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原発立地自治体と首長の責任

2014年11月18日 09:55

20140114_h01-01t.jpg 鹿児島県薩摩川内市にある九州電力川内原子力発電所(写真)。再稼働に向けてのカギを握っていたのは、伊藤祐一郎鹿児島県知事と岩切秀雄薩摩川内市長の二人。国民の半数以上が原発再稼働に懸念を示すなか、両氏は再稼働に向けてまっしぐら。周辺自治体や国民の思いを忖度する姿勢など、微塵も見せなかった。
 二人があっさりと再稼働に合意したことで、川内原発の営業運転開始が現実のものとなりつつある。川内が再稼働すれば、全国で停止中の原発が次々と動き出すのは必至。立地自治体の首長たちは、次代への責任を、どうとるつもりか。

黙殺される国民の声
 不思議なことに、原発大国であるはずの日本には原発の同意権限について定めた法律がない。原発の是非を判断する権利を立地自治体だけに絞っているのは、国と電力会社――つまり「原子力ムラ」が勝手に決めた仕組み。国策であるはずの原発は、民主主義国家とは思えぬ杜撰な体制下で運営されているのである。

 原発行政に関わった経験があったため、この杜撰な仕組みを熟知していた伊藤知事。合意表明までの過程は強引そのものだった。川内原発30キロ圏内の5市町で開かれた住民への説明会は形だけのもの。参加者は2,500人程度にとどまった。さらに、知事が判断材料にすると話していた説明会参加者からとったアンケート結果を、「理解できなかった項目」に印が付けられていない場合は「理解できた」と勝手に解釈。「理解が進んだ」と公表し、事実上の捏造まで行っていた。薩摩川内市の議会と市長、次いで県議会が再稼働を容認しただけで、広く県民の意見を聞く場は設けられていない。

 原発再稼働について、伊藤知事は周辺自治体が求めた合意権限を認めず、薩摩川内市と県で十分だとしてきた。「立地自治体」で選出された自民・公明系の政治家たちが、国や九電の方針に逆らえないことを承知していたからに他ならない。一方、原発の恩恵を受けていない政治家は、再稼働に消極的な世論に敏感。まともに議論を続けて川内原発の再稼働が遠のくことを、知事は何としても阻止する腹だったのである。

 案の定、薩摩川内市議会、そして県議会が採択した「再稼働賛成陳情」は、薩摩川内市の業界・団体が提出した1件のみ。これが原発にゴーサインを出す道具だったことは明らかだが、市民団体から出された何十件もの原発反対陳情は、両党の議員らにとって黙殺の対象でしかなかった。

 しかし、避難計画は不備、安全性についての原子力規制委員会の説明会は不十分――この段階で、再稼働の判断ができるとは思えない。火山噴火への対応をめぐっては、火山学会と規制委の対立が深まる一方で、原発への不安は高まるばかり。県と県民との間で、再稼働への合意形成には至っていないのが実情だ。「原発再稼働の嚆矢」――伊藤知事が望んでいたのは、それを実現した政治家として名を残すことだったとしか思えない。原発に替わる地域振興策を考え出す気概も、創造力もないのだろうが……。

立地自治体の首長に求められるのは…
 全国の原発が停止してから約3年、電気料金が上がったことへの不満はあるものの、国民生活には大した変化もない。原発が無ければないで、やっていけることを証明しているのだが、安倍晋三首相と原子力ムラは、原発推進を再考する気配さえない。国民の声より財界の声――それが安倍政権の考え方だ。

 国は「責任を待つ」と言うが、一体どのような形の責任なのか、具体的なことは何も提示されていない。原発に100%の安全などないことは、周知の通り。自然災害、人的ミス、テロ……。安全を脅かす要因について、完全な防御策などあるはずがない。そもそも、原発に事故が起きてしまえば、避難計画などあってないようなもの。放射性物質が降り注いだ瞬間、住民は放射能に汚染されてしまうのである。国が言う「責任」とは、安全性についてのことではなく「補償」。カネは払ってやるから、原発を受け入れろというわけだ。無責任と言うしかあるまい。

 原発の是非について判断が下せるのは、「立地自治体の首長」だけというのが現状だ。来月にも行われる予定の総選挙で、自民党が勝とうが負けようが、全国の原発で次々と再稼働に向けた動きが進むのは確実。目先の利益や業界・団体のエゴを選ぶのか、「命」を選ぶのか。立地自治体の首長たちに、未来への責任が重くのしかかる。



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