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真珠湾訪問と安倍のポチ外交

2016年12月29日 10:40

 27日、安倍晋三首相が米国人の慰霊を行うため、ハワイ・真珠湾を訪問。同じ日、沖縄では米軍普天間飛行場の移設にともなう名護市辺野古での新基地建設工事が再開された。対米追随=ポチ外交の象徴的な1日だったと言うべきだろう。
 安倍が繰り返した「和解」という言葉も空虚だ。かつて“侵略”したアジア諸国との溝は埋まっておらず、歴史認識を巡って摩擦が起きることもしばしば。国内では、辺野古移設を強行する政府と、これに反対する沖縄との関係が最悪の状況となっている。
 真珠湾訪問は、軍事国家への道をカモフラージュするため、オバマと安倍が仕組んだパフォーマンスに過ぎない。

 広島、長崎への原爆投下や国内各都市への空襲は、民間人の大量虐殺である。しかし、アメリカがその事実を認め、謝ったという話は聞いたことがない。「原爆投下は正しかった」――これが米国の姿勢だ。今年5月、現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ氏も、謝罪の言葉は発していない。真珠湾に出向いた安倍も「和解」を連呼しただけで、謝罪はなし。子供のケンカの和解では、まず「ごめんなさい」から始めるものだが、国家間の場合になるとそれができない。和解を叫ぶその裏に、別の意図があるからに他ならない。

 第2次安倍政権の4年間を振り返ってみよう。アベノミクスを隠れ蓑に、やってきたのは軍事国家への道普請だ。特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、安保法……。すべてアメリカのためである。辺野古移設や高江のヘリパッド建設も、喜ぶのは米軍だけで、日本の利益は皆無と言ってよい。安倍の実態は「米国の犬」。沖縄は、米国への貢ぎ物でしかない。和解と同盟強化がセット。もちろん、強化されるのは「軍事同盟」である。こうした実情を、メディアはきちんと報じているのか?

 現役のある新聞記者は、この1年を次のように総括する。

 かつて、評論家の大宅壮一が、日本を「『一億総白痴化運動』が展開されている」と言ったが、今年は、そんな年だったのではないか。いや、今年と言うより、近年、そうであると言っていい。
 年末の安倍首相の「真珠湾訪問」も、何を浮かれているのだろうと思ってしまう。日本は、真珠湾から、アジアへ覇権を広げようとしていったのではないか。真珠湾訪問は「歴史の一歩」かもしれないが、「歴史的一歩」ではない。歴史を振り返らずに、騒いだところで進歩はない。今の日米関係を考えれば、至極当たり前のこと、遅きに失したと言わざるを得ない。
 「一億総白痴化」は、大宅による1957年の示唆だが、ワンフレーズで突っ走ったり、ネットに踊らされたり、様々に「軽佻浮薄」な昨今を象徴している。年末、真珠湾でさらに憂鬱な気分になった。

 最後に、東京在住のあるジャーナリストの一文を紹介しておきたい。

 「デモクラシー」が「だまくらかし」であっても問題にならなくなってしまった、この1年を象徴するような真珠湾訪問だ。全く笑う気分になれないのは、下手くそなダジャレのせいではない。「和解の力」「寛容の心」「希望の同盟」「勇者は、勇者を敬う」――。つるんと整ったきれいな言葉の、耐えがたい軽さ。辺野古移設が「負担軽減」と「危険除去」の「唯一の解決策」だとして、新基地建設が再開した沖縄の人たちには、どう響いただろうか。あるいは、治安状況が「比較的落ち着いている」として、南スーダンで、「積極的平和主義」に基づく「平和安全法制」に基づき、駆けつけ警護の任務を担う自衛隊員やその家族らは、どう聞いただろうか。

 ジョージ・オーウェルの小説「1984」を思い出す。「平和省」が軍を統括し、「真理省」がプロパガンダをまき散らし、「愛情省」が反体制分子を逮捕し拷問にかけ処刑する。そんな独裁国家は三つのスローガンを掲げていた。
「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」
 戦争は戦争で、屈従は屈従で、無知は無知である、という当たり前の事実を大事にし続けたい。「事実」をないがしろにしては、平和も自由も力もおぼつかない。

*新年は、1月5日から配信いたします。



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