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僭越ながら:論

選挙と報道の「自主規制」について一言

2014年9月12日 11:10

 選挙間近になると、首長であれ議員であれ、現職の不祥事はなかなか報道されなくなる。たいていの大手メディアは、「批判記事が選挙結果に影響をもたらす」として、自主規制するからだ。報道が原因で落選でもすれば、選挙妨害で訴えられるという後ろ向きの理由があるのも事実だろう。だが、こうした自主規制が、結果的に市民の「知る権利」を奪う形になってはいないか――。きょうは、大手メディアの報道姿勢について一言。

 有権者に判断材料を示すのは、報道の重要な役割だ。各陣営の政策や選挙情勢、裏舞台の記事も読者にとっては面白い読み物といえるだろう。問題は、選挙が近づくにつれ変わり映えのしない記事が氾濫する一方で現職議員や首長の不祥事を報じる記事が影を潜めることだ。

 たしかに、現職を批判する報道が対立候補に有利に作用し、選挙結果に影響を与える可能性はある。選挙の公平性を保つため、大手メディアが政治家批判を控えるのはこれを避けるためだ。だが、自主規制をいつから行うのかについての判断は、報道各社の裁量に委ねられている。選挙戦に突入した後なら自主規制の理屈も通るが、最近は立候補予定者が名乗りを上げ始めたとたんに自主規制する傾向が強まっている。

 背景にあるのは、批判された側からの抗議や、訴訟提起を恐れる姿勢だ。小さな事例を紐解けばきりがないが、直近では参院選を控えた昨年6月、TBSの報道内容に抗議して、自民党が同局の取材や番組出演を拒否するといった「事件」も起きている。この時はTBSが自民党に対して事実上の謝罪を行い、報道が権力に屈服した形となった。リスク回避への思いが強まるほど、権力批判の矛先は鈍る。

 政治や行政のあやまりを放置するようでは報道失格だ。報道の使命は「権力の監視」。選挙があろうとなかろうと、為政者の間違いは糾すべきだろう。だが、この国の大手メディアは、選挙が近づくと権力側の不祥事ネタにはダンマリを決め込み、ひどいときは、選挙が終わってから「スクープ」として報じることさえある。報道の身勝手な自主規制の結果、歪んだ権力が保持されるとすれば、有権者にとっては迷惑な話。購読料を払う意味がない。

 昨年成立した特定秘密保護法をめぐって、「知る権利」の重要性が議論されてきた。同法に賛成のメディアも反対のメディアも、「知る権利」を守るという点では一致している。だが、「選挙に影響を与える」という理由で報道各社が行っている権力批判の自主規制は、「知る権利」を否定する愚行ではないだろうか。

 筆者の地元福岡市では11月に市長選挙が行われるが、最近よく耳にするのが、市政記者クラブ所属記者の「言い訳」だ。HUNTERは先月来、福岡市長の出張に関する疑惑について報じてきた。今月8日から始まった市議会でも、この問題が取り上げられている。この間、大手メディアはダンマリを決め込んでおり、HUNTERに「新聞はなぜ市長の出張問題を報じないのか」といったお便りメールが数多く寄せられる状況だ。聞こえてくるのは、記者たちの「市長選が近づいているので、現職批判はやりにくい」といった“言い訳”。なかには、「議会での追及が甘かったから書けない」などと、とんでもない責任転嫁をする輩もいるという。

 在福の記者たちに言っておきたい。
・能力不足や不作為を隠すため、選挙前の「自主規制」を隠れ蓑に使ってはいないか?
・知る権利について、深く考えたことがあるか?
・あなたたちの「使命」とは何か?

<中願寺純隆>



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