福岡市が誇る伝統行事「博多祇園山笠」の運営組織の一つ「東流」で不正経理が発覚した。この問題をめぐる一連の経緯については、報じてきた通り。山笠補助金を出している福岡市や「博多祇園山笠振興会」も、他人事で済ませられる話ではなくなっている。
それでは、なぜ今日までこれほど大きな不正の事実が明るみに出なかったのか――。取材を進めてみると、山笠を神聖化するあまり、実態解明に及び腰だった関係者の姿が浮き彫りになってきた。
不正の告発は数年前から
じつは、HUNTERが報道で明らかにしたのは、東流で行われてきた不正のごく一部。昨年来、山笠関係者と見られる人たちから寄せられた複数の告発メールには、よりタチの悪い事実や金銭絡みの不正について、詳しい実態が綴られている。もちろん、東流に関する情報だけではない。
東流に絞って取材を行ってきたのは、簿外処理されている金額が年間1,000万円を超えていると見られたこと、さらに振興会や福岡市がこれを黙認する形となっていることに問題があると考えたからだ。
取材結果は、これまでの配信記事にある通り。東流では、『飾り山』に関する協賛金700万円を毎年簿外処理しており、制作費にいくらかかっているのかさえ分からない状態になっていた。手拭やハッピなどの販売収益に加え祝儀も簿外扱い。これまで流の代表者が自由にしてきた「裏金」の総額は、数千万円単位になる可能性が高い。
こうした不明朗なカネの動きに、流の関係者が気付かぬはずがない。「カネの動きがおかしい」「代表や役員の横暴は目に余る」「いずれ問題が表面化する」――そうした声は、数年前から上がっていたとされ、実際に大手メディアの記者に相談した人たちもいたという。外部に改革の手伝いを求めなければならないほど、東流の支配体制が強固だったということだ。
東流の組織運営は、「流当番制」と言われる独自のもの。他の流が山笠を取り仕切る「当番町」を年ごとに交代させているのに対し、東流は権限を同一代表に集中させるやり方が20年も続いており、「それが組織の歪みを招いた」と指摘する関係者の証言もある。当然、上意下達。毎年交代し、他の流では事実上のトップとなる「総務」でさえも、東流では代表の意向に逆らうことができなかったという。批判を許さない東流の体制に危機感を抱いた関係者が、流の再生をかけて報道関係者などに告発した背景には、そうした現状があった。
不正の発覚が遅れたのは、告発を受けたメディアの記者らが、何もしなかったからに他ならない。たまたま無能な記者たちに当たったとも考えられるが、一番の原因は「山笠」が大手メディアにとっての「聖域」となっていることだろう。だから、不正を耳にしても及び腰になる。
報道の歪み
博多といえば山笠。初夏を彩る伝統行事の取材は、清めの神事である7月1日の「お汐井取り」に始まり、15日のクライマックス「追い山」までを克明に追い続けるのが通例。そのためテレビや新聞は、日ごろから山笠関係者に何かと世話になるのだという。そのせいか、不正を知っても、幕引きを急ぐ連中のお先棒を担ぎ、事実を歪曲させるような記事を平気で載せる新聞もある。その実例が下。西日本新聞2月7日朝刊の記事だ。
「収支報告漏れ」「私的流用はなかった」「領収書は保管している」――よくもまあ、調べもせずに不正を行った側の言い分だけを垂れ流せたものだ。これまで報じてきた通り、簿外処理されてきた金額は、記事にある700万円だけでなく物品販売の収益や祝儀などを合わせ1,000万円前後。この事実を少数の幹部だけが共有する形にして秘匿し、ほとんどの流関係者は、会計の実態を知らされていなかった。流の中で配布された決算報告も福岡市に提出された内容と同じで、「騙された」(東流の総代経験者)と憤る関係者は少なくない。西日本の記事にあるような、「報告漏れ」などという経理処理上の軽いミスではあるまい。
「私的流用はなかった」という誰のものか分からないコメントも酷い。私的流用があったかなかったかは、始まったばかりの東流内部の調査結果が出るまで分からない状況。流の代表は、物品販売で得た裏金の帳簿も領収書も「ない」と明言しており、私的流用を否定する証拠など存在していないのだ。役所の発表ばかりを記事にしている御用記者が書いた記事だとしても、程度が低すぎる。
「保管している」という領収書にしても、HUNTERの取材活動を受けた福岡市の指示で、急場しのぎに集めたものだったことが明らかになっている。この記事を書いた記者も、記事の掲載を許した同紙自体も、検証はおろか最低限の裏取りさえせずに、東流幹部の“逃げ口上”を公表したということだ。これが報道と言えるのか?
記事も酷いが行儀も悪い。HUNTERが東流に浮上した簿外金をめぐる疑惑を報じたのが2月5日。6日には朝日新聞が夕刊で東流に浮上した問題を報じている。実際に話をしたという関係者によれば、西日本新聞の記者が取材に動いたのは6日の昼間。西日本の記者は、HUNTERの配信記事で事実関係を知ったと考えるのが自然だ。同紙の記事には≪~市に提出する決算報告書に未記載だったことが分かった。≫とあるが、もちろん自分で調べたわけではあるまい。何故≪分かった≫のか、情報の出所を明記するのが礼儀というものだろう。もっとも、常識知らずだからこそ、こうしたゴミ同然の記事を書くのだろうが……。
“不正はなかった。記載漏れがあった決算書を作り直し、市に報告して幕”――この新聞記事は、一部の不届き者が描いたシナリオに沿った記事だとしか思えない。
ある流の総代経験者はこう語っている。
―― 数年前ですが、東流にいる友人が新聞記者に不正があるから取材してくれと頼んだんですよ。参考になる文書やらなにやら揃えて渡したそうですが、話を聞いたのは最初だけ。共感するような口ぶりだったそうですが、取材するでもなし。結局、なしのつぶて状態になったそうです。そうしたことが何度も続いたのは事実です。新聞が書かないのは、私には分かっていました。山笠期間中は、多くの記者さんが来て、各町ごとの直会(なおらい)やら何やらで一緒に酒を飲む機会も多い。なかには、直会をはしごする記者もいる。新聞やテレビが取り上げるのは、山笠の良いところだけ。取材を通じて持ちつ持たれつの関係が出来上がっているから、振興会や流のお偉いさんたちの悪行を、記事にできるはずがない。癒着は市と振興会だけではないですよ。
改革誓う東流幹部だが……
先週、取材に応じた東流幹部を務めている博多祇園山笠振興会の元会長と現役の副会長は、流代表および自分たちの役職辞任を明言した上で、次の3点を実現させると語った。
不正を認めた上で、「責任を取る」と断言する姿勢は評価に値するものだ。ただし、こうした改革と並行して「裏金」の実態解明を進めるのが前提。東流の再生を願う関係者や山笠を愛する市民のためにも、有言実行を願うばかりである。「伝統」と「悪しき慣習」は、まったく別物であることを忘れてはなるまい。