先月、日本国内における「表現の自由」の状況を調査した国連の特別報告者が、暫定報告の中で特定秘密保護法や放送法の問題点を指摘。安倍政権による報道への圧力、記者クラブ制度の弊害にも言及し、委縮する我が国の報道に警鐘を鳴らした。
安倍政権発足以降、報道―とくに放送局への圧力は強まるばかり。NHKは組織トップの籾井勝人会長が、熊本地震での原発報道にストップをかけるなど、自主規制の動きも顕在化している。
「報道の自由」は絶対に守らなければならない。しかし、権力側のご機嫌取りに終始して、事の実相を歪める記事ばかり乱発する新聞社も存在する。
知事リコールが地域発展の妨げ?
下は、3月4日の南日本新聞朝刊の1面。特集記事の第一回目として、さいたま新都心の中核施設「さいたまスーパーアリーナ」を取り上げ、年394億円の経済効果、約3,600人の雇用創出効果があるとの民間試算結果を紹介。「効果 年394億円」と大見出しで報じた。
この報道を「うさんくさい」「けしからん」と感じた鹿児島県人は少なくなかったらしく、新聞が配達された同日朝から、HUNTERのアドレスに紙面の写真が次々と送られてくる状況となった。
鹿児島の地元紙が、何故さいたまスーパーアリーナか――。じつは、鹿児島の伊藤祐一郎知事が埼玉県の役人時代、アリーナ構想の企画段階で関与したのだといい、知事3期目の2013年、自らの手で体育館機能を持つアリーナ建設構想を打ち上げたという経緯がある。
しかし、アリーナ構想が表面化した当時、鹿児島―上海間の航空路線維持のために公費を使った職員の上海研修が社会問題化。人気の商業施設を壊して必要性が乏しいアリーナを整備するといった非常識な施策と合わせ、県民から厳しい批判が渦巻いた。
メディアや県民から責め立てられた知事だったが、軌道修正する気配すら見せず、「(研修での)個別の成果は期待していない」と開き直る始末。独裁的手法に県民の怒りが爆発し、「過去50年で2例目」(知事本人の弁)という異例の県知事リコール運動へと発展した。リコールに賛同した署名者は15万人。傲慢と称される知事も、リコール阻止に動き回らざるを得なかったと言われる。
それから約2年。伊藤氏が知事4期目を目指して活動を活発化させるなか、南日本新聞のこの特集だ。経済効果の数字をでかでかと表記し、「用途多彩にフル稼働」とアリーナの素晴らしさを礼賛する。記事は、あたかもリコール運動が県の振興策を潰したかのような書きぶり。知事選を前にした伊藤擁護としか思えない同紙の姿勢に、多くの県民が違和感を抱くのは当然だった。
実態隠して県の広報
南日本の権力寄り報道は枚挙に暇がない。県知事リコールの請求根拠に上げられた事案の一つに産業廃棄物の管理型最終処分場「エコパークかごしま」(事業主体:鹿児島県環境整備公社 薩摩川内市)の建設強行問題がある。南日本新聞は、100億円という途方もない予算を投入して霊峰「冠嶽」と水源地を汚すこの計画を側面から擁護したかったのか、「エコパークかごしま」に関する記事で県側の言い分を垂れ流してきた。
昨年10月の同紙の紙面。見出しは≪10月搬入量は1000トン超 エコパークかごしま≫。記事では、この年1月に開業した「エコパークか ごしま」への10月分産廃搬入量が1000トンを超えたこと、9月までの搬入量が2999トンで大口契約の目途がつくなど営業活動も活発なことなどが紹介されている。何から何まで順調――この記事を読んだ大半の人間はそう思うだろう。記事の最後にある操業差し止め訴訟についての記述は、公平・公正を装うための「付け足し」に過ぎない。
新聞は見出し勝負。この記事の目的が、エコパークへの10月搬入量が1000トンを超えたということを宣伝することにあったのは言うまでもない。 もちろん、読んで分かる通り「1000トン超」がすごいことだと思わせる記事の書き方。処分場は万々歳といったところだろうが、実態はまるで違っていた。
