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「知る権利」抹殺 これが国家意思か?

2013年11月27日 09:30

国会 26日、特定秘密保護法案が、自民、公明、みんなの党の賛成多数で衆議院を通過した。午前中の国家安全保障特別委員会は、突然の質疑打ち切り後、強行採決。午後の本会議採決は野党の抵抗で遅れたものの、結局は数の力に押し切られてしまった。論戦の舞台は参議院に移るが、自・公・みんで過半数をはるかに超えており、法案成立は必至。国民の「知る権利」は風前の灯火(ともしび)だ。
 そもそも、なぜいま「秘密保護法」なのか―。唐突に出して、ろくな議論も経ぬまま法案成立だけを急ぐには、それなりの理由があるはずだが、安倍首相の口から納得できる説明を聞いた覚えがない。おそらく、多くの国民がそう思っているはずだ。はたしてこの法案を成立させることが「国家意思」なのだろうか。

法案がもたらす社会とは
 27日にも参院で可決・成立が見込まれる国家安全保障会議(日本版NSC)創設関連法案とセットのこの法案。知る権利を侵害するだけでなく、国民の暮らしに暗い影を落とす存在になることが確実だ。

 まず、「知る権利」について考えてみたい。
 秘密指定の権限は大臣に与えられており、各省が「秘密」と決めたとたんにその情報が国民の目にふれることはなくなる。大臣を動かすのが役人であるこの国の現状からいって、重要な情報を握るのは「官僚」。省益を損なうような都合の悪いことを片っ端から「秘密」にしてしまうことは、容易に想像がつく。薬害エイズしかり、霞が関がこれまで続けてきた隠蔽の歴史を振り返れば、法案の影に官僚の笑い顔がちらついていることが分かるだろう。その官僚たちが最も嫌っているのが「知る権利」なのである。

 恣意的な運用に懸念が示されるのは、秘密指定の基準がないためだ。秘密に指定される情報は、外交、防衛、スパイ防止、テロ防止といった内容に限られるとしているが、テロと結びつければ「原発」も対象になるだろうし、無駄な国防予算や基地問題について調べようとしても、「防衛上の機密」と判断されれば、そこから先に進めなくなる。役人や一部の政治家が「隠したい」と思った瞬間、それが国家の進むべき道を誤らせる内容の情報であったとしても、検証すらできなくなるのだ。なぜ「秘密」なのかさえ、国民には知らされぬまま、重要な情報が眠ることになる。福島第一の事故で放射能被害を受けた東北の被災地や、基地問題を抱える沖縄がこの法案を認めるわけがない。

 報道や取材の自由が奪われることは、「知る権利」にとっての最後の砦がなくなることを意味する。
 例えば、「秘密指定された情報の一覧」を国に情報公開請求した場合、請求のしかたによっては、公務員に秘密の内容を教えるよう「教唆」したとして罰せられる可能性もある。取材もだめ、情報公開も通じないとなれば、国に関する真相報道などできるわけがない。この時点で報道機関はお手上げ状態だ。

 国会が無力な現状にあってチェック機能を果たせるのは、国民の「知る権利」を代表する報道機関だけだ。しかし、その報道機関の動き自体が、法案成立で封じ込められれば、国民の「知る権利」は、行使も委任もできない状態となる。

 それだけではない。この法案が危険なのは、多くの国民に罪人の汚名を着せかねないことだ。酒の席で特定秘密を話題にしただけで罰するというのだから、役人とは何も話せなくなってしまう。息苦しいことこの上ないが、なにが秘密なのか知らない国民にとっては、迷惑極まりない話だ。ある日起きたら「犯罪者」、それが現実になろうとしている。その先にあるのはどのような国家だろうか。

戦前回帰
 先の大戦中、日本軍が実際には負け続けていたにもかかわらず、連日、虚偽の「大本営発表」が行われていたことは、広く知られている。軍事情報は極秘。国民は特高(秘密検察)の監視と検閲にしばられ、敗戦の日まで真実を知らされることはなかった。

 政府が国民を欺いた結果、無駄に大勢の命が奪われ、国の存立さえ危ぶまれる事態となったことは、いまもなお、日本人の記憶に残っているはずだ。しかし、安倍政権は、国家が情報統制を図る時代の再来を志向した。「亡国の政権」であることは、疑う余地がない。

 憲法改正、国防軍の創設、そして日本版NSCと秘密保護。安倍氏が目指しているのは、まぎれもなく戦前、戦中の日本。描いているのは、為政者のひと声でなんでも通る翼賛体制の世の中だろう。「美しい国」だの「戦後レジーム」だのとのたまっているが、きれいごとを並べて、実相を隠しているだけ。極右政治家は、どうしても戦争を始めたいらしい。

「国家意思」とは
 基本的に、国民に知らされぬ「秘密」などあってはならないはずだ。安全保障に関わることは、一定期間秘密にされるべきと言われるが、この国の主権者は「国民」。その主権者に、いつまでも周知されない国家機密など、あり得ない。百歩譲って、国の舵取りを委任された政治家が、諸外国との間ですぐに表には出せない交渉や取り引きをしたとしても、いずれは国民の前にすべてを明かすのが民主主義の原則だ。そうでなければ、国民は国の歩みや方針を検証することができない。最終判断を下すのは、主権者たる国民。民主主義国家では、その結果こそが「国家意思」のはずだ。

 そもそも、秘密保護法案を通すことは「国家意思」なのか。重ねて述べるが、主権者は「国民」だ。この国が民主主義国家であるなら、国家意思は国民の考えに依拠すべきもの。たまたま政権を担った首相や政党がいいように操つるべきものではあるまい。大半のマスコミ、さらには国民が法案の内容に懸念を示す中、議論を切り上げて採決などもってのほか。主権者たる国民の8割が法案成立に待ったをかけている以上、これこそが「国会意思」だ。政府・与党が無視することなど許されまい。安倍首相は、「国家意思」が法案に反対だと言うことを、肝に銘じるべきだ。

 保守政治家を気取っている安倍氏は、「愛国心」という言葉がお好きだ。愛国心の大小は、自身がどのくらい国会意思の形成過程にかかわっているかによって変わる。自分の意思とは逆の道ばかりを選ぶ国家に愛情が湧くかというと、それはあるまい。知る権利を著しく制限し、暗黒時代に引き戻しかねない法案をゴリ押しする国家に、愛国心を持てと言う方が無理な話なのだ。愛国を叫ぶ安倍氏なら、その現実を理解できるはずだが、これまた無理のようだ。法案の衆院通過後、首相はこう話している。「この法案は国民の皆様の安全を守るための法案です」―やっぱり何も分かっていない。



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