「目を疑う」とはこういう場合のことを言うのだろう。12日の朝日新聞朝刊、社会面トップにあがった記事を読んで、驚くと同時にこの新聞の堕落を確信した。
佐賀県知事選挙を巡る大手メディアの歪んだ報道が、玄海原発再稼働やオスプレイの佐賀空港配備といった重要な争点をぼかしたことは疑う余地がない。HUNTERの配信記事で度々指摘してきた通り、新聞各紙がこぞって報じた「政権VS農協」が、争点であるはずがないからだ。
しかし、11日の投開票を経て出てきた朝日の記事は、それまで続けてきた自らの報道姿勢を棚に上げ、責任転嫁を図る姑息なものだった。
「政権VS農協」を煽ったのは新聞
佐賀県知事選の告示以来、新聞各紙がこぞって書きたてたのは、首相官邸と農協による対立の図式。古川氏が後継指名した前武雄市長の樋渡氏を官邸サイドが、元総務官僚の山口氏を、農協の政治組織「佐賀県農政協議会」(県農政協)が支援したからだ。農協は、安倍政権が進める農協改革に反対の立場であり、自公推薦の樋渡氏を知事にするわけにはいかない。加えて樋渡氏に批判的な佐賀市をはじめとする県内自治体の首長や自民の地方議員らが山口氏支持でまとまったことから、いつのまにか一騎打ちの構図が出来上がってしまった。原発もオスプレイもさようなら。新聞の紙面は、連日下の写真のような有り様だった。
選挙戦終盤にかけて、その傾向はエスカレート。再び「政権VS農協」を報じた6日の朝日新聞朝刊の記事には「原発」「オスプレイ」は1回も登場せず、これが原発や軍備拡張に批判的な姿勢を堅持してきたメディアのやることかと、憤りを覚えるほどだった。
見苦しい責任転嫁
投開票の結果、勝ったのは事実上農協が擁立した山口氏。各紙が選挙結果を報じたが、やはり主役は農協と政権。原発、オスプレイは脇役の存在でしかない。朝日の社会面に目を移したとたん、飛び込んできたのが下の記事である。
見出しには「響かぬ論戦」 「原発・オスプレイ、影薄く」とある。記事を要約すると、悪いのは候補者。保守分裂で激しい選挙になったが、原発やオスプレについて、候補者が論戦を行わなかったという見方だ。実際の記事にはこう書いている。
山口氏は選挙戦で、政権が進める九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働や佐賀空港への自衛隊オスプレイ配備についてほとんど触れなかった。樋渡氏も切り込まず、活発な論戦にならなかった。山口氏は11日夜、原発については「再稼働の方向で考えたいが、安全性を確認し、県民の意見をしっかり聞く」。オスプレイについては「まったく判断していない」などと述べるにとどめた。原発再稼働やオスプレイ配備について積極的に触れたのは、九州大大学院教授の島谷幸宏氏(599だった。ともに反対を明確に訴えて争点化を図った。島谷氏は11日夜、佐賀市内の事務所で記者団にこう語った。「県民の問題意識は確実にあると感じたが、残念ながら争点としては完全に埋もれてしまった」
「政権VS農協」を煽ったのはどこのどなた様だったのか――?反省するどころか、自らタレ流してきた報道内容には一切触れず、責任転嫁に走った格好だ。姑息と言うほかない。
反権力の姿勢はどこへ
権力の犬と化した読売に対し、朝日は反権力の砦として一方の雄であり続けてきた。個人的には、従軍慰安婦と吉田調書をめぐる誤報問題で叩かれようと、同紙への期待を失うことはなかった。だが、佐賀県知事選に関する同紙の一連の報道では、原発や軍備増強に関する問題を軽視する形の記事を連発して争点をぼかし、あげく、その責任を候補者に押し付けた。選挙前も選挙中も、それぞれの候補者に「原発再稼働はどうする」「オスプレイの佐賀空港配備を認めるのか」と、問い詰める機会が幾度もあったはずだ。そうした努力をすることもなく、目先の「政権VS農協」に走っておいて「響かぬ論戦」 「原発・オスプレイ、影薄く」はないだろう。重ねて述べるが、争点ぼけは明らかに報道の歪みが原因なのだ。
誤報問題で萎縮したのか、朝日の記事には切れ味がまったく無くなった。総選挙絡みの報道を眺めながら、「牙を抜かれたな」と思っていたが、事態はより深刻ということらしい。どこよりも右傾化する日本に危機感を持っていた朝日の姿は、見る影もない。堕落した朝日を、毎月4,037円払ってまで読む気にはならない。