鹿児島県への情報公開請求で入手した「鹿児島県環境整備公社」の予算関連文書によれば、この記事が出た当時、開業以来エコパークかごしまに搬入された産廃が施設運営に必要な量の10分の1以下だったことや、1月~3月期の事業収益予想1億260万円に対し実際は約1,170万円だったこと、赤字が約9,000万円となっていたことなどが明らかとなっており、破たんの可能性が囁かれていたほど。事業計画の杜撰さを指摘するのが報道の仕事のはずだが、南日本はこの点について何も触れていなかった。これでは、新聞というより県の広報である。
地域ぐるみを「一部住民」と過少に報道
大切な読者を、軽く扱う姿勢も同紙特有のものだ。エコパークかごしまと並んで、県知事リコールの根拠に上げられた県営住宅増設問題。2013年4月の朝刊では、無謀な県営住宅増設に反対する鹿児島市松陽台町の自治会が市議会に提出した陳情書の不採択を報道。その中で、地域ぐるみで陳情を行った同町自治会を『一部住民』という言葉で切って捨てていた。もちろん、『一部住民』という記述は事実誤認。自治会長が南日本新聞に電話したのは言うまでもない。以下は当時の自治会と南日本側とのやり取りである。
南日本:問い合わせの件は?
自治会:改めて、『一部』住民の『一部』の定義を教えていただきたい。南日本:『全部』ではない、100%ではないので、『一部』と表記した。
自治会:そんなおかしな話があるか。南日本は100%でなければ、すべて一部と表記するのか。南日本:そんなことは言っていない。
自治会:いま、そう言ったじゃないか。そちらの論法だと、正確を期すなら過半数とか、何割とか、何十%とか書くのが普通だろう。町内会の総意がなぜ、『一部住民』なのか。『一部住民』という書き方では、反対住民が少なく、一部の住民が反対しているだけだという印象を読者に与える。意図的に事を矮小化しているのではないか。南日本:そんなつもりはない。
自治会:しかし、読者は普通そう読む。では、読者が誤読しているとでも言うのか。
南日本:・・・・・。
原子力ムラの広報紙
南日本が寄り添っているのは、県民ではなく権力。原発を巡る報道では、さらに驚きの紙面作りが続いてきた。以下は、その代表的な例である。
2014年6月の朝刊1面。トップの見出しに原発を「郷土発展の起爆剤」と明記し、原子力ムラの広報と見紛うばかりの紙面。前年6月には、原発再稼働に賛成する意見が増えたとする調査結果を大々的に扱うという見識のなさをさらけ出し、川内原発の再稼働に向けて動いていた九電や伊藤知事の手助けを行っていた。今年の連休明け4日には、「再稼働否定的7.6ポイント減」と打ち、あたかも再稼働を否定する声が、少ないかのような紙面構成。いずれの調査結果でも再稼働に否定的な意見が多かったにもかかわらず、見出しにはそうした傾向を示す文言は一切使われていない。
南日本新聞の報道姿勢について、鹿児島市のある読者は次のように話す。
「首都圏のさいたまアリーナを例に、『効果 年394億円』『用途多彩にフル稼働』などの大見出しで、伊藤知事のアリーナ建設構想を強力に後押しする南日本新聞記事。一方で、上海研修、産廃処分場、県営住宅増設、全寮制中高一貫男子校新設など、巨額の税金の無駄遣いが問題となった県知事リコールの運動についてはほとんど触れず、ただただ、アリーナ構想を潰した悪因に仕立て上げています。南日本新聞の県民目線を欠いた県政広報ぶりには、憤りと失望を禁じえません」
「報道の自由」は確かにある。だが、権力側に立った報道は、世の中にとってはむしろ害悪。南日本新聞は、身近な権力の監視という地方紙の使命を再認識すべきだろう。