集団的自衛権の行使を実現するため、安全保障関連法案の成立に向けて暴走を続ける安倍政権。しかし、法案への理解は進むどころか、廃案を求める声が増える一方。内閣支持率も急落し、政局の行方にも影響を及ぼしそうな状況となっている。
もともと無理筋の「解釈改憲」を行った結果だが、政権を揺さぶっているのは国民ではなく、安倍親衛隊の面々。次から次へと問題発言が相次ぎ、安倍自民党の目指す方向が「全体主義国家」であることを印象付けてしまった。
最低の政治家たちの発言をまとめてみると……。
暴言3人組
6月、安倍晋三首相に近い自民党の若手議員らが党本部で開いた勉強会「文化芸術懇話会」で、政府・与党への批判的な報道を封殺するよう求める声が相次ぎ、安全保障関連法案の国会審議にまで影響を与える事態となった。暴言を吐いたのは、次の3人だ。
いずれも“政権批判は許さない”という狭量な考え方に基づく発言。反対者を、カネの力で屈服させようという卑劣漢ばかりだ。党から「厳重注意」などという形ばかりの処分を受けたが、本人たちは馬耳東風。その後の言動を見ても、反省しているとは思えない。井上氏に至っては、初当選時に党からもらった1,300万円もの交付金を隠していたことが発覚。報道陣から逃げ回り、どこにいるのかさえ分からぬ状況となっている。
首相補佐官は国家主義者
安全保障法案の法的安定性を「関係ない」として、政権の本音を口に出してしまったのが総理大臣補佐官の重職にある礒崎陽輔氏。安保法案を担当する首相のお友達だが、キャリア官僚出身者らしく徹底した「上から目線」。憲法より国家の方が優先すると思い込んでいるのは確かだ。
危険思想の持ち主が国会議員
そして直近の事例は、存在さえ知られていなかった若手議員によるもの。武藤貴也なる36歳の衆院議員がツイッターで、安全保障関連法案の反対運動を続けている学生の団体「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs」を批判した。その画面が下。
「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。」――武藤氏はそう言うが、SEALDsの主張を確認すれば、自分中心でも利己的でもないことは明らか。戦争に反対するのは、至極当然な行動で、批判を受けるようなことは決してない。百歩譲って、若者が「だって戦争に行きたくないじゃん」と考え安保法案反対を唱えたとして、それのどこがいけないのか?
武藤氏は、「自由主義」ではなく「全体主義」の信奉者。国家のためなら個人の思想・信条は制限されて当然だという思想の持ち主だ。初当選前の2012年7月23日、武藤氏は自身の公式ブログで次のように述べ、「日本国憲法」が謳った大原則に異を唱えていた。
そもそも「日本精神」が失われてしまった原因は、戦後もたらされた「欧米の思想」にあると私は考えている。そしてその「欧米の思想」の教科書ともいうべきものが「日本国憲法」であると私は思う。日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」である。
戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会がどんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。
こうなると、もう危険思想の持ち主。≪天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ≫ と定めた憲法第99条の規定など、無視するということなのだろう。ちなみに武藤氏は滋賀4区選出で当選2回。麻生派に所属している。
「美しい国」の正体
幼稚かつ傲慢な主張で自民党の低レベル化を体現しているのは、いずれも首相の出身母体である細田派か麻生派に所属する議員たち。親分ゆずりなのか「政権批判は許さない」という強圧的な姿勢と、国家主義的な考え方は共通だ。彼らが理想としているのは、「治安維持法」「国家総動員体制」「特高警察」の時代。これらは「戦争」を遂行するための悪法であり、制度である。つまり、安倍晋三が訴えてきた「美しい国」の正体は、個人が否定される「全体主義国家」ということになる。戦後70年目の「戦前回帰」――断じて許すことはできない。