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自民大勝 容認しますか?

2014年12月12日 08:50

 言論が力を失い、思考停止の国民が増えたとすれば、行き着く先は「戦争」しかあるまい。歴史がそれを証明しているが、戦後わずか70年にしてこの国の記憶は薄れてしまったらしい。
 憲法改正を最終目標とする安倍晋三が仕掛けた総選挙で、自民党が大勝する見通しだという。マスコミの誘導に乗った結果とはいえ、有権者の自覚のなさに呆れる思いだ。
 「命よりカネ」という選択は、安倍の目論む「戦争のできる国家」を容認することでもある。なぜこうも危機感がないのか……。

共有されない沖縄の危機感
 自民圧勝が現実味を帯びる国内で、唯一、逆の展開をみせている県がある。沖縄の四つの選挙区では、自民党の公認候補が苦戦しており、現有4議席の全てを失う可能性が高い。

 11月の知事選で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対した翁長雄志氏が当選。保守・革新の枠を超えて安倍政権に挑んだ「オール沖縄」の勝利だった。この流れは継続しており、県内4選挙区で「オール沖縄」が野党候補を一本化。沖縄では、辺野古移設反対の声が一強自民を飲み込む勢いだ。

 民意を無視する安倍政権への拒絶反応は、本土でも少なからずある。特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認、原発推進といった政策には国民の半数以上が懸念を示しており、安倍政権に絶対的な信頼が寄せられているわけではない。アベノミクスの是非に目をとられているとはいえ、国の未来に影を落とす政策が、有権者の支持を得ているとは思えない。しかし、報道各社の選挙情勢調査での結果は「自民300超」の予想ばかり。多少のプラス・マイナスはあるにせよ、自民圧勝がトレンドであることは認めざるを得ない。

 沖縄と本土で、何がこれほどの違いを生んでいるのか――。
 下は普天間飛行場の全景だ。戦後、国土の0.6%にしか過ぎない沖縄に、75%の米軍基地が集中する状況が続いてきた。普天間の写真が語るように、日常生活の中で、沖縄県人は絶えず「戦争」と向き合ってきたといえよう。大戦末期、本土の捨て石にされ、県民の4人に1人が犠牲になったといわれる沖縄では、戦後も基地を押し付けられ、事実上の米軍統治が存在している。理不尽の代償は膨大な沖縄振興費だったが、ここに来て、その手法が通用しなくなったことは明らかだ。

沖縄

 昨年暮れ、政府が示した毎年度3,000億円の沖縄振興予算と引きかえに、仲井真弘多前知事が辺野古移設を容認。飛行場建設工事の前提となる海面埋め立てを承認した。カネで沖縄の心を売り買いした形の仲井真氏と安倍政権に反発が高まり、その後の名護市長選、同市議選、そして県知事選と移設反対派が勝利をおさめる結果となっている。沖縄県民がが選んだのはカネではなく「心」あるいは「誇り」。大切なものを失うことの危機感を、沖縄全体が共有しているということだ。

 翻って本土の有権者はどうか――。
 沖縄に基地を押し付けた形で平和を享受してきた私たちは、米軍基地だらけの沖縄県の現状や県民の思いをどれほど共有してきたか?同じ日本人でありながら、おそらく本土の大多数は沖縄の痛みを共有していない。共有していれば、民意を無視して辺野古移設を強行する安倍政権を支持するはずがないからだ。沖縄からみれば、自民300超という本土有権者のトレンドは、到底理解できまい。かくして沖縄と本土の距離は、益々遠のいていく。

言葉だけの「絆」―置き去りにされるフクシマ
 福島第一原発の事故で、行き場を失った福島県民の痛みや悲哀も共有されていない。汚染水漏れの解決さえできないでいる現状や、故郷を奪われた人たちのことを直視していれば、原発再稼働に曖昧な態度をとることなどできないはず。しかし、今回の総選挙では、原発の是非が論じられることは、ほとんどなかった。原発の安全神話があっけなく崩れ去ったことさえ、この国の有権者は忘れかけている。

 東北以外では、震災の記憶さえも風化している。東北の復興が遅々として進まぬなか、五輪特需の東京は開発計画が目白押し。驚くべきスぴードで、ことが進んでいる。震災後にもてはやされた「絆」という言葉は、無関心を糊塗するための道具だったとしか思えない。大多数の有権者にとっては、しょせん沖縄も東北も、我が身から遠い存在。自分の一票に、両地の思いを託すことなど露ほども考えていないのだろう。

アベノミクスの現実
 公示以来、安倍はアベノミクスが争点なのだと言い続けている。大胆な金融緩和、 機動的な財政出動、成長戦略という3本の矢による総合的な経済政策だったはずのアベノミクスは、有効な財政出動も確かな成長戦略も機能しないまま、日銀による再度の金融緩和という禁じ手に頼らざるを得なくなった。一の矢に戻ったことは、2本目と3本めの矢が、的を射ぬけなかったことの証しだ。金融緩和の余波で急激な円安を招いたことが、自らの暮らしを窮屈にしていることに気付いている有権者は少なくない。下がりっぱなし実質賃金に、怒りをぶつけるべきだろう。

思考停止
 自民優勢の現状は、野党のふがいなさの裏返しであることは確かだ。野党第一党である民主党は、多くの選挙区で候補者擁立を見送らざるを得なかった。共闘しているはずの維新の党首は、政権批判以上に民主や労組の悪口に力を入れる始末。与党の過半数割れなど夢のまた夢だ。だが、この現状を招いている最大の要因は、沖縄やフクシマへの冷淡さに共通する、自分の周りにしか目を向けない国民の性(さが)にあると見る。前提になっているのは「原発は多分、大丈夫」「戦争なんか起きっこない」という甘い見通し。いわば、希望的観測の上に立った諦観とでも言うべきものだろう。「思考停止」と言い換えてもよい。

自民圧勝がもたらす社会とは
 仮に事前予測の通り、自民が300を超え3分の2の議席を獲得したとする。その結果、安倍に白紙委任をしたも同然の格好となり、政権は憲法改正への歩みを露骨に早めてくる。原発再稼働どころか、新設・増設さえも視野に入る。「そんなはずではなかった」と騒いでも後の祭り。安倍は、中国とドンパチをはじめることも厭わないだろう。なにより、国際社会が、偏狭なナショナリズムに染まる日本を危険視してくるはずだ。孤立する日本、右に倣えの国内、力を失くす報道機関……。「いつか来た道」どころか、「新たな戦前」の始まりである。本当にこれでいいのか。考える時間は、まだある。



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