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議員秘書今昔
― 劣化する政治 ―

2016年1月27日 09:35

国会議事堂 週刊文集が報じた甘利明経済再生担当相の政治とカネをめぐる疑惑。政権を支える主要閣僚が、事務所ぐるみで独立行政法人都市再生機構(UR)への口利きを行っていたというスクープ報道だが、改めて考えさせられたのが政治家秘書のレベル低下だ。
 国会議員の黒子である秘書の犯罪は枚挙に暇がないが、甘利氏の秘書の所業は、あまりにも低俗。喫茶店で不法行為の依頼相手にたかり、フィリピンパブやキャバクラで接待を受けていたというのだから救いようがない。政治が劣化するに従って、秘書も劣化したということか……。
 永田町と付き合って30年以上になる記者が綴る、秘書の昨今。

劣化する政治 秘書の世界も……
 日本の政治家に“重み”を感じたのは、「三角大福中」(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)の時代まで。「安竹宮」(安倍晋太郎、竹下登、宮澤喜一)あたりからおかしくなり、次第に軽量級の政治家ばかりが国会の中を歩き回るようになった。議場で「早く質問しろよ」と女性議員を恫喝する政治家が総理大臣だというのだから、この国の政治もいよいよ末期。政治の劣化が進むにつれ、議員秘書のレベルも落ちた。

 三木、田中、大平、福田、中曽根、竹下……。いずれも総理総裁に上り詰めた政治家だが、彼らに仕えた秘書たちも、また優秀だった。田中角栄には早坂茂三、中曽根康弘には上和田義彦、竹下登には青木伊平……。そうした人たちを知る秘書は少なくなったが、陣笠代議士が束になってもかなわないほどの見識と力量を持った大物秘書が、永田町にいたのは確かだ。現在は地方議員で、昭和50年代に旧田中派の秘書会に所属していたという人物は、昔を懐かしむ。

 ―― 名前を言っても『知らない』という秘書ばかりになったが、以前は、派閥の秘書会を自在に動かしたり、役所に影響力を持つような、国会議員以上の力を持った大物秘書がいたもんです。面倒見もよかった。当時の若い秘書は随分世話になったはずで、私自身、秘書としての作法や仕事のやり方なんかを秘書会の先輩方から教わりました。チャラチャラしてれば、はじかれた時代だったから、いまのような軽い感じの秘書は少なかったように思います。皆さん亡くなられたけど、大物と言われた秘書は、人間的にも魅力のある方々ばかりでした。早坂さんや上和田さん、小沢一郎先生のとこの中条(武彦)さん、羽田(孜)先生のところの山崎(貴示)さん――。もういませんね、そんな大物秘書は。

 昭和の時代、政治家の家に住み込んで書生から秘書になるケースもあったし、大学を出てすぐに議員事務所の門をたたく若者もいた。その頃の秘書は一種独特、いい意味での凄みもあって「永田町人種」と呼ぶに相応しいの雰囲気を持っていたものだ。残念ながら、前出の地方議員が言う通り、そういった秘書は一握りしか残っていない。

 仕えている政治家を「おやじ」と呼んで慕ったのも昔の話。ベテラン秘書が、ため息交じりにこう話す。

 ―― そういえば、昔は自分のところの代議士を『おやじ』と呼んでいましたよね。いまは、ほどんど聞かなくなりました。うーん……。ヤクザ社会みたいで嫌がられるようになったからかですかね。もっとも、親分子分の関係が築けるほど、仕える議員と秘書の結びつきが、濃くないことも事実ですよ。政治家の浮き沈みが激しくなったせいで、同じ議員に長く仕えるケースが減りましたからね。

 かつての議員と秘書は、親分子分。仕えた議員を「おやじ」と呼ぶ秘書は少なくなかった。名刺をもらった瞬間から、おやじの名前が看板。看板を汚されることを絶対に容認しないのが一流の秘書だったし、それが彼らの矜持でもあった。いっぱしの秘書は、看板を汚すようなマネだけは極力避けたもの。泥をかぶるのが役目と心得ていたわけで、金銭授受の現場に、議員を引っ張り出すような間抜けでは、務まらない仕事だったのである。

 いつの頃からか、昔気質の秘書がいなくなった。国会を歩けばすぐわかる。軽薄が背広を着ているような、チャラチャラした秘書が増えたのは事実だ。議員会館や国会内の食堂で耳にする彼らの会話、身のこなし、どっからみてもただのあんちゃんが、秘書バッジをつけている。滑稽ではあるが、これがいまの日本の政治のレベル。バッジを見なければ、秘書だか議員だか判別出来ないような政治家が増えたことも、はやり国民にとっては不幸。もっとも、選んだ側にも責任はある。

小選挙区制の弊害 ― 秘書の渡り職人化
 政治家や秘書のレベル低下は、小選挙区制がもたらした弊害の一つだ。民主党政権の誕生にともない、落選した自民党議員の秘書たちの多くが行き場を失ったが、国会のしきたりに詳しい秘書は重宝され、人材難で困っていた民主党議員の秘書に転身。それが自民党の政権奪取で、状況は一変する。民主党のチルドレン議員事務所から、再び自民党議員の秘書へと民族大移動。きのうは民主、明日は自民とばかりに秘書の勤め先が変わる度に、「忠誠心」は薄れ、「おやじ」の文化は廃れていった。

 永田町には、「猿は木から落ちても猿だが、国会議員は落選すればただの人」という言葉がある。再起を目指す落選議員は、党の支援もあってなんとか食いつなげるが、哀れなのは秘書。よほど資金力のある政治家の事務所にでもいない限り、仕えた議員が落選すると同時に職を失い、選挙の翌日から職探し。結局、国会に慣れない新人議員の求めに応じて、仕える議員を替えるしかなくなる。秘書の「渡り職人化」(ある議員秘書の指摘)だ。数年前に民主党議員の秘書を務めていた人物に出会って、出された名刺を見ると、今度は自民党議員の秘書の肩書。そうした例は、決して珍しくない。当然ながら、渡り職人化した秘書たちの忠誠心は薄い。文春の報じたところによれば、業者にたかったとされる甘利氏の秘書も「渡り職人」。「甘利」の看板より、自分の欲の方が大事だったということだ。

 国会議員の公設秘書は3人。平成5年に導入された政策秘書に、第一、第二の秘書までが特別職の公務員として国から給料をもらっている。税金で養う必要のある秘書が、どれくらいいるのか――。考えたら、ますます昔が懐かしくなった。



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