一昨年12月、福岡市内にある市立小学校の校内で、1日に2件の事故が発生した。事案は「放火」。大きな惨事につながる可能性のある出来事だったが、今日まで公表されていない。
校内での放火という見過ごせない事態。一連の経過を確認するため、福岡市教育員会に関連文書の情報公開請求を行ったところ、事故当日に学校側が市教委に提出した事故報告書が開示された。
残されていた記録はこの1枚だけ。だが、その記載内容から、事故対応の問題点が浮かび上がってきた。
1日に2件の「放火」
下は、市教委が開示した当該事故に関する学校側の報告書。「器物破壊に関する事故について(報告)」となっている(赤いアンダーラインはHUNTER編集部)。
まず、報告書のタイトルがいけない。「器物破壊」であることは間違いないが、事故の概要を記す欄には、『女子トイレのトイレットペーパーのホルダー付近に火をつけられたもの』と明記してあり、学校側が放火であることを認識していたのは明らか。報告するなら「放火」と書くべきだろう。これでは、“内々で処理したかったのではないか”という疑いを持たれても仕方があるまい。じつは、この後ろ向きの姿勢が、初動のミスと、その後の“間違った指導”を招くことにつながっていく。
経過を見ると、1件目の放火が確認されたのが午前10時45分。この時は、校舎北棟4階女子トイレのトイレットペーパーが焦げた程度で終わっており、下がその現場写真だ。
次の放火は13時48分頃。今度は同棟3階女子トイレのトイレットペーパーに火がつけられ、現場写真(下参照)からも、かなりの勢いで燃え上がっていたことが分かる。午前中の1件目と違い、『初期消火』『鎮火』と書かなければならないほどの事態だったということだ。
警察・消防への連絡は1カ月後
どう見ても事件。放火は、重大な事態を引き起こす可能性のある「犯罪」だ。しかし、この報告書のどこを見ても、警察や消防に連絡したという記述はない。学校側が連絡を入れたのは市教委だけ。本件に関する文書がこの1枚しか残されていないということは、当日もしくは翌日までに警察や消防を呼ばなかったことを意味している。事実、学校関係者や市教委への取材で、警察や消防への連絡は、事件から1カ月後の1月中旬頃だったことが明らかになった。学校側の初動ミスは明らかだが、なぜ処理を誤ったのか?
犯人を「子ども」と決めつけた愚行
ここで、もう一度前掲の報告書を確認してみよう。1件目の放火が発見されたのは午前10時45分。学校側は、そのわずか15分後の11時に、『5、6年のクラス毎に指導と聞き取りをし、さらに5・6年担任に対しアンケートを実施するよう指示』を出している。つまり学校側は、この段階で「児童」の中に火をつけた犯人がいると決めつけていたのである。警察や消防に連絡をしなかったのは、「犯人は子ども」という予断を持った証拠。これは大変な間違いだろう。
火をつける可能性があるのは子どもだけではない。部外者や教員が犯行に及ぶ可能性も否定できまい。犯罪行為である以上、まず“大人”による行為を疑うのが先のはずだが、この小学校は、はじめから児童に疑念の目を向けている。聞き取り調査を受け、アンケートに答えた子どもたちは、自分たちの中に犯人がいると思い込まされた形だ。平等や公平性を求めてきた教育現場のやる事ではあるまい。
学校側の対応は不当、事後の報告にも不十分さが目立つ。児童への聞き取り調査や、アンケートの結果については、学校内には在るが市教委には「口頭での報告」(市教委の説明)のみ。公文書上、その後の経緯については何もわからない状況だ。事案の公表をしなかったことを含め、「隠蔽」と言われてもおかしくはあるまい。いまさら、犯人探しをすべきと言うつもりはないが、「放火」という犯罪行為が起きたことを重く受け止め、せめて教育関係者の間だけでも情報を共有すべきだったのでないか。守るべきものは、学校の体面ではなく「子どもとその未来」なのである。学校、市教委には猛省を促したい。