これは、報道に名を借りた“暴力”である。
東京都知事選挙の投票日を3日後に控えた今週28日、週刊新潮が立候補者である鳥越俊太郎氏に関する3本の記事を掲載した。一読したところ、いずれも同氏の女性スキャンダルを報じた週刊文集に便乗したもの。13年前の没ネタ、的外れの批判、「贐(はなむけ)」や「痴呆(ボケ)」という言葉まで使った記事を並べ、同氏を誹謗している。
新潮、文春の狙いが鳥越氏を落選させることにあるのは間違いないが、まだ「公人」になってもいない人物の人格や主張を、ここまで否定することが許されるとは思えない。読んでいて不快になるほどの罵詈雑言。週刊誌、何様か!
(右は週刊新潮の紙面)
5ページ使って鳥越つぶし お粗末過ぎるその内容
28日発売の週刊新潮。都知事選特集の狙いは、5ページを使った鳥越つぶしだ。メインは、裏付けの弱さを指摘されたライバル誌の記事をわざわざ補強する内容。13年前に同誌が掲載を見送ったネタである。詳細を述べるつもりはないが、新事実を掘り起こしたわけではなく、「創作」を否定する証拠は何一つない。
2本目の記事は、≪「反権力のジャーナリスト」が東京地検に告訴でアレレ?≫。文春の与太記事を告訴した鳥越氏側の行為が、ジャーナリスト失格の権力主義だというのである。記事を書いたライターはよほど優れた「ジャーナリスト」らしいが、主張はデタラメ。法治国家を否定する暴論と言っても過言ではない。
一般市民であろうとジャーナリストであろうと、暴力を振るった相手を訴えるのは当然の権利だ。ジャーナリストが言論をもって戦うべき相手は権力や世の理不尽。襲ってくる犯罪者と言論で戦う必要などない。取材に応えて「事実無根」だと言っている相手を、人格否定に等しい一方的な記事で攻撃することは、まさに暴力。日本が法治国家である以上、弁護士を通じて検察に告訴するのは当たり前だろう。
新潮の記事では、鳥越氏側が文春を刑事告訴したことをとらえて「恫喝」と述べている。恫喝とは「脅して恐れさせること」。鳥越氏側が「記事を掲載したら告訴するぞ」と言えば恫喝だろうが、告訴状は実際に提出済み。既遂の事実が恫喝であろうはずがない。新潮は、“鳥越憎し”の度が過ぎて日本語の意味さえ分からなくなっている。
3本目の記事に至っては、論評にも値しない酷い内容だ。鳥越氏のミスをあげつらい、≪「痴呆(ボケ)」が疑われる≫とまで罵倒。同氏の過去の発言や著作の記述にまで難癖をつけて、これでもかと批判している。これではまるで選挙妨害のための怪文書。一連の記事を投票日の3日前という選挙の節目に掲載しており、確信犯と言わざるを得ない。
新潮の都知事選特集では、接戦を演じている小池百合子氏と増田寛也氏の記事も掲載。バランスをとったつもりのようだが、自民系候補2人についての記事は、なんとも締りのない内容。付け足し感は否めない。狙いはあくまでも鳥越つぶし。そのためなら選挙妨害や人権侵害さえ厭わないということだろう。
週刊文春 ― 言い訳記事も「根拠」薄弱
一方、ライバル誌である新潮に与太記事の補強をしてもらった形の週刊文春は、最新号(28日発売)で鳥越報道の「言い訳」を掲載。選挙妨害や裏付けの弱さについて否定した。しかし、ダラダラと続いているのは牽強付会の主張ばかり。スキャンダルを裏付ける確たる証拠は示されていない。「証言がすべて」の姿勢は、冤罪事件で警察や検察がやってきたこととまったく同じものである。
右寄りで知られる文春と新潮。憲法改正や原発に否定的な鳥越氏をつぶしたいのだろうが、報道を騙った「暴力」は絶体に許されない。