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僭越ながら:論

「朝日たたき狂想曲」を嗤う

2014年10月14日 08:45

書店に並ぶ朝日たたきの雑誌 朝日新聞をめぐるマスコミの騒動が滑稽に見えて仕方がない。読売、産経をはじめ、一部週刊誌に月刊誌までが、誤報の検証を通り越して、あら探しに狂奔する状況。書店の一角には、朝日たたきの雑誌が並ぶ。
 右寄り急旋回をみせる政府・与党からは、朝日を国会に呼べという声まで上がっており、政治が報道統制に走る一歩手前だ。
 背後でほくそ笑んでいるのは誰なのか ―― それに気づかず、繰り返される狂想曲。危機感を覚えるのは筆者だけではあるまい。

論じられるべきは……
 今回の問題は、朝日の体質を図らずも露呈させた。体質というのは、朝日を指して巷間言われる「サヨク」のことではない。「朝日は官僚社会」とよく聞く。中枢に行けば行くほど、“下々の声”が切り捨てられていくのだという。中央官僚は、庶民の気持ちが分からないものだが、この「体質」のことである。

 硬直化した官僚組織は、判断自体も硬直化していく。今回の朝日の吉田調書問題を見れば、明らかである。吉田調書問題をきっかけに、慰安婦問題に火が付いた。いや、慰安婦問題が、吉田調書問題をあぶり出したとも言える。この間に、池上コラム問題があり、図らずもそれが朝日の体質をあぶりだした。朝日自身が解決すべき問題であり、解決できなければ、廃刊となるのは自明の理だろう。だが、筆者は、本当に論じられるべき問題が、すり替えられていることに危惧を抱く。

 慰安婦問題については、本質を徹底的に取材すると同時に、歴史に関する証言を吟味する必要がある。朝日の批判記事を書くのはそれからだ。かつて中曽根康弘元首相や産経の社長、会長を務めた鹿内信隆氏は、慰安所設置に軍が関与していたことをほのめかす発言をしている。朝日たたきの急先鋒である産経をはじめいまのマスコミは、朝日が慰安婦報道のきっかけになった「吉田証言」報道を取り消したことをとらえ、味噌も糞も一緒にして論じているが、都合の悪い事実には目をつぶるというのだろうか。それでは朝日と五十歩百歩だ。

 タレントのカンニング竹山氏が、ラジオの番組で慰安婦報道に持論を展開し、「今だからこそ、じゃあ何があって、何が正しくて、どういう事実があって、いくら払って、どうだったのか、韓国で何があったのかというのを、今あらためてキチッともう一回検証して報道して欲しい」と言っていた。正鵠を射ている。

 番組では、他の出演者から、「間違えを認めずに、シカトをぶっこいていたってことのほうが重い」「それを検証したり、反省したり、謝罪したりって話をしなきゃいけない」と朝日の対応について批判する声が上がる一方で、「それの問題と今ごっちゃにされつつあるのが『朝日がこういう誤報をしたおかげで、日韓関係がこんなにひどくなってしまっている』」と、誤報と日韓関係の混同を指摘する意見も出た。「誤報を誤報として認めることは朝日がやらなきゃいけないこと」としながらも、「歴史を見直すとか、戦後外交の見直しだとか、もっとそういう大きい話をするのは朝日だけでできることではなくて」とも述べられている。朝日の「慰安婦問題」にまつわる誤報と日韓関係とを切り分ける必要性を主張し、論ずべきが何かを明示した点、そのあたりの偏向マスコミよりかなり程度が高いと言わざるを得ない。

 クマラスワミ報告書とは、国連人権委員会に提出された「女性に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者」のことだが、その中に慰安婦問題を取り上げた「日本軍性奴隷制に関する報告書」がある。菅義偉官房長官は、「このレポート(クマラスワミ報告)の一部が、最近朝日新聞が誤報としてキャンセルした(吉田証言)記事の内容に影響を受けたのは間違いない」と述べているが、政権の中枢にある人物が、“朝日の慰安婦報道がクマラスワミ報告全体に大きな影響を与えた”と本心から言っているとしたら、それ自体が、論じるべきを論じない、国益に反する行為である。タレントの爪の垢でももらって飲んだ方が良かろう。

原発問題でも……
 吉田調書問題も、慰安婦問題と通底するものがある。朝日が、政府が出さないといった調書をスクープしたのは評価できる。だが、その解釈を歪めたことは、大いに反省すべきである。一方で、同じ吉田調書を後から手に入れた読売・産経などが、間違いをあげつらい、「鬼の首」を取ったようにははしゃぐ姿は、両紙が原子力ムラの一員であることを示している。

 これで、再稼働を前にした原発問題が論じられることは確実に減っていく、というのが一致した見方。電力会社が自然再生エネルギーの買い取りを留保し、政府もこれに追随する動きを見せはじめた。この問題も批判されてしかるべきなのに、低調である。原子力ムラは、“これから原発を再稼働させようとしているのだから、太陽光エネルギーなどの自然再生エネルギーは買うことができない”と言っているのに等しい。電力会社や政府が言うインフラ不足の事情は、言い訳にしかなるまい。電力のあり方を考える絶好の機会なのに、マスコミは、別の問題にお熱を上げている。ここでも「国益」が害されているのだ。

「単純化」では役割を果たせない
 右であれ、左であれ、大事な事実が出せないマスコミは権力側の広報紙に過ぎない。今の朝日は言わずもがなだが、読売や産経に、安倍政権にとって都合が悪く、市民に必要な大事な事実を引き出すことができるのだろうか。権力者側にとって常に安全なのは、特ダネなど追わずに発表ものだけをせっせと書いている記者である。吉田調書にしても、これから先、特定秘密に指定されたかもしれないレベルのものだ。特定秘密保護法自体が、何が秘密に指定されるのかさえわからない法律であり、権力者側は、自分たちに不都合な事実は秘密指定して闇に葬ろうとするだろう。外務省秘密漏洩の「西山事件」はそれを歴史として証明している。権力者側が、常にマスコミをコントロールしたいと思っているのを気づかず、仮に気づいたとしても、しっぽを振る姿は、もう飼い犬、いや「ポチ」としか言いようがない。

 慰安婦問題にしても、原発問題にしても、問題をすり替えられていることに気づかず、さらに、物事を単純化して報道することに、恥ずかしさを感じないマスコミの姿は哀れでさえある。右と左を分けることは単純な「記号化」に過ぎない。一部でみられる「朝日が削除したのだから慰安婦はいなかった」という論調は、まさに単純化であり記号化。ジャーナリズムとはかけ離れたものだ。

 政治も同様であろう。パフォーマンスが優先し、「ああいうことをやれば受ける、票が取れる」と思えば、まねをする政治家が出てくるのは必然。単純化することを優先し、なりふりかまわず票を集めるためのパフォーマンスに奔走するのである。今の国会中継を見ても、そんな議員ばかりだ。ほんとうに論じなければならないことは論じず、パフォーマンスに終始する政治家を見極める力は、単純化した中では生まれてこないだろう。単純化を批判するどころか、その中にどっぷりつかり、自らが率先して、「毒」を吐くことに自覚もなければ恥じらいもない。それは、朝日を始め、今のマスコミに共通しているところであり、責任は大きい。

 メディア同士が批判することは勿論必要だが、今の状況は、ことの本質を忘れているとしか言いようがない。「朝日たたき狂想曲を嗤う」である。



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