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靖国神社と亡国宰相

2013年12月31日 10:10

 26日、安倍晋三首相が靖国神社に参拝した。総理大臣の靖国参拝は小泉純一郎氏以来7年ぶり。しかし、当時とは比べものにならないほど、中韓との関係が悪化した中での“暴挙”である。両国の反発はもちろんだが、同盟国である米国からも「失望した」と突き放され、結果的には日本が孤立した形だ。だれがこのような事態を望んだのか―。
 日本という国家の現状や未来に、これほど影響を与える宗教施設は靖国神社以外にないが、私たちは、靖国についてどれほどの知識を持ち合わせているのだろう。

靖国神社
 靖国神社の前身は、明治2年(1869年)に建てられた「東京招魂社」である。明治天皇の発案で、幕末から戊辰戦争にかけて国のために働き、命を落とした人々の名を後世に伝え、その御霊を慰める目的だったとされる。同12年(1879年)「靖国神社」に改称、現在に至っている。東京招魂社の創建にあたっては、作家・司馬遼太郎氏の「花神」で広く知られるようになった大村益次郎が尽力したとされ、今も靖国の境内には、益次郎の銅像がある。益次郎は、長州藩出身の医師・兵学者。近代陸軍の創設者ともいわれている。靖国神社は、スタート時点から「軍国日本」の象徴だったのである。

 他の神社と異なるのは、「祭神」が神話に登場する神々や歴史上の人物ではなく、数多くの“戦没者”であることだ。対象には、維新期前後に加え、西南の役、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争などで戦い、亡くなった武士や軍人、さらには従軍看護婦や女学生、軍需工場で亡くなった動員学徒など、民間人も含まれる。“本人や遺族の意思に関係なく”ということになるが、日本人として戦った台湾、朝鮮半島出身者なども祀られている。

 坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作といった人たちが祀られている一方、旧幕府側の会津、桑名、西南戦争を引き起こし「賊軍」と位置付けられてしまった西郷隆盛と薩軍兵士などは除外されている。今年、NHKの大河ドラマは、会津出身で同志社大学創立に寄与した新島八重の生涯を描いた「八重の桜」だった。朝廷に忠義を尽くしながら、時代の波に翻弄され「朝敵」とされた会津藩に光があてられたが、薩・長は官軍、会津は賊軍という見方は、じつは勝者が作り上げた虚構だ。そもそも、徳川や会津を討伐せよとの天皇の命令が、じつは偽勅(ぎちょく)=ニセモノであったことが知られている。

 「勝てば官軍」側の尺度で合祀者を選んできたため、どれほどの功績を上げても、敗者には靖国に祀られる資格がないらしい。なにせ、会津藩関係者はもちろん、維新に大功があった西郷さんが祀られていないのだ。ことほどさように、靖国で祀られる人の基準には疑問が多い。

 そうした意味で、東京裁判でA級戦犯に指定され、処刑された東条英機元首相らを合祀していることには、首をひねらざるを得ない。勝者が敗者を裁いたことに、問題があるのは理解できる。しかし、A級戦犯の大半は、まぎれもなく「戦争指導者」だ。靖国に眠るとされるのは、多くが名もなき兵士や、軍に協力した人たち。間違った戦争指導を行ない、国民に塗炭の苦しみを与えた国や軍の指導者を、快く思うはずがなかろう。もちろん、国土を軍靴で踏みにじられた韓国や中国が、東京裁判でA級戦犯に指定され、有罪となった日本の指導者を「神」として崇めることを容認するはずがない。「死んだら皆同じ」という考え方もあるが、それなら西郷さんや旧幕府側の指導者、兵士に至るまで合祀されていなければなるまい。A級戦犯の合祀後、天皇陛下が靖国参拝を行われていないことが、如実にことのありさまを示している。

 国のために命を捧げた人たちに感謝し、冥福を祈るのは当然だ。しかし、靖国で眠るというあまたの霊が、強行することで国益を害し、紛争を招きかねないような参拝を喜ぶものだろうか。断じて「否」であろう。戦争で散った人たちは、愛する者のために命を捧げたのであって、「国家のため」だけだったとは思えない。自己犠牲の根底にあったのが、「平和」を希求する思いだったことは、誰も否定できまい。

 そもそも筆者は、「英霊」と言われる戦争で亡くなった方々すべての霊が、靖国神社に集っているという考えに不同意である。戦士達の御魂が帰る先は、家族をはじめ愛する人のもとではないのか、懐かしき故郷ではないのか―そう思わずにはいられない。私なら、迷わず守りたかった人のもとに飛んで帰る。もちろん、時代背景も教育も違う時代と今を比較するのは難しいが、多くの戦没者の遺書を見ると、彼らの本心を忖度することができるだろう。

亡国宰相
 安倍晋三という政治家は危険。何度もそう述べてきた。間違っていないことは、一連の安倍政権の動きが証明している。大勝した参院選後、国家安全保障会議(日本版NSC)の創設、特定秘密保護法の強行採決と公布、韓国軍への銃弾供与と続き、年の締めくくりが靖国参拝。来年は、集団的自衛権行使容認に走ると見られている。いずれも憲法改正や国防軍創設に向けた布石であることは疑う余地がない。

 沖縄に関しては、米軍基地への反発を強める県民感情を無視。カネで横っ面を張るような手法を用いて、名護市辺野古沿岸部の埋め立てを承認させている。米国に恩を売ったつもりだったのだろうが、靖国参拝で帳消しになったと見るべきだろう。米国は中国と事を構えたくない。しかし、日本は尖閣国有化で中国を刺激し、日中の距離は広がるばかり。かてて加えて、米国の同盟国である韓国と歴史認識で摩擦ばかりを繰り返す安倍首相に、堪忍袋の緒が切れたというところだ。歴史認識をめぐる対日姿勢は、中国も韓国も米国も同じ。右傾化する日本に、諸外国が危機感を抱いていることを自覚すべきだろう。

 安倍晋三という政治家は、頭が悪い。米国には辺野古で、韓国には銃弾供与で恩を売ったから、靖国参拝程度で関係悪化はないと踏んだのだろうが、甘すぎた。米国は、自国の利益のためにしか動かないし、韓国の政権は国民世論に迎合することで権力維持を図っている。日本の首相の勝手な思い込みや、歪んだ自己陶酔に付き合ういわれはないのである。集団的自衛権の行使容認にしても、米国が喜ぶと思ったら大間違いだ。そもそも、彼の主張する「戦後レジームからの脱却」とは、日米安保体制を否定することにつながる。それが理解できないということは、頭が悪いということ。分かってやっているとすれば、国を滅ぼしかねない総理大臣―「亡国宰相」ということになる。

 まず、アベノミクスで経済を立て直す機運を醸成し、国民の支持を得たまでは了としよう。しかし、「美しい国」だの「戦後レジームからの脱却」など、格好の良い言葉を繰り返しながら、最も力を入れてやっているのは軍国主義国家への道をひた走ることだ。そんな安倍氏が靖国参拝にこだわったのは、歪んだナショナリズムを鼓舞するために他なるまい。戦争で、国のために命を捧げた先人達に感謝するのはあたり前のことだ。しかし、祈りの場が「靖国」である必要はない。先祖の墓であってよかろうし、心の中で手を合わせるだけでも十分だろう。肝心なのは歴史を直視し、日本人としての誇りを持ち続けることではないのだろうか。



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