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「原発から250キロ」 ― 福井地裁判決の意味

2014年5月30日 10:15

 原発再稼働に向けての動きを加速させる安倍政権。27日には、原子力規制委員会の委員で9月に任期満了を迎える島崎邦彦委員長代理、大島賢三委員の両氏に代わり、田中知東大大学院教授と石渡明東北大教授を充てる人事案を国会に提示した。
 地震学者である島崎委員長代理は、原発の再稼働に向けた安全審査で電力会社に厳しい姿勢を示してきた人物。敦賀原発(福井県)や東通原発(青森県)の敷地内に「活断層」が走っていることを認定するなど、規制委で唯一信頼できそうな存在だった。替える理由はなく、事実上の更迭と見られる。
 露骨な手法は、政権に焦りが生じていることの裏返し。原因が司法による原発への警鐘であることは疑う余地がない。住民らが関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを求めた裁判で、福井地裁が21日、「大飯原発の安全技術と設備は脆弱なものと認めざるを得ない」として、訴えを認める判決を下した。この判決が意味するものとは……。

「人格権」を優先させた画期的判決
 21日の福井地裁判決。主文は≪被告(関西電力)は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1‐1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない≫。 運転差し止めを認めた画期的な判決だ。

 判決理由の冒頭には、こうある。

 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

 地裁判決は、原発の是非が「人格権」を優先して審議されるべきものであることを明確に示しており、後に続く判決理由では、≪本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある≫として、原子力ムラの主張を木っ端微塵に打ち砕いている。

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。
 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。
 国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

 判決は、安倍政権や財界による原発擁護の根拠も、明確に否定してみせた。

 コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

 こうした判決理由の結論が、これ。

 原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

 「原発から250キロ圏内に住む住民らは、(原発再稼働の)差し止めを求めることができる」としており、原発から半径250キロ圏内にある地域が、放射能被害を受ける可能性があることを認めた形だ。

「原発から250キロ」の意味
 これが何を意味するか――。九州には九電の玄海原発(佐賀県玄海町)と川内原発(鹿児島県薩摩川内市)があるが、両原発を起点に半径250キロメートルの円を地図上に描くと、次のような状況となる。

原発地図

 九州全域が放射能まみれになることはもちろん、中国、四国にまで被害が及ぶことが歴然。地図上では見えないが、北は韓国の釜山付近まで「圏内」となる。四国には四国電力の伊方原発(愛媛県伊方町)、島根県松江市には中国電力の島根原発があり、250キロ圏内を示す円はさらに重なることになる。全国には16カ所の原発。この国は汚染可能性列島なのである。

 福井地裁の判決は、すべてにおいて優先されるべきは「人格権」だと断定している。原発の是非をめぐる議論を突き詰めれば、カネをとるか命をとるかの二者択一にたどり着く。避難計画がどうの、安全審査がどうのということを論じること自体、ナンセンスだと考えるが……。



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