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僭越ながら:論

これが「公器」のすることか

2015年10月 9日 10:40

産経新聞 報道の使命が権力の監視にあることは言うまでもない。新聞が「公器」を自認できるのは、その使命があるからこそだ。だが、安倍政権の暴走が続くなか、権力擁護の報道が幅を利かせる状況となっている。背景にあるのは記者の劣化。首相会見での質疑において、平然と民意を愚弄する記者もいる。

政権の犬―産経記者 
 9月25日の首相会見。安倍首相は閉会を迎える通常国会を振り返って、政権の成果を誇ってみせた。農協改革、医療制度改革、電力・ガス事業の自由化を挙げ、「戦後以来の大改革を成し遂げる歴史的な国会」だったと自賛。あとは、安保法についての自説を滔々と述べただけだった。このなかで首相は、「戦争法案といったレッテル貼りを行うことは、根拠のない不安をあおろうとするものであり、全く無責任である」と発言している。

 直後の記者団との質疑。トップバッターは慣例通り幹事社の記者だったが、この日の幹事社は右翼の御用ペーパー産経新聞。記者の質問はこうだ。

 今回成立しました安全保障関連法をめぐっては、憲法学者らから違憲との指摘が相次いだこともあって、マスメディアを含めて国論が二分しました。そして、成立後の各種世論調査でも、国民の半数以上が国会での審議はまだ十分ではないという回答をしていることが挙げられます。これをどう見ていらっしゃいますか。
 また、インターネット上やデモなどでは感情的な言葉も飛び交いまして、総理が先ほど指摘されたとおり、レッテル貼りやデマも目立ちました。このように割れてしまった国論の融和について、今後どう取り組まれるお考えでしょうか。どのような方法で国民に説明し、多数の理解、納得を得ていくつもりか、具体策があればお聞かせ願いたいと思います。

 質問の後段、産経の記者は「総理が先ほど指摘されたとおり」と前置きしている。つまり、首相が言った「戦争法案といったレッテル貼りを行うことは、根拠のない不安をあおろうとするものであり、全く無責任である」を正しいと認めている。その上で、「レッテル貼りやデマも目立ちました」――右翼新聞らしく、安保法に反対する声を“レッテル貼り”、“デマ”と切って捨てている。しかし、安保法反対は国民の半数以上、政府の説明不足を指摘する声は8割に上っており、その多くが法律の違憲性、戦争への不安を感じているのが現状だ。にもかかわらず、新聞記者が国民の声を“レッテル貼りやデマ”で片付けられるのか?

 右に寄るも左に寄るも、報道機関ごとの自由だ。しかし、民意を愚弄することは「公器」であることの否定。会社がどちらの立場であろうと、記者が権力者におもねる必要はない。そでなければ報道自体が信頼性を欠くことになるからだ。権力側と国民の間で中立性を保ち、その上で論を展開するのが大手メディアの責務のはず。これを守れないのであれば、税金で支えられている記者室の利用を控えるべきだろう。重ねて述べるが、民意を愚弄する「公器」などない。産経の記者は政権の犬だ。

通信社にも犬がいた
 右傾化が顕著となったこの国で、より中立が求められるはずの通信社も毒されはじめている。今年7月の官房長官会見で、時事通信の記者が、沖縄県名護市辺野古沿岸部の埋め立て用土砂の搬入を規制する県条例が成立したことについて質問。その際、「国としてもある意味(沖縄を)見限ってもいいような気がする」「こんな連中は放っておいてもいいと思う」などと発言した。時事通信社は翌日謝罪したが、沖縄の民意を踏みにじる暴言だったことは明らか。政権におもねった結果、報道機関としての姿勢を疑われる事態を招いた例だ。ここにも政権の犬がいた。

民意の否定は許されない
 特定秘密保護法から安保法にいたる過程で、賛否をめぐる国論が割れてきたのは事実。その大きな要因は、大手メディアの論調の違いにある。政権べったりの読売・産経が「戦争への道」を賛美する一方、これを危惧する国民の声を代弁したのが権力批判に徹した朝日・毎日・地方紙連合軍だった。忘れてならないのは新聞が「公器」であること。特定秘密保護法や安保法に賛成であっても、民意を否定することなく、論を展開すべきであろう。そうした意味で、産経は「公器」とは言えない。



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