大手メディア各社が、国政選挙のたびに行っている選挙情勢調査に関する報道について、これまで何度も厳しい批判を加えてきた。メディアの勝敗予測が選挙結果に与える影響は決して小さくない。とくに昨年12月の衆議院議員総選挙では、公示からわずか3日後に自民圧勝を予想する新聞報道が相次ぎ、有権者の投票意欲を削ぐ形となった。各党・各候補が打ち出した公約も浸透しないうちに、一つの流れを作り出す愚行が、この国の政治を歪めているのは確かだろう。
こうした批判に対し、なんの反省もなく、開き直りともとれる低レベルな特集記事を大々的に掲載した新聞がある――。
朝日の牽強付会
下の写真は、2月1日の朝日新聞朝刊。9面をいっぱいに使っての『読者とつくるページ』である。「選挙の予測報道 予断持たせるのでは」という読者の問いに対する朝日新聞としての主張が、だらだらと書き綴られている。記事の内容を凝縮したものが“見出し”であるとするなら、朝日が一番言いたかったのは、「投票率 下がるとは限らない」という言い訳の言葉なのだろう。この見出しを見ただけで、記事の方向性は容易に理解できる。
記事冒頭にある読者の疑問は次の2点だ。
これに対し、朝日の記者が並べ立てた能書きは、およそ以下のようなものだった。
“ご苦労様”とは決して言えない、牽強付会の論である。公示直後に投票先を聞き、数字を並べてみせることに意味があるとは思えない。報道機関が有権者に伝えるべきは、各党・各候補者の訴えの詳細であって、予想屋の見立てではないからだ。
朝日新聞は矛盾に気付いていないようだが、記事では『選挙戦の客観的な情勢をいち早く有権者に伝え、投票の判断材料にしてもらいたい』と述べている。これは、選挙情勢調査の数字が投票結果に影響を与えることを自覚している証拠。客観的な情報を、世論操作に利用していますと白状したようなものだ。
予測は外れることもあるだの、過去のケースを挙げて、予測報道が必ずしも選挙結果に結びつかないだのと論じているが、どれも言い訳の材料。大手メディアの報道が、読者の行動に影響を与えないはずがない。予測報道のアナウンス効果として「バンドワゴン効果」と「アンダーワゴン効果」を挙げ、それぞれを『勝ち馬に乗る』、『負けそうな方に投票』と説明しているが、それだけではあるまい。しらけて棄権に回る有権者もいる。
一番の問題は、予測報道がそうした人たちを増やし、投票率を下げてしまうことなのだが、朝日はバンドワゴンとアンダーワゴンの2例で括ることによって議論のすり替えを行っている。投票率の低下には受け皿不足、政治不信という大きな要因もあるが、予測報道を見てその思いを一層強くした有権者は少なくないはずだ。実際、総選挙取材の現場では、「投票に行くのがバカバカしくなった」、「新聞が当落を決めてどうするんだ」といった有権者の報道批判を数多く聞いた。1日付け朝日新聞の特集記事を書いたのは同紙世論調査部の記者たちだが、机にしがみつくあまり有権者の生の声が聞こえてこなかったのか、聞こえていてあえて自己弁護に踏み切ったのかのどちらかだろう。批判の多い予測報道を続けるため、予防線を張ったとも考えられる。
まるで官僚組織
報道機関は朝日だけではない。他紙の予測報道も「自民300超」などと足並みを揃えた場合は、それがトレンドとして定着してしまうのが昨今の状況だ。序盤の調査結果を、そのまま投票日まで引きずるという傾向があることは、選挙取材に走り回っている記者なら誰もが知っていること。1日に掲載された朝日の特集記事は、予測報道への批判が朝日だけに向けられているのではなく、大手メディア全体に対するものだという視点さえ欠いている。記事も低レベルなら、これを特集として掲載した新聞社自体も低レベルである。
選挙情勢報道が、一部の有権者に予断を与え、投票所から遠ざけているのは紛れもない事実である。それが多いか少ないかは関係ない。問題は、大手メディア側がその責任を感じていないことなのだ。その反省もなく、牽強付会の論に紙面を割くのなら、朝日は腐った官僚組織と同じ体質であると断じざるを得ない。誤報問題を受けて再生を誓ったとされる朝日新聞だが、持ち味である批判精神は消え失せてしまっている。そのうえ、批判に対する自己弁護と開き直り……。「さらば朝日新聞」である。
最後にもう一つ。読者の問いに、身勝手な説を並べ立てた特集が、なぜ「読者とつくるページ」になるのか?