定期検査のため停止中だった川内原発1号機(薩摩川内市)が8日、運転を再開した。「原発を止める」と公約した三反園訓鹿児島県知事だったが、再起動を容認。設置が決まった原子力問題検討委員会についても、人選を巡って反原発派との溝が深まる状況だ。
検討委に反原発派を入れるという約束については今月1日、県議会で「私の記憶には定かでない」――。こう言い放った三反園氏に、県民から怒りの視線が向けられている。
(写真は、会見での三反園知事。県HPより)
注目される原発検討委の人選
下は、三反園氏が「みたぞのさとし後援会」のホームページで公表したマニフェストの一部(赤い囲みはHUNTER編集部)。川内原発について、『川内原発を停止して、施設の点検と避難計画の見直し』を行うとした上で、『原子力問題検討委員会を県庁内に恒久的に設置』することを宣言していた。
問題は、この検討委の人選だ。知事はこれまで、委員の顔ぶれについて一切公表しておらず、検討委設置の是非を諮る県議会でもメンバーを伏せたまま。県は9日、ようやく委員に就任予定となっている専門家12人の構成を明かしたが、氏名や所属については、16日に予定される県議会本会議で補正予算案が可決されるまで公表しない方針なのだという。知事が、検討委に反原発派の有識者を入れたのかどうか――。焦点は、その一点に絞られている。
今年6月、三反園氏は知事候補を擁立していた反原発派に対し、川内原発を一時停止して再調査することや、県庁内に原子力問題検討委員会を設置することなどを提案。これを評価した反原発派は三反園氏と政策合意を結び、立候補予定だった平良行雄氏を降ろして「反伊藤陣営」を一本化した。三反園氏の初当選が、その延長線上にあるのは確かだろう。
ところが今月1日、検討委に関する提案をした三反園氏が、県議会で反原発派の識者を入れるという平良氏側との約束について「私の記憶には定かでない」と発言。記者団から「本当に記憶に定かでないのか」と問われ、「時代は流れている。賛成・反対ではなく公平・公正という基準で選ぶことにした」とうそぶいた。わずか半年前の約束を、「時代は流れている」として反故にする横暴。反原発派はもとより、知事を支持してきた多くの県民から呆れられる状況だ。
原発には無関心の権力亡者
忘れることのできる話かどうか――関係者の話を総合する形で、政策合意までの経緯を振り返ってみた。
三反園氏が知事選出馬を表明したのは昨年12月。このあと春先まで、三反園氏は原発に関する考え方を明確にしなかった。“原発推進派の票も反原発派の票も欲しい”というのが彼のスタンスだったからだ。「反原発を明言した方がいい」という周囲の声にも、一切耳を貸さなかったという。
関係者の一人はこう話す。
――「もともと、三反園さんは原発に関心がなかった。もちろん、原発についての専門的な知識もなかった。彼にあったのは“知事になりたい”という野心だけ。数年前から「国会議員か知事になりたい」が口癖だった。つまりは権力亡者。真剣に鹿児島県の未来を憂えての立候補ではないから、公約なんてその場限り。20万とも言われていた反原発派の票欲しさに、平良さんたち反原発派を利用したのは事実だろう。知事当選後、自民党関係者には『反原発の人たちとは会わない』と断言しているのだから、原発の検討委員会に反原発派を入れるわけがない。入れても一人か二人。12人のうちの一人、二人が原発に異を唱えても、原発容認という検討委の方向性は変わりはしない。反原発派の学者は、アリバイ作りに手を貸すだけに終わるだろう」
“検討委に反原発派”は三反園氏の提案
慎重な物言いを続けていた三反園氏が、密かに反原発派の代表と会ったのは今年の春。候補者一本化に向けた話し合いがスタートしたのは、その数週間後だった。この段階で、「ミタゾノは食わせ物」――そう見切った関係者もいたという。案の定、協議は難航。5月末、一本化に向けた話し合いは物別れとなる。
事態が動いたのは6月。三反園氏側が、反原発派に“川内原発の停止要請と反原発派を入れた検討委の設置”という提案を行ったことで、両者は再度テーブルに着くことになる。以後、平良氏を交えて2度、鹿児島市内のホテルとビルの一室で両者の協議が行われた。ホテルでの協議は深夜にまで及び、ようやく基本ラインで合意。再度の協議で、平良氏との共同会見を嫌がった三反園氏もこれを了承したという。6月17日に三反園、平良両氏がそろって会見し、知事選立候補者を三反園氏に一本化することを発表していた。この席で、三反園氏自身が「(検討委には)反原発の方々など幅広い人に入ってもらう」と明言している。
三反園氏との協議に立ち会った反原発団体事務局長の向原祥隆氏は、次のように話している。
――「検討委に原発反対派を入れるかどうかがポイント。それまでは、知事を信じて見守りたい。これは県民との約束でもある。(反原発派を入れるという約束を)「記憶にない」と話したことが報じられているが、事実なら『それはないでしょう。あなたの方から持ってきた話ですよ』と言うしかない。記憶のないまま、検討委を原発推進派で固めてもらっては困る」
本音は原発容認
九電への原発停止要請、検討委の設置……。一見、公約を守っている格好の三反園氏だが、中味はゼロ。すべてパフォーマンスに過ぎないことは、就任以来の原発に関する彼の発言からも明らかだ。
歯切れがよかったのは就任会見で「県民が不安に思う原発はいったん停止すべきだ」と語った時まで。以後、九電に原発の停止要請を拒否されながらも「3、4歩くらい前進」、自民党県議団には「(原発に関する考え方は)自民党の方向性と同じ」。徐々に後退した原発への慎重姿勢は、「私の記憶には定かでない」で仮面をはいだ形となった。最後が「運転しようがしまいが、原発はそこにあり続ける」――。開き直ったこの姿こそが、三反園訓の実相なのである。
県民からも怒りの声
知事選で、三反園氏に一票を投じたという鹿児島市在住の男性公務員はこう憤る。
――「反伊藤、反原発といった考えを持つ県民の後押しで、大いに期待されて誕生したのが三反園知事です。成否は別にして、真っ先に九電に川内原発の停止要請をしたところまではよかったと思います。ですが、その後は最悪。伊藤県政の延長をただひた走るばかり。振り上げた原発停止の拳もすっかり隠してしまいました。聞こえて来るのは政治とカネの話。それに、後援会をはじめ知事の当選に寝食を忘れて尽力してくれた支援者たちを「既に用なし」とばかりに切り捨てる不義理、非人情さだけです。これだけ有権者を裏切れば、次の選挙には出られないでしょう。鹿児島県議会の構成は最初からわかっていたはずですが、人の目も気にせず、自民党にすり寄る姿は哀れというほかありません。元政治ジャーナリストとは思えぬ、その態度にも腹が立ってなりません。説明責任を全く果たさず、逃げ隠れするその姿には、鹿児島県民の代表としての品格など、あったものではありません。鹿児島の恥です。
三反園知事にお尋ねしたい。あなたが選挙の際、そして当選直後に言われた「脱原発」とは、そして「県政刷新」とはいかなるものであったのか!答えられないというのなら、即刻辞任するべきだ。
お怒りはごもっとも。半年前に自分から言い出した話を「記憶にない」と明言する男に、県政を担う資格はあるまい。