏崎刈羽は動かせない状況に追い込まれていた。

 実際、2013年7月に東電社長が再稼働に向けた手続きの了承を得ようと県庁を訪ねた際、泉田氏は「再稼働の話はしない」との立場を貫いた。武器にしたのは、県と東電が結ぶ安全協定だ。協定上、新設備をつくる際は県の事前了解を得ることになっているのに、東電が柏崎刈羽で建設中だったベント設備の事前了解を求めていないのはおかしい、と指摘した。安全協定は法的な定めのない「紳士協定」だが、そこに魂を入れるのは世論であり、首長の「覚悟」だ。法的な権限は関係ない。首長の「覚悟」を、電力会社は見ている。

問われているのは知事の覚悟
 震災前、原発事故の拡大防止につながる指摘をしていたこと。震災後、東電の対応の不誠実さを明らかにしたこと。報道の現場にいる者であれば、こうした「特ダネ」を政治家に抜かれる形となれば、自身のふがいなさに臍を嚙み、恥じ入るのが普通だ。当時、ジャーナリストであった三反園氏も、そうであったと信じたい。少なくとも今、原発立地県の知事ともなれば、他県のリーダーたちが原発とどう向き合ってきたのかは、意識せざるを得ないだろう。

 事故の拡大を防いだ免震重要棟と、住民を欺く電力会社の姿勢――改めて新潟県の先例を思い返せば、九電と向き合う三反園氏にも思うところがあるはずだ。

 九電は再稼働の申請段階で「免震重要棟」としていた事故対応拠点を、再稼働後に「耐震構造」に変え、原子力規制委員会から「理由が不明確だ」と批判を受けた。九電の言い分は「免震重要棟と同等の機能のものを、早期に建設し、運用開始することを目指したもので、原子力発電所で多数の建設実績があり、技術的にも確立された耐震構造に変更する」というものだが、ではなぜ最初から耐震構造で届け出なかったのか。入念な検討もせずに申請を行ったのか。この不可解な経緯は、原発運営者としての九電の信用に関わる。

 また、住民を欺く東電の姿勢を見て、やらせメール問題を引き起こした九電の姿勢を思い出さざるを得ない。今から考えても信じがたいことだが、震災からまだ3ヶ月しか経っていない2011年6月、九電は全国に先駆けて再稼働を目指し、県民を欺く形で、再稼働の賛成意見をかさ上げした。その体質は本当に変わったのか。

 三反園氏が公約に掲げた「原子力問題検討委員会」は薬にも毒にもなるが、使い方を間違えなければ、新潟県の技術委員会と同様、大きな武器になるはずだ。また、鹿児島県と九電の間にも安全協定がある。新潟県と東電の間のものとは、多少の違いはあるが、心配はいらない。第19条にはっきり書いてある。

第19条 この協定に定める事項について改訂すべき事由が生じたときは、甲(鹿児島県)、乙(薩摩川内市) 及び丙(九電)いずれからもその改訂を申し出ることができる。この場合において、甲、乙及び丙は誠意をもって協議する。

 週明け19日、3度目の記者会見を開くようだ。三反園氏にはぜひ大いに語ってもらいたい。有力者とコソコソ進める政治はもう通用しない。有権者とオープンに議論して進める政治が求められている。三反園氏には、原発停止を掲げた公約がある。使える武器もある。問われているのは「覚悟」だ。原発立地県の知事には、良くも悪くも、日本の未来を変える力がある。



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