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東国原氏離党の背景

2013年12月12日 09:30

 11日夕方、日本維新の会の東国原英夫衆院議員が離党届を提出。近く議員辞職する意向であることも明らかにした。
 東国原氏はブログで、旧太陽の党との合併で維新の原点である理念、政策、方向性等が変質・変容したと指摘。さらに、「東西二元体制の弊害」を離党の理由に挙げ、「政策決定プロセスが有機的に機能していない」と突き放した。特定秘密保護法の審議過程で与党と修正合意した同党の方針も批判している。
 唐突とも思える離党、議員辞職。存在感が薄くなった東国原氏が、久々に見せたパフォーマンスの背景は・・・・・。

 東国原氏は宮崎県知事を1期務めた後、2011年4月の東京都知事選に出馬。当時現職だった石原慎太郎氏の261万票に次ぐ169万票を獲得した。昨年12月の衆院選では日本維新の会の公認候補として、比例近畿ブロックで当選していた。純粋比例であるため、今後は議席を返上し、NPOでの活動などを通じ、政治に外からアプローチしたいと語っている。
 
 医療法人徳洲会からの資金提供問題を抱える猪瀬直樹氏が東京都知事を辞した後、知事選を狙うのではないかとの質問については、「時期尚早」と回答。今後に含みを残した形だ。

 東国原氏の言動は定まらない。ついこの間までは、「新党」に向けて意欲満々だったのである。それは10月31日の「維新なチャンネル」での出来事だった。ゲストは8月にみんなの党を事実上除名された柿沢未途衆院議員。ホスト役の東国原氏も熱弁をふるっていた。
 
 この中で柿沢氏は、野党がまとまるためには2015年の統一地方選で、政党間での候補者調整が必要であること、そのためには1年前から準備しなければいけないことなどを述べた。すると東国原氏はいきなり、「よし、年内やろう。年内だ。年内やりまーす」とまとめてしまっていたのである。新党を睨んだ動きをしていたことは間違いない。
 
 一方、議員としての立場は退屈だったようだ。民主党、みんなの党、日本維新の会の議員らで構成される「新世研」に参加したものの、たいした役職を与えられていたわけではない。会合に出席していた東国原氏が、たびたび面白くなさそうな表情をしていたことが確認されている。
 
 これは首長経験者が国会議員になった時、陥りやすい状況である。都道府県知事は「一国一城の主」。その権限は強大だ。報道を通じての露出も多い。しかし、政党に所属する一議員、しかも新人となれば、その他大勢の中のひとりに過ぎない。党議拘束を受け、法案提出にも一定の数を集めないといけない。議員という地位は、何かをすぐにやりたいという人にとっては魅力的ではないのだ。目立ちたがり屋の東国原氏に「こんなはずではなかった」という思いがあったのは確かだろう。

 東国原氏の離党に関しては、旧太陽系グループとの確執も大きい。東国原氏は離党届を出すに際し、5つの理由をブログに書いた。その全てはアンチ旧太陽系の立場で書かれたもので、問題の根深さがうかがえる。

 注目すべきは、その中に記された橋下徹共同代表との6月30日の会談の内容だ。内容は明らかにされていないが、この時、橋下氏が旧太陽系を切り捨て、純化路線を約束したという見方がある。東国原氏の離党・議員辞職は、これが叶わなかったための「はらいせ」ではないかというのである。かっこよく言えば、議員生命をかけて抗議したともいえる。だが東国原氏の行動は、政局での大きなターニングポイントを生みだすものではない。悲しいかな、国政における彼の政治的影響力は、その程度なのである。

 東国原氏と橋下氏との会談は、今月10日にも行われている。離党にあたって書かれたブログには、この会談で6月30日に橋下氏から聞いた「重大な意思・決意」を確認したとしているが、ある永田町関係者はこう話す。「6月の話と今回の話は、あまりつながりがないんじゃないか。党内改革についての話だったとされてるが、じつは東(東国原氏)の知事選出馬についての相談だったんだろう。前回は来年の宮崎知事選について。今回は東京都知事選について。どうせその程度の話だ。橋下さんも、そろそろ東を見限るんじゃないかな。それにしても東っていうのは、身勝手な男だな」。

<天城慶>



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