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言うは易し「震災から5年」 

2016年3月11日 08:55

 5年前のきょう、東北地方の太平洋岸を巨大地震と大津波が襲った。東日本大震災が発生した平成23年3月11日は、原発の安全神話が崩壊した日でもある。
 政府は復興が進んだと主張するが、全国で避難を余儀なくされている被災者は17万人超。6万人近くが、いまだ仮設暮らしのままである。その人たちの心を逆なでするかのように、全国の原発が再稼働に向けての動きを加速させてきた。
 震災や原発事故への記憶が薄れるなか、大津地裁が、再稼働したばかりの関電・高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転を差し止める仮処分決定を出し、稼動中の原発が司法の判断で運転を止める初めての事態となった。
 この国は、原発とどこまで真剣に向き合ってきたのか――。

否定された「新安全基準」―問われる川内原発の安全性 
 運転差し止めの仮処分決定を下した大津地裁の裁判官は、原発の新安全基準に疑問を呈した上で、関電が主張する高浜3、4号機の耐震性能や津波に対する安全性能を事実上否定。さらに、避難計画を含む安全確保対策についても注文を付けている。判断の前提は、福島第一原発の事故が未解明であること。この段階で作られた安全基準や対策に、信頼性がないということを司法が認めた形だ。

 すると、再稼働第一号となった九電の川内原発(鹿児島県薩摩川内市)に対する評価はどうなるのだろう。新安全基準に問題ありと指摘されている以上、同じ基準で審査された川内が安全であるわけがない。加えて、九電は川内の再稼働後、審査合格の前提だった「免震重要棟」の建設を一方的に中止しており、同社の安全対策に対する考え方が、いかに不真面目なものであったかも明らかとなっている。川内原発こそ、運転差し止めが急務の原発ではないのだろうか。

 問題はまだある。鹿児島県が主導して策定された避難計画が、杜撰極まりないものであることだ。今月4日に報じた通り、川内原発の事故時に対応するため結ばれたと思われていた県とバス事業者との間の「バス協定」は有名無実。協定とセットで締結された運用細則によって、バス運転手が浴びると予想される放射線量が「1ミリシーベルト以下」の場合でなければ、バスは動かない仕組みとなっていた。この規定に従えば、過酷事故でのバス派遣は不可能。立地自治体である薩摩川内市や隣接自治体のいちき串木野市では、避難計画自体が成り立たないものであることが分かっている。

原発事故を過小評価
 そもそも、鹿児島県をはじめ原発をかかえる自治体の避難計画は、原発事故の被害を過少評価したものに過ぎない。国が定めた緊急防護措置区域(UPZ)は原発から30キロの圏内。それ以外の地域は、事実上避難計画の対象外となっているのだ。例えば、鹿児島市の避難計画対象地域は、川内原発から30キロ圏内に位置する一部の地域のみ。同市の避難計画には、次のような図が掲載されている。

避難計画 地図.png

 次が、鹿児島県の原子力防災計画に記載されている図だ。

避難計画 県.png

 いずれも、30キロ圏内だけが危険で、それ以外は安全と言わんばかり。原発事故が広範囲に放射性物質を放出することは、5年前のフクシマが実証済みであるにも関わらずだ。想像力が欠如しているのは明らかだが、意図的な過少評価だけにタチが悪い。県の公表資料や大手メディアの報道でお目にかかるのは、原発を中心として10キロ圏、30キロ圏を示した同心円の図ばかり。これでは、間違った意識を刷り込んでいるのと同じだ。

 放射性物質による被害がどのように広がっていくかは、上掲の同心円図では分からない。原発事故の際に放射性物質がどのように拡散するかを予測できる唯一のシステムは、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)だけなのだ。そして下は、原子力規制委員会への情報公開請求によって入手したSPEEDIのデータ(平成24年と25年の2日間分の内の一部)である

スピーディ.jpg

 上掲のデータは、1年のうちのある時間だけを切り取ったもの。刻々と変わる気象条件によって放射性物質の拡散予測も大きく変わるのだが、ここでは拡散が鹿児島市に隣接する日置市からその先の南さつま市にまで広がっているのが分かる。つまり、風向きによって、鹿児島市もすっぽり放射性物質の雨の下に入るということだ。一部地域のみを対象とした鹿児島市の避難計画は、何の役にも立たない。

 鹿児島県は、SPEEDIデータそのものを保有しておらず、鹿児島メディアも川内原発に関するSPEEDIのデータについて報じてこなかった。県民に知られると、避難計画の不備が露呈するからに他ならない。原発事故を意図的に過小評価しているのは、自治体や鹿児島メディアに、フクシマの教訓を生かそうという姿勢が欠けている証左でもある。優先されたのは、川内原発の再稼働。原子力ムラの協力者たちは、それがどれだけ被災者の心を傷つけるものか、理解できていない。同じことは、再稼働に向けての準備が進む、その他の原発の立地自治体についても言えるだろう。被災者の前で「原発は必要。絶対安全」と断言できるはずがない。

 震災とそれに伴う原発の安全神話崩壊から5年。この国は、すでに「絆」という言葉さえ忘れてしまっているではないか。毎年、この時期になると繰り返される「震災から○年」。言うは易いが、教訓にしなければ意味がない。
 



